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Column

作家インタビュー Vol.12

作家インタビュー第12弾は、奥誠之さん。宮川慶子さんからの紹介です。
https://www.okuart.com/

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2014年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業、2018年東京藝術大学大学院美術研究科卒業、2016年までは主にインスタレーション作品を展開し、2017年より絵画を中心に制作されています。

河口:あなたにとって、美術、制作することとは何でしょうか。
奥:自分の制作と、美術っていうところはたぶん結構分けてるところはあって、美術は専門的に大学に入って勉強して、知識があるっていう立場でいたいなと思って、で、制作の方はむしろ知識を捨ててるような状況で、自分の感覚とか原体験に基づいていくような行為としてやっていて、それを実際展示して人に見せる時に、それが何なのか、とか、何の価値があるか、みたいなことを話しつつ、その中で知識が生きてくるかなぁと思っていて、

ー:とすると、美術は、絵を描く技術ではなくて、言葉としての武器として使っているというイメージですか。
奥:そうですね、美術史とか、制作にしても、大学の時は課題があって作らされたりとかしていて、こういう表現があるとか、技術的な面も歴史的な面も知識で僕らはやってるところがあって、そこは趣味でやってる人と自分(大学で美術を学ぶ人)の大きな違いだなと思っていて。せっかく勉強してきたから、人前ではそういう態度でいたい。制作としての美術と言葉としての美術は、分けてますね。だから。

ー:制作も最近の絵は原体験に戻ってるということで、奥さんの制作活動や展示の形態も美術史にのっかって作ってるものではないと思うのですが。敢えて、意識的にやっている?
奥:意識的にやってますね。なんか、美術史にのっかれる人は友人にいるし、僕は知識をめちゃめちゃ持っているわけではないんですけど、美術史に興味を持っている方ではあるのでそういう人間が敢えて違うマーケットに挑むとか、もっと分かりやすく伝えるという役割になってもいいかな。

ブランクラス(2009年に芸術を発信する場として横浜にてスタート)で詩の朗読とか、おしゃべりスポットをやっていて、広くアート学んでいない人に対して行為をしたい。

ここ最近はずっとそうで、たとえば展示会場で来た人にお茶を出したらその人はそれを飲む時間だけは滞在するじゃないですか。その時間でじっくり作品を見てもらったりお話したり、簡単なことだけど、そういうこととか、気を静める場づくりを意識していて。

ー:ブランクラスとかってある程度美術/文化に教養なり想いを持ってる人が来ると思うんですけど、奥さんのやりたいことを聞くと、じゃあもっと幅広く社会に分かりやすく伝えることで、行った、あるいは今後行いたいと思っていることってあるのでしょうか?
奥:今、マルシェ流行ってるじゃないですか。そこで絵を売っている人がいて、その人と知り合ってぼくも絵もマルシェで絵を売る活動を始めました。その人の旦那さんがマルシェの主催をしている人で、大きな商業施設の空きスペースでマルシェを開催してるんです。僕もそこに混ぜてもらって子供と絵を描くワークショップをやったり絵を売ったり。マルシェだと本当に通りすがりの人に対してアプローチできるので、今後もこう言った活動は大切にしていこうと思ってます。

ー:そういう風に考えるようになったのってどうしてなんですか。
奥:それはムサビを出た2014年から数年の間に自分がいた環境が影響しています。ムサビを卒業した頃からOTAFINEARTSっていうすごく大きなギャラリーでアルバイトをしてました。そこは僕にとって夢の世界というか、大きなお金が動いてて、そのおかげで所属アーティストの作品も大きく展開できてっていう。

自分はこういう場で活躍するアーティストになりたいと思ってたから、戦略を練るわけじゃないですか。どうしたらこの人たちみたいになれるか?みたいな。ただ戦略を練っていけばいくほど、なんか、普通に街を歩いてる人と話が通じなくなる感覚になったんですよね。例えば飲み屋で隣に座った人と話して「ぼく美大生なんです」って話になったとして、「何やってるの?」「油絵科にいて…。」みたいな会話がある。でも「じゃあ絵描けるんだね」って話になると、僕、その頃絵やってなかったんで。「インスタレーションでこういうことしてて」ってことを話したいけど、隣に座って話してる人はインスタレーションっていう言葉をそもそも知らない、みたいな。

そういう場面に多く出くわして、今自分がやってることって、誰の何のためにやってるんだろうっていうのがだんだん募ってきて、それが2014年から2016年までずっとモヤモヤしてた。たぶん吹っ切れたのが2017年で、アトリエを友達の家に仮住まいというか借りることになったのが大きかった。それまであんまりアトリエとか使わなかったんですけど、アトリエ持ったからもう全部絵に変えようっていうのになったのが2017年。

