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Statement

時代を遡ると、人が自らの想像力を頼りに
無から何かを創り出す行為は社会と切実に関わるものでした。

アートとは絵画や彫刻といった芸術作品そのものを指すのではなく、
それら芸術品が各時代においてどのような役割を担うか、という概念です。
歴史に残る作品は芸術家本人の思考を超えて、時代を反映するものです。

一方、現代アートは価格が高騰し、一般社会とは接点のないものになっています。

その中にあって、まちおこしの起爆剤としてフランスで
現代アートを用いた芸術祭が行われ成功を収めたことを皮切りに、
日本でも、空家等の有効、地域活性化のために芸術祭が行われる流れにあります。
地方創生のみならず、現代における様々な課題をアートを通して解決していきます。

column

  • 作家インタビュー第10弾は、永井天陽さんです。 https://www.solayanagai.com/ 河口:初めて永井さんを紹介いただいて(去年一緒に仕事した作家さんの運転手として挨拶したのが最初の出会い)から、ずっと作品が気になっていました。リレーではないですが、せっかくお時間をいただくのなら、グッと近づきたいなと思っていたので、インタビュー応じていただけて嬉しいです。 早速ですが、近年の制作のテーマについて教えてください。 永井:何だろうなって考えてて、作品が出そろってきて、ひいて見たときに共通項があるのは事実です。素材の形やイメージを消したり補ったりしながら、存在・認識への問いかけをしています。またすごい大きいテーマでいうと、見たことのないものを作りたいという思いが強いです。瞬時には把握しきれないもの、形態を作りたい。 ステートメントとしてあげているのは、 ~~~ 日常の中にあたりまえのようにあるもの。 出来事、行為、ルール、名前、生まれることや死ぬことなど。 私はそれらの見方や在り方を少しズラして、もう一度自分の目で確かめてみたい。 物事の境界や輪郭に向かって、石を投げるような具合で。 ~~~ 2014年に青森県立美術館で展示した時に書いたもので、そのまま使っています。 物事やちょっとした“しこり“に向かってポンっと石を投げてみて、その反応や跳ね返りからそのもの自体を探ってみたい、というような感覚があってこのような言葉を使っています。   河口:今でも、こればベースにあるということ? 永井:そう、結局こういうことをしているんだな、と思います。素材は変わっても。ちょっとしたところから人をハッとさせたいなと。 例えば息の仕方を考えるとか、別にそんなこと向き合わなくても自然と息は吸えるし、答えはわからなくても息は吐けます。でも実はすごく恐怖を含んでいて、考えだすと眠れない、宇宙ってなんだろう、死ってなんだろう、みたいな、そういうところと美術って密に関わっていると感じます。息の仕方を考えるような身近さ、気楽さ、少しのばかばかしさを残しつつ、制作・作品に変換していきたい。たぶんそうやって「カタルシス(排出・浄化)の方法を考えること」が美術だと思うんです。 また、すごく感覚的な話になっちゃうけど、美術だったら新しい世界を垣間見ることができるんじゃないか、新しい世界を探る術が美術なんじゃないか、という夢を持っているようなところがあって。たぶん今、私たちが生きて存在しているこことはちょっぴり違う世界ってあって、そこを感じる、覗くことができる方法が美術だろう、って思っている。空想的すぎる考えかもしれませんが。美術の可能性はずっと信じていたいし、夢見ていたい。   ―:こうやってお話しさせてもらっていると、美術をどう捉えるか自体が、作家それぞれの制作に対する姿勢に通じていると思います。いつも最初に「近年の制作のテーマ」を聞いているのですが、皆さん口を揃えたように「テーマ」ではないんですけど・・って話し始めるんですよ。もっと適切な質問の仕方があるんじゃないかと悩んでいるんですが、どう思います? 永井:「あなたにとって、美術/制作活動とは何ですか」っていう質問の方がしっくりくるかもしれませんね。先ほどもお話しした通り、私にとっての美術は「カタルシスの方法を考えること」だと思います。それと美術は長く続く感動かなと。細く長く続いて、その間にいろんなものの見え方が変わる。影響範囲が広い。 生活のちょっとした疑問とか、考えだすとキリがないし、答えって何もないかもしれないけど、それを考えることで、生活に対するみずみずしさが増えたりする。それはひとつ美術がもたらすものだと思うんです。良くも悪くも視点が増えて、世界を疑って生きていけるような気がします。   ―:永井さんの作品って既製品を使っているものも多くあって一見簡単なように見える、でも実はその背景、制作工程がものすごく複雑だったりしますよね。それも狙ってるところだったりするんですか? 永井:最初は狙ってはいなくて、結果的にそうなってしまったんです。でもだんだんとこの在り方って、ありだなって…。笑 手間数を見せない、過程を想像しきれない、形はキッチュで笑っちゃうようなものであったとしても、多くの工程を踏んでいることで、複雑さが裏に含まれてるような表現になるんじゃないかなと。   ―:制作過程で他分野の方と一緒に作られていますよね? 永井:はい、ここ数年いかに自分が出来ないことがあるか、っていうのを目の当たりにすることが多くて…、こんなにできないことがたくさんあるなら、もっと専門的な知識を持っている人に協力してもらって造る方がいいじゃないか、とだんだん割り切るようになりました。すごく作りやすくなりました。 例えばホームセンターで手に取った素材、この素材いいな、作品で使ってみたいな、と思った時に、自分自身に扱えるかどうかで考えちゃってたところがあるんです。