作家リレーインタビュー

作家リレーインタビュー Vol.6

作家リレーインタビュー第6弾は、福井伸実さんから紹介いただきました、藤川さきさんです。

藤川さんは2013年に多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。国内の展覧会や海外のアートフェア等で作品を発表する他、イラストレーターとしても活動されています。

藤川さきウェブサイト

 

今回は、清澄白河のondo STAY&EXHIBITION(以下ondo)で開催されていた「未知のためのエスキース」展を見に行ってからのインタビューとなりました。

【展示風景】

fujikawasaki1
そして、今回もアトリエにお邪魔させていただきました。

fujikawasaki3
河口:はじめまして。藤川さんは、過去に多くの展示をされているので、そのステートメントやメディア露出した際の発言等目を通させていただきました。今日は、改めて藤川さんの言葉で作品についてお聞きしたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

藤川:よろしくお願いします。

 

―:まず、近年の制作のテーマについて教えてください。

藤川:テーマというよりは、作品制作に対する姿勢になりますが、いかに人と関わりながら自分の好きなことをやっていくか、ということを大切にしています。自分が出したものが人の目にどう映っているか。

例えこっちがタイトルやステートメントで方向づけしても、自分が考えていたことと全然違う意味で捉える人がいたり、解釈の仕方が違うじゃないですか。その時々で人の反応がみんな違うっていうのが結構面白くて、自分が今まで生きてきた中で新しいものを取り入れて変わってきた、というのと同じ状況が人に起きているのを見るのが楽しくて、そこからまた何かを得て、作品を作っていく、人の反応からまた新しい作品ができる。その循環を楽しんでいます。

 

―:人の反応によって自分自身が変化させられる?

藤川:はい。私はもともとただ絵がすごく好きっていう理由だけで美術の道をスタートしました。描くことが好きで、それの意味付けを意外と考えてこなかったんです。大学3年時に村上隆さん主催のGEISAIに出展する機会をいただいたことが作家として自覚的に活動し始めた時期ですが、描いたものを展示できるのは嬉しいし、絵を描くのが好きだから、という理由だけで展示をやっていたこともあって、展示の内容とか決まってないし、自分ひとりのなかで完結できる内容を考えていました。世の中と関わる手段ではなく、ただ楽しかった。

でも、卒業してから、同じことを繰り返していていると、飽きちゃうんです。私の中の楽しさは描くことで頭の中が更新されていって、また新しいことを描きたくなるという状況になることで、それが理想的な環境だと思っています。そうすると、ひとりよがりなことを描いているのは、絵の楽しさとしても行き詰ってくる。

いつも中心にあるのは、楽しいかどうか。自分にとって、自分が更新されていく嬉しさがあるかどうか。その元から変わらない、「ものを作るのが好きであること」を中心にちょっとずつ広がっているのがここ最近です。

 

―:今回の展示について、すみません、実は展示名を「未来のためのエスキース」だと勘違いしたまま作品を見ていたんです。それで帰りの電車でフライヤーを改めて眺めていたら、あれ、「未知のためのエスキース」だぞ、と。それで、藤川さんにとって未知ってなんなんだろう?と思って。未知は未知でしかないのかもしれませんが。

藤川:それは、未来でもあるといえばあるんですけど、更新されていくことがメインテーマです。

この展示がそもそも、ondoの方で一冊本を作ってくれることになっていたんです。その本を書くために今回80枚くらいドローイングを描いて、最終的にどんなものが見えてくるか、どんなものが作りたくなるか、それが未知だったんです。全部のドローイングを描いたうえで、最終的にできあがったのが、80号の作品です(展示風景写真2枚目)。最初の段階では、まったく何ができるか分かっていなくて、それがひとつ未知の対象だったんです。

1日1枚以上という決まりで強制的にドローイングを描いていたので、日々何が起きるか分からない、小さい出来事も大きい出来事も含めて世の中の変わっていく、いろんなパーツが集まって更新されていくことを展示全体を通して表現したかったんです。

 

―:そうなんですね。あえての質問をさせていただきますが、「未知」ってありえるんでしょうか。例えば何か実験する人も先に仮定をしてからそれを検証していくじゃないですか。ほんとうの未知、何も分からないことに向かっていくことなんてできないんじゃないですか?もともと答えや道筋は持って制作にあたられていたのではないですか?

藤川:それはそうかもしれません。今を継続しながら前へ進んでいくこと。見たことのない方向に進んでいく。絵を描くための機会として、ドローイングを通して生まれでたパーツをどう解釈して最終的に絵として出すか。毎日つらくてもドローイングを描いているとほとんど無意識のようなものも生まれるんですよ。それらを一個に集約するときにどういう絵になるか。分からないけど見てみたいからやってみよう。そういう意味での未知でした。ある意味ギャラリー側も賭けの遊びにのってくれたんです。

最終的に出来上がった絵のタイトルが「教えてくれなくてもいいから生きさせて」でした。そのタイトルがある意味、当初未知として捉えていたことへの答えでした。

毎日、自分が世の中に関わること、何で人は落ち込んで、誰が人の「正しい」気分を壊すのか、生活ってカオスじゃないですか。そういった部分も含めて、生活を作っている強さみたいな、人は生きていて、日々更新されていって、という状況を一枚の絵に強さとして描きたいと思いました。

 

―:藤川さんの作品のタイトルって、切実なものが多くあったりするけれど、作品自体は暗くはないじゃないですか。人物からも切実な感情を感じないですし。そこに関して意識されている部分はあるのですか?