ギャラリーでバイトして、どれだけの人がアートを見てるかっていうか、アートに価値を見込んでちゃんとそれに対してお金を払うじゃないですかギャラリーだったら。それはどういう人で、何人くらいで、というのがぼんやり頭の中で見えてきて、足りないと思って。ギャラリーの人達とか作家はほんと素晴らしいからそこに対してどうってことじゃなくて僕はアートに価値を見込む人の母数が足りないなと思ったから増やす方向にまわろうと。それが後々絵を描いて絵を選択したこととか絵のサイズとか絵の値段とかに繋がっていて。

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ー:どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。
奥:それは結構小さい頃から絵を描くの好きだし、っていう典型的なタイプだと思うんですけど、母親が海外志向というか、クラシックとか印象派が好きで芸術に理解があった。中学生かなんかの時に母親がイギリスに仕事でいって、僕はじめて海外つれていかれて、母親仕事だから、朝ナショナルミュージアムに僕をおいて、夜帰ってくるんですよ。8時間くらい僕美術館にいなきゃいけなくて。それが、嫌とかまったくなくて、むしろずっといれる。で、退屈しないし、自分で物事考えられる、向き合える時間で、だから絵を見るのとか一枚に1時間かけても飽きないとかいうのは、子供のころからわりとそういう感じでしたね。

ー:アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか。
奥:ここ最近でいうとほんとに音楽と絵本にめちゃめちゃ影響受けてて、絵本は「ささめやゆき」さんっていう人がいて、その人の絵をみたときに、上野に子ども図書館あるじゃないですか。芸大の近くに。そこに行って、見てたら、僕が絵を描いて、現代アートの中で絵をやろうとしているのと全然違う伸びやかさがあって、こんな形描けるんだな、って。僕はすごい狭い中で絵画について考えてたなと思って。そういうことがひとつ絵本からの影響。

音楽は、例えばaikoとか、大学になってから聴きだしたんですけど、最高じゃんみたいな。「交差点」とか、そういうワードが出てきて。折坂悠太、この方は2017年に僕が絵描きだすときに知ったんですけど、薬局のカエルとか、はすむかいのピアノの音とか、そこら辺にあるもの達のことを言ってて、それにすごく刺激を受けた。現代アートって、なんか社会のことがすごく難しく表現されている気がして。もっと身近な「交差点」とか「薬局のカエル」とか、アートで見ないな、と思って、そういう表現をしたいなと思ったときに、この辺の人達が気になりだした。

ー:現代アートがトップから降りてくるっていう感覚なら、奥さんのされていること、やりたいことって共感を呼んで、膨らましていくというか、そういうイメージですかね。
奥:本当、僕は共感だなと思っていて、自分のやっていること。

インスタレーションをやっていたときは、文脈とかコンセプトとか、ある程度言葉で構築したことをベースに、作るときにそれを飛躍させるみたいな意識でやってたんですけど、絵を描き出してからは言葉にできないことをしてるって意識が強くなった。言葉未然の声みたいなものが一筆一筆に乗っかって、一筆ごとに声を発してるようなことなんじゃないかって。

ー:言葉で言えないことって恥ずかしかったり、言葉にするのが憚られたりで言えないことなのか、あるいはそもそも自分自身が言語化できないものなのか。
奥:たぶん両方あって、僕、人付き合い的には広い人間なんですけど、あんまり自分の素を出せてないというか、なんだろうな嘘ついてる感覚もあって、絵描く時だけが、あぁ帰ってきた~みたいな笑。2,30枚一緒に絵を描くから、計算がゼロの状態で書いていて、それを面白がっているような状態で、そこで見つけていくというのはあるかも。

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ー:ちょっと嫌な質問かもしれないですけど、価値を広げていく、今、純粋なところで絵を描いているかもしれないけれど、それってどこかしらのマーケットにはまっていく、もしくは作っていくことになるじゃないですか。それって、現代アートじゃないとすると、どういうところを狙っていってるんですか。
奥:そうなんですよねー。それがわかってなくて、まだ。やっぱり現代アートとか、美術館にあるものたちにつながってほしいなという気持ちはあるんです。ただより広く普及させるには絵本がいいかなとなんとなく思っていて。僕の絵は絵具が混ざっていたり物質感があったり、画像に落とせないところがあるんですけど、たとえば荒井良二とか、かなり絵具感あるんですけど絵本として印刷されてて。僕は絵具のまま、形としてなってない状態のまま、人に渡るとなると、結構絵本かなぁと思って、いつかの楽しみ、数十年後の楽しみでいいんですけど、ひとつ絵本はあるんですけど、