けど、そこを自分でやる前提でなくて、誰かの力を借りたらできるかもしれないぞ、と。その選択肢を持っておくことで、素材への新鮮さを失わず作りたいものを模索することができると思います。それでも自分でやれることはやるし、これは専門家に頼んだ方がスムーズだと思う時はそうする。振り分けています。 自分の作品プランをプラスチック加工会社や、石屋とかに持っていったりするんですけど、ありがたいことに興味を持って受け入れ協力してもらえることが多くてびっくりしました。てっきりもっと怪しまれるものだと身構えていたので…。そういう反応を随時受け取れるのは、作ったものをいろんな人に見てもらうのと同じくらいに刺激があるしモチベーションに繋がります。   ―:その方が作品としての精度も高まる。 永井:そう感じます。 規模が大きくなったら面白そうだなと思っていて、ざっくりした夢だけど、ラボ化できたら。何かがある度に連絡とって、違った分野の人たちで一緒に難しいことにその都度チャレンジできたら面白そうっていう漠然とした夢があります。   ―:永井さんの作品って、これってどうなってるんだろう、っていう違和感だったり、知った時の驚きだったり、遊び心にこちらがくすっとしてしまうような面白さがあります。作品のインスピレーションはどうやって得ているんですか? 永井:ポっと浮かぶひらめきや思いつきは結構大事にしています。思いつきって、美術界にいると、否定的なニュアンスが含まれるというか、あんまり良い印象ないと思うんですけど、たかが思いつき程度のものでも、その程度を自覚しつつ形にしたら面白いじゃないかと。形にしようとしてみる、ということはしようとしています。こういう作品にするぞ、っていうよりは、ちょっとした現象からキーワードを拾ったりもします。 素材はいつもアトリエにストックがあって、手が何か動かしたい時に、置いてあるものを気楽に手に取れるように、ちょっとしたところから制作を始められるようにしています。 ―:転機となった作品があれば教えてください。 永井:こちらです。大学2年の時の授業の課題で、アトリエに3日間椅子を置いて、授業中ただ座るだけで何も考えようとしない、でも思ったことはメモにとることを続けて、その3日間が終わった4日目に2人の先生が持ってきた、ふたつのメディアを使って、3日間のメモを元に同時に同等の作品を作る、という授業でした。 ネコのトイレの砂の上でプロペラが回っている。普通に考えると、モーターがプロペラを動かしていると思うけれど、実はモーターが固定されていないので、プロペラがモーターを動かしている逆の関係性になっている。そうやって動いているからちょっとずつ痕跡がずれていく。すごく直接的な作品にはなってしまったけれど、秩序があるなかで、ふと秩序が乱れているところがある、なにかしらのちょっとしたズレにここで気付いて言語化することができたかなと思っています。 美大は入ったけど、課題をやっていって、サボるようなこともしないし、普通にやってある程度いいものはできているように思うけど、そこから作家としての自分の作品ってどう生まれるのか分からなくて。自分が作家性を獲得できる気が全然しなくて…。課題から外れて、一作家として何かを作るとなった時に、何も作れないんじゃないか、そもそも作家にはなれないのではっていう恐怖があったから、必死でした。その程度は違えど、今でも怖さは感じてしまいます。   ―:次の質問に移りますが、どこから美術に興味を持たれたのでしょうか? 永井:実家がまあまあ田舎で、幼い頃テレビが映りづらかったんですよ。アナログテレビの上にアンテナがあるんですけど、(ちびまる子ちゃんの家のテレビみたいな…) 映らない時にはアンテナの場所を変えたり、外に出してみたり…と、いろんなアクションをしないと見たいアニメとか、紅白とかが見れない。だからアンテナを持ってテレビが見える範囲で手を伸ばしたり、あとは弟にやらせたりして。笑 とにかく、いろんな努力をしたんです、テレビを見るために。その思い出ってすごく強くて。当時の私としては、飛んでる電波をいかに捕まえるかっていう意識でアンテナを振り回していて、見えないものを捕まえたい欲、どこに3ch飛んでるんだろうとか、セーラームーンはここか!?とか幼いながらに考えていました。もちろん当時は言葉にして考えられてはいなかったですけど、見えないものに興味を持っていたことは、今思い返すとあったなと思っています。 はじめにお話しした、息の仕方の話にもつながりますが、恐怖とか見えないものに対する関心って思い返すと度々あったなと感じます。大学に入って作品をつくるときもそういう感覚を思い起こしながら作っている時があって、関係しているのかもしれないと気付きました。その程度のことともいえるけど、その延長にあるものとして美術がある。声を大にしていうことじゃないんだけど、それでもいいから形にする。形にしてみたい。 あとは、父がリトグラフの作家で、絶対に影響はあるだろうなと思っています。父の作品は、抽象的な作品なので、どうしてそういう作品を作れるんだろう、という疑問はすごくありました。どこからその形が浮かんでくるのか。何をどう選択しているのか。ものを上手く描くよりは抽象的な方に自分の意識が変わっていく段階にすごく興味がありました。   ―:永井さんの作品は、考えようとして見なければ、そのキャッチ―な見た目の方に流されてしまうけど、人に謎解きをさせるような面白さがありますよね。 壁一面に設置されたurntoシリーズも、子どもが「かわいい~」といいながら見ていて、カプセルの中に鳥の剥製が入ってるけど、「かわいい」っていう感想でいいのか、とか。笑 そもそも、urntoとはどのような意味なのでしょう? 