藤川:人はパーツなので、パーツの仕事をしてもらいたいんです。人に限らず絵に登場するモチーフ全てですが。それが笑っていた方がいい場合は笑わせますが、人物の笑顔や、怒りの表情ってすごく強いんですよ。人が笑ってる絵になっちゃう。絵の中の登場者は皆、劇のひとつの役割に過ぎなくて、主題に沿って演じさせているんです。

 

―:あぁ、「劇」という言葉は藤川さんの作品を見るのに非常に納得感があります。おもしろい。

ところで、話を、もう少しコンセプトの方に戻していくと、自分が「更新」されていく、という言葉を非常に強調されているように思います。外部と関わることで自分の概念が覆されていく、という循環の中で作品を制作されているということですが、外からの刺激としては何の影響が一番大きいのでしょうか?

藤川:ネットを使う世代なので、今しかない、これから廃れていくかもしれないような、それこそツイッターとかSNSが好きです。こぼれ出たような感情の強いもの、人の生活にもうちょっと迫ったような、心境、環境が及ぼしている変化を見るのが好きなんです。

twitterで100人をフォローしているとしたら、ここからみた100人の現代を見れているわけじゃないですか。それって積み重ねていくと、世界に近くなる。

人の色んな部分を見ることが好きで、私、あんまり言ったことないですが、ツイッターアカウント10個以上持ってるんですよ。言ってしまえば根暗な趣味なんですが、誰かの考えてる公式情報も大事にだけれども、そこに至るまで何が起因してそこに至っているのかをすごく調べたくなる。自分が変わるきっかけにもなるだろうなと思うと興味があってめちゃくちゃみます。

 

―:へー、すごい。私は逆でツイッター全然使えないんですよね。自分の私的な痕跡を読まれるのも嫌いだし、だから人のも見たくないんです。ツイッターは情報量が多いというか、更新度が高いからリアルタイムで追いつけないですし。

藤川:私はリアルタイムを追うことが単純に好きなんです。ネット上にはおどろおどろしい感情がいっぱいあるじゃないですか。それがいい悪いではなくて、単純にウォッチすることが面白いです。見れば見るほど、凝縮された世界になってるから。絵を描くときも、様々な要素で散らばっている世界を一枚の絵に凝縮するので、要素が散らばっている状況を見るのが好きで制作のヒントになるんです。そういったものをヒントに世界を再構築して作品としてアウトプットし、人の反応を実験的に見る。人が関わる循環を自分の中で作れて納得できている状況の方が制作に対しても健康的になれるんです。

 

―:インタビューの冒頭で、ひとりよがりな制作から人の反応を受けて人と関わりながら自身が更新されていく形へと変化した、という話がありましたが、具体的にその転機となるようなことはあったのですか?

藤川:ふたつあって、ひとつはd-laboミッドタウンというイベントスペースで行った砂絵パフォーマンスです。もうひとつは、作家としての転機でondoで行った展示ですね。

d-laboは大学卒業2年目くらいの時期に自分の作品について90分話す時間をいただいたのですが、そのうち30分を使って、お客さんの言葉に応えてその場で砂絵を作っていくパフォーマンスをしたんです。そうすると、当たり前ですが、確実に自分が作りたい、作ろうと思っていた方向は壊される。他人との関わりの中で自分が否が応でも変化されるっていう状況を初めて体験して、作品に対する考え方は変わりました。

ondoでの展示は、作家としての振舞い方、作家としての人格の形成に深く関わっていると感じています。初めて個展をやらせていただいたのが去年の夏で、今回の「未知のためのエスキース」展もそうですが、毎回展示の前にしっかりミーティングをするんです。展示を行うことの意味、今自分が最も大切に考えていることが明確に話せるようになりました。

 

―:そうなんですね、ネット上に出ている記事や展示コンセプトから、制作は日常の生活からヒントを得ているという印象を受けましたが、アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか?

藤川:絵として目に美味しい作家としては、超メジャーですがエゴン・シーレ、それから小山登美夫ギャラリー所属の長井朋子さん、マルレーネ・デュマス、エイドリアン・ジーニーが好きです。

一方で、絵から遠ざかることが必要、本質的には絵の前にいることだけが絵を描いている時間ではないと考えていて、音楽を聴いたり、本を読んだり、博物館へ行く、いろんな情報に触れる時間も大切にしています。もちろん作品は描くことでしか生まれないんですが、そうやって全然関係ないことをしてるときに、頭の部分を育てていると考えると、実質絵を描いているというか、絵を描いてるよりも描いていると感じています。

 

―:藤川さんは大変多作で、これまでの流れから日々制作していく中で新たに自分自身を更新しながら制作を続けていかれるのだろうと想像しますが、今後の展開について何か考えていらっしゃることはありますか。

藤川:絵は主体になると思います。まだやってないことがいっぱいありますから。ただ、絵を描きたいのではなく、作りたいものから逆算していくので、その表現手法は多様になっていくと思いますし、今も石、鏡、粘土、様々な素材で実験しています。映像が必要ならば、映像を扱うようになるのかもしれません。

ただ、言えるのは、否が応でも人は人の作った社会に住んでいますし、私は人の作っている世界に興味があるので、日々更新されていくものを追いながら、自分のなかでかみ砕いて、それを作品にしたりすることで、見た人がどう反応して、自分、それから見てくださった人自身がどう更新されていくか、そこを大事にしながら制作を続けていきたいと思います。

 

―:お話しを伺っていて、ものすごく技術的な工夫をされているし、実際に作品を見ると絵のタッチが非常に面白くて、奥深いんですよね。ネットで最初に作品を見た時との印象の違いが大きく、驚きました。これから見られる方は、ぜひ現物を見ていただけたら、嬉しいです。 

実は、記事にまとめるにあたって残念ながらお話の大部分を削ってしまいましたが、インタビュー自体は3時間近くも楽しくお話しさせていただきました。

本当にありがとうございました。

-作家リレーインタビュー