ー:奥さんの絵ってひとつの絵の中にもストーリーがありそうだなぁと思っていて、その一枚の絵だけじゃなくて、連作として何か語りたいとか、伝える物語って想定しているんですか?
奥:今のところは全くなくて、何か誰か文章を提供してくれたらすぐに取り掛かれる気はするんですが、自分の絵はほんとにいっぱい並べた中で、こっちは緑こっちは青とかってやっていて、別々なものが描かれていくから、絵本みたいに毎ページ同じものが出てきてっていう状態にはならないものなんですけど、でも、時々で考えて感じて描いてきた絵が、半年単位とか一回個展するまでに全体のテーマみたくなっている気はします。例えば「ドゥーワップに悲しみをみる」、っていう展示の前は、ほんと働いてなくて、犬とばっかりいたんですよ。

犬とずっと散歩して、大学博士受けて落ちて、まさか落ちるとはって感じだったから途方に暮れていて、3か月くらいは全く何もしないで、犬と実家にいて、犬に餌あげて遊ばせて、ただ撫でてる、これが一番幸せだなーとか思ったけど、先に犬が死ぬよなーとか考えてて、そういう中で描いた絵は結果として共通の気持ちが入っているような気がします。犬とコミュニケーションしてるときが一番絵を描いてるときに近い、自分の素だなって。それくらい、言葉がいらなくて触れられるものが好きなのかもしれないですね、今思えば。

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ー:絵自体は完全なる抽象じゃなくて、意外とものじゃないですか。そこってぱっと絵具を塗っているにしても、考えてはいる?
奥:たぶん感情みたいなものを具現化するための人、犬とかになると思うんですよね。人も見た人描いてるとかは全くないし、犬も飼ってる犬種を描いてるわけでもないし。

インスタレーションの時は、歴史のことをやっていて、それを学びたい気持ちは今でも変わらないんですけど、今はそういうところから介護とか障害とかそういう本を読むようになってきて、過去の大きな出来事じゃない、身近なとこの助け合いとかになってきたんですけど、それが絵にも表れてきている。

インスタレーションで歴史について考え出したきっかけは、ムサビ(武蔵野美術大学)のとなりって朝鮮大学校があるんですよ。僕がいたころから交流展みたいなのをやりだして、そこに誘われて3回目くらいに出展したんですよ。で、4,5回目がムサビと朝鮮大を橋で繋ぐ、みたいなことをやって、結構話題になったんですけど、そこで、在日の彼らとディスカッションをしていると、彼らはアイデンティティについて常に考えていたんですね。で、僕はそういったことが美術の表現にあまり直結していなかったりするし、ぼんやりしていて、じゃあぼんやりしていることの特異性をこうやって表していると思うんですけど、僕はなんでこんなに無知なんだと思って、自分の家族のことだったら身近だし、家族の過去を調べてみようってことで始めたんですよ。

でも家族の歴史を見ていくと、自分が権威の側、支配する側にルーツがあって、その末端に東京の裕福な家庭に育った今の自分がいるということが見えてきて、そこに対する負い目が強くなってきた。その負い目をモチベーションにするのは違う気がして、もっと自分が当事者として今思っていることを発信したいと思ってきたところで表現が絵に変わっていった。

:今までのお話を伺っていると敵を作りたくない?
奥:そうなんです、絶対数年やってくとボロが出る、というか失敗するっていうのはめっちゃ分かってるんですけど。

現代アートで何に違和感があるかっていうと、飛躍するステップがあって。視点が急に変わるということがアートではやっぱり面白いなって思うし、その展開のさせ方は美大で習う技術でできるようになる。でもその技術だけで、社会的な問題や過去の大きくて悲惨な出来事を扱って作品を作れるかというとそうじゃないと思う。過去の出来事に接する際の文献の調べ方とか社会的な問題の当事者へのインタビューの仕方とかそういうところは美大では教わってないから、そこの技術が僕にはなくて、歴史や他者を扱うときの限界が見えてきた。

たとえば大学で社会学を専攻してたら常に被験者とかインタビューされる側の話を大学で学んでいるとか、先生のフィールドワークに同行してそこで見たリサーチの技術を自分の研究に活かすとか、そういったステップがあるはずなので、そうやって他者と関われたらいいんだけど、ずっと絵を描いてきた人が、今の主流はそっちだからといって、いきなりそういったテーマを扱うのは怖い。

ー:ちゃんと批判があったときに勝てるだけの理論武装ができてないと、っていうのはありますよね。
奥:そうそう、だから学校でそういうことが教われるっていう状況にも早くなって欲しいな。

他には作品が残ることとかは、本当にいろいろ考えて、ゴーギャンは昔タヒチにいたんですけど、タヒチにゴーギャンの作品は一点もないんですよね、オリジナルは。フランスとかにあって、億単位でやり取りされていく。でも、ゴーギャンがいたおかげで、観光地として結構有名な島になって、ゴーギャン美術館っていう、ゴーギャン作品のレプリカの美術館もできた。これって何なんだってパラオ行った時思って。(注:2016年、家族史のリサーチの一環で南洋庁に勤めていた曾祖父のことを調べるためにパラオに2ヶ月滞在した。)