永井:”urn”は英語で骨壷という意味です。そこに”to”をつけることで「骨壷へ」というような意味を込めている(文法的にはおかしいんですが…)のと、あとは『ウルン、と』という涙が目に溜まって行く様を表す音を込めた造語です。作品の見た目のポップさと対比するタイトルをこっそりつけたいと思ってこのように名付けました。普段から作品のタイトルには、その作品と同じ質、同じ関係になるように、言葉を素材として制作するように名付けています。   ー:作品自体のもつビジュアルを抽象に移していくことは考えるのですか? 永井:抽象的なことも合わせててやりたいなと思います。完全にふりかえるんじゃなくて、常に作品には幅を持たせたいなと考えています。自分の作品の棘があるような部分は、気づく人は匂いで分かってくれたらいいかな、というような感覚です。   ―:アートに限定せず、影響を受けたクリエイターはいますか。 永井:影響を受けたといえば、ジャコメッティは確実に影響を受けています。美術高校受験の時に一個展覧会を見てくる、という試験があって、川村記念美術館のジャコメッティ展を見て、その時はじめてきちんと彫刻を「観た」っていう実感を持った、ショッキングな出会いでした。これが彫刻なのか、と。その時に彫刻をやろうとは思わなかったけど、面白くて分からない分野だなぁと、どこかひっかかっていました。 戸谷成雄さんの作品を「引込線」で見たこともムサビ(武蔵野美術大学)を受けるきっかけになりました。 それ以外に好きなアーティストっていうと数えきれないくらいいるんですが、、Handywipman Saputra、Urs Fischer、Richard Serra、最近は渡辺英司さん、Felicity Hammond、Rachel de Joode、Susy Oliveira・・・などのアーティストが気になっています。 セザンヌやムンクなども好きです。ムンクの少女の絵には強烈な影がついているんですけど、これはなんだろう、なんでこういう影を描くんだろう、そういうところから惹かれたりする。 ―:気になる作品というのは、どういう影響の仕方なのでしょう。 永井:その作家がどういった経緯で何を見て、どんな作品を作っているのかとか、素材とか形も何をどうチョイスしているのか見てしまいます。あとは、すごい単純なんですけど、こういう見せ方いいなぁとか…、作品を見ていると家に帰って私も作りたい…、そんな気持ちになります。 昨年末、上海行ってきて、ルイーズ・ブルジョワ(六本木のある巨大な蜘蛛のオブジェの作者)の作品に圧倒されました。いかに自分が狭い範囲で考えているかを突き付けられた感じがして。展示のキュレーションがどうこうじゃなくてモノに惹きつけられる。今まであまり大きいサイズのものは作ってきていないんですが、躊躇なくやれる時にやりたいなと思って、チャンスがきたら掴めるように、常にやるぞ、と思っておこうと。 あとは詩も好きで、特別詳しいわけではないけれど、古本屋に行ったら目にとまった詩集をよく読みます。長谷川裕嗣の「いないはずの犬」という詩集や、中村千尾の「日付のない日記」という作品が好きです。「日付のない日記」の中に出てくる“口をあけたような青い空も泣いた”という一節が特に心に残っていて…。あとは国語の授業とかで読んだ経験がある方も多いと思いますが、高村光太郎のレモン哀歌。レモンを「がりり」と噛む、っていう、この表現すごいな。このさりげない音でリアリティを出す、心境が伝わる。 小説だと、吉本ばなな。彼女の作品は主人公が女性でうまく生きれてないようなところがあるんですけど、なんかその女性っぽさが妙なんですよね。無職だったりとか、軽くひきこもってる状態の話だったりとか、それがそんなに痛々しく書かれてない妙。「キッチン」はふと、手にとって読み返しています。   ―:そう思うと、日常の中にある非日常というか、本当に些細なところに魅力だったり違和感のあるものに惹かれていて、永井さんの考える美術が生活にもたらすものであったり、作品制作におけるコンセプトに通ずるものがありますね。 最後の質問になりますが、今後、作家としてどのような活動の展開の仕方を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 永井:先日先輩の作家さんが作品の作りだめをしていると話していて、それはいいなと思って。私も考え作る時間、数を増やしたいです。どれだけ作れるかは不安ですが…。じっくり作る時間をとりたいなっていうのが今年の身近なやりたいこと。 あとは作家を続けることが一番目標というか。ある程度人に見てもらって、作品を買っていただいたり、文章を書いてもらう機会とかも増えてきていて、続けるのも責任だなと思っています。続けたいし、他にやりたいこともない。散歩したり自転車に乗ったり、釣りとか登山とかも好きですが趣味ってわけでもないし、美術以外にやりたいこと、大好きなことがそんなにない、なんか消極的な感じになっちゃうけど、例えばスポーツとか好きだけど一日かけてはやりたくない。   ―:一日って。笑 私、一日はスポーツ漬けやりたいけど。 永井:特定の何かにのめりこめるわけじゃないから、趣味がないって、結構良かったかな。 あとは短期の滞在でも、旅でもいいので海外に行きたい。日本で活動する面白さも残しつつ、制作やリサーチのためにも気になったら躊躇なく行ってみたいし、そうでなくても、生まれ育った場所とは全く異なる土地での生活自体に興味があります。そうしていつかもっと大きなことをしてみたい。 ビエンナーレとかそういう場面で、いろんな人や技術を巻き込んで制作・展示してみたい。まだまだ現実味がないというか、漠然とはしていますが、一つ夢としてこういうことは言っておこうと…。日常で小さく回転しないように。  

  • 2月23、24日の二日間にわたって、館林市にて武蔵野美術大学の黒川弘毅教授を講師にお招きし、彫刻講座が行われました。 1日目は群馬県立館林美術館にて彫刻に関する講義がありました。屋外彫刻(out-door sculpture)とより狭義に使われる野外彫刻(open-air sculpture)の違い、公共の場に設置される彫刻の題材、素材の時代ごとの変遷。設置された各地域の彫刻の状態、そこから見える保全活動の重要性について。 2日目は、前日の講義を受けて、館林市彫刻の小径に設置された3体の彫刻を実際に清掃しました。 最初に黒川先生から清掃の仕方および道具の説明。今回は洗浄からワックスがけまで行いました。 実際の清掃に入ります。彫刻作品は普段触らないので、盛り上がります。今回清掃したのはすべて女性像でしたが、女性像が流行ったのは90年代。戦後は新しい時代を作るという機運から男性像が作られることが多く、今世紀に入ってからはジェンダーの観点から公共の場に裸体、着衣含め女性像を設置することはほぼありません。欧米では特にこの動きは強いようです。 環境に良く、虫も殺さない洗剤を使用し、洗浄した後はワックスでピカピカに磨いていきます。 「今まで歩いてたら(彫刻が)あるなぁって感じだったけど、なんか大切な感じがしてくるよねぇ」と感じてほしかったことをそのままに参加者の方々が口々に言ってくださるのが嬉しいです。また、間近で見ると、様々な色の錆があり、これは何だろうと次々と沸く疑問に黒川先生が答えてくださいます。   この時期特有のからっ風も全くなく、14名の参加者とともに良い陽気の中で終えることができました。 館林市は90年代から黒川先生が専門的な調査に入っており、非常に良い状態で彫刻が保たれています。各地には様々なパブリックアートがあり、今後も増えていくと思われますが、市民の方々を巻き込んでいくことによって、一度設置された後も地域に愛されていくものとなりますように。 共催:群馬県館林市教育委員会・群馬県立館林美術館 / 企画・制作:株式会社MeltingPot

  • 2019年3月2日~17日に開催される芸術祭、「大子まちなかアートウィーク2019」のディレクションを担当させていただいています。 現地で活動しているアーティストに加え、2018年7月より企画運営をしています大子アーティスト・イン・レジデンス作家を加え、茨城県大子町で開催される2度目の芸術祭になります。商店街空き店舗や野外での作品展示、ワークショップと同時に、期間中開催されるイベントも数多くありますので、観光ついでにいらしてください。 詳細情報は町のサイトより

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