最近の美術館って植民地にした場所から収奪したものを返していくっていう動きがあるんですけど、そのゴーギャンの例にしても、そのままタヒチに残っていたとしたら保管はきかないし、保管のプロもいない。それで作品が消えていっても良かったのかもしれない。でも作品が残っているおかげで僕はゴーギャンを知ることができたし感動することができた。それを引いて見れば、タヒチと縁もゆかりもない人たちが作品を愛でて、そこに大きなお金が動いて、そしてそこはかつての戦争で勝った国でという構造がある…。それをどうしたいっていうわけじゃないんですけど、その関係性って面白くて。

ー:面白いですよね。ほんとうにそれは答えもないところだけど、需要と供給の関係性の中になければ、物事に価値って何もない。
奥:でも、貨幣価値じゃないところでの価値、そういうところがこれから重要なんじゃないかなと思っていて、そこで何かしたい。

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ー:貨幣価値じゃないところ、っていうとそれこそ奥さんがやろうとされている人とか共感なんじゃないですか。
奥:そうですね。物を見て、それを好きって思うこととか。

僕は絵を勝手に芸大の修了展で売って、5000円から10000円って値段をつけてて、僕は2,3年ぶりに絵を描いていたし、そんなに大きな値段も付けられないと思って、で、買ってくれた人たちとの関係性って今でも続いていて、結果的に1年半とか2年で、48枚くらい作品が売れたんですけど、そこも残るとかについて考えるきっかけになって、

今まではアーティストへの道が一本あったら、美術館に所蔵されたらアーティストとして名が残るだろうと思っていたんですけど、前に僕の絵を高校生の女の子とかが買ってくれたり、お父さんもお母さんも買ってくれて、その高校生の女の子が死ぬまで大切にしてくれたら、トータルで100年とか残る可能性ってあるなと思って、自分が人に作品を渡してみて初めてその残る、残らないとか、歴史とかいうものの価値観が変わってきたんですよ。

それが自分の作品だけではなく、横にもじわーっと広がっていくことが目標なんですけど、その辺が難しい。こうしたことを考えている人と出会いたくて、出会えてもいるし、けどまだ足りないというか。現代アートのトップギャラリーだけがアートじゃないし、銀座の画壇だけが美術じゃないわけで、でも先生たちはそこの人たちだから、どうしてもそこが目指すレールになる部分は出てくるけど、イラストレーターとか絵本作家とかもっと色んな形でアートなり美術が存在できる場所はあるはずで、油絵科の教授にそういう人も入ってくれたら美術教育の段階でもっと学生の今後の選択肢が増えるような気がする。

ー:最後の質問になりますが、今後、作家としてどのような活動の展開を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。
奥:マルシェで絵を売る活動とかを僕はアウェイ戦って意識でやってるんです。今までアートや美術鑑賞に馴染みがなかった人に作品を見せて買ってもらうまでいくっていうのはかなり難しいとは思うんですけど、僕や誰かの作品をきっかけにその人の今後の生活が少し変わっていくみたいな可能性は捨てきれなくて、そういうことは今後もやっていくと思います。

直近の発表は三軒茶屋にある生活工房という場所で行われる「プライベート・コレクション展」という展覧会に作品が出ます。この展覧会は、個人宅にある美術作品の展示風景を写真作品として発表してきた藤井龍さんというアーティストの活動に焦点を当てたもので、今回の展覧会のために募集をかけて集まった個人宅にある美術作品20点と、藤井さんが撮った写真、作品所有者のインタビュー映像が展示されるそうです。

藤井さんの活動は、勝手に自分と近いことを考えてるんじゃないかと思って前から興味があったのですが、僕の絵を買ってくれた人がこの展示に僕の絵を出してくれました。展覧会自体の企画には全く関わってないので普通に一鑑賞者として楽しみにしてます。

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fig.1 ヤップ島で使われている石貨という石の貨幣は、それが使われてきた来歴によって価値が決まるという。初個展「南洋のライ」(2014年)では、石貨とそれを日本に持ち込んだ曾祖父との関係を扱い、価値と物語の関係を考えた。

fig.2 2017年にアトリエを借りてから絵の制作を再開した。再開後すぐの作品とアトリエ。

fig.3 2017年、OTA FINE ARTSでアルバイトをしているスタッフによるグループ展「Assistants」で発表した作品。国立競技場と家族の関係を扱った。

fig.4 「ピアニスト」2019年

fig.5 2018年、blanClassでのイベントで行った絵の展示「ドゥーワップに悲しみをみる」

fig.6 今年5月、吉祥寺パルコのマルシェに出店し、グループ展「PART: 生活の一部(?)」を開催。計31点の作品が売れた。

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