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Author: admin-meltingpot

作家インタビュー第10弾は、永井天陽さんです。 https://www.solayanagai.com/ 河口:初めて永井さんを紹介いただいて(去年一緒に仕事した作家さんの運転手として挨拶したのが最初の出会い)から、ずっと作品が気になっていました。リレーではないですが、せっかくお時間をいただくのなら、グッと近づきたいなと思っていたので、インタビュー応じていただけて嬉しいです。 早速ですが、近年の制作のテーマについて教えてください。 永井:何だろうなって考えてて、作品が出そろってきて、ひいて見たときに共通項があるのは事実です。素材の形やイメージを消したり補ったりしながら、存在・認識への問いかけをしています。またすごい大きいテーマでいうと、見たことのないものを作りたいという思いが強いです。瞬時には把握しきれないもの、形態を作りたい。 ステートメントとしてあげているのは、 ~~~ 日常の中にあたりまえのようにあるもの。 出来事、行為、ルール、名前、生まれることや死ぬことなど。 私はそれらの見方や在り方を少しズラして、もう一度自分の目で確かめてみたい。 物事の境界や輪郭に向かって、石を投げるような具合で。 ~~~ 2014年に青森県立美術館で展示した時に書いたもので、そのまま使っています。 物事やちょっとした“しこり“に向かってポンっと石を投げてみて、その反応や跳ね返りからそのもの自体を探ってみたい、というような感覚があってこのような言葉を使っています。   河口:今でも、こればベースにあるということ? 永井:そう、結局こういうことをしているんだな、と思います。素材は変わっても。ちょっとしたところから人をハッとさせたいなと。 例えば息の仕方を考えるとか、別にそんなこと向き合わなくても自然と息は吸えるし、答えはわからなくても息は吐けます。でも実はすごく恐怖を含んでいて、考えだすと眠れない、宇宙ってなんだろう、死ってなんだろう、みたいな、そういうところと美術って密に関わっていると感じます。息の仕方を考えるような身近さ、気楽さ、少しのばかばかしさを残しつつ、制作・作品に変換していきたい。たぶんそうやって「カタルシス(排出・浄化)の方法を考えること」が美術だと思うんです。 また、すごく感覚的な話になっちゃうけど、美術だったら新しい世界を垣間見ることができるんじゃないか、新しい世界を探る術が美術なんじゃないか、という夢を持っているようなところがあって。たぶん今、私たちが生きて存在しているこことはちょっぴり違う世界ってあって、そこを感じる、覗くことができる方法が美術だろう、って思っている。空想的すぎる考えかもしれませんが。美術の可能性はずっと信じていたいし、夢見ていたい。   ―:こうやってお話しさせてもらっていると、美術をどう捉えるか自体が、作家それぞれの制作に対する姿勢に通じていると思います。いつも最初に「近年の制作のテーマ」を聞いているのですが、皆さん口を揃えたように「テーマ」ではないんですけど・・って話し始めるんですよ。もっと適切な質問の仕方があるんじゃないかと悩んでいるんですが、どう思います? 永井:「あなたにとって、美術/制作活動とは何ですか」っていう質問の方がしっくりくるかもしれませんね。先ほどもお話しした通り、私にとっての美術は「カタルシスの方法を考えること」だと思います。それと美術は長く続く感動かなと。細く長く続いて、その間にいろんなものの見え方が変わる。影響範囲が広い。 生活のちょっとした疑問とか、考えだすとキリがないし、答えって何もないかもしれないけど、それを考えることで、生活に対するみずみずしさが増えたりする。それはひとつ美術がもたらすものだと思うんです。良くも悪くも視点が増えて、世界を疑って生きていけるような気がします。   ―:永井さんの作品って既製品を使っているものも多くあって一見簡単なように見える、でも実はその背景、制作工程がものすごく複雑だったりしますよね。それも狙ってるところだったりするんですか? 永井:最初は狙ってはいなくて、結果的にそうなってしまったんです。でもだんだんとこの在り方って、ありだなって…。笑 手間数を見せない、過程を想像しきれない、形はキッチュで笑っちゃうようなものであったとしても、多くの工程を踏んでいることで、複雑さが裏に含まれてるような表現になるんじゃないかなと。   ―:制作過程で他分野の方と一緒に作られていますよね? 永井:はい、ここ数年いかに自分が出来ないことがあるか、っていうのを目の当たりにすることが多くて…、こんなにできないことがたくさんあるなら、もっと専門的な知識を持っている人に協力してもらって造る方がいいじゃないか、とだんだん割り切るようになりました。すごく作りやすくなりました。 例えばホームセンターで手に取った素材、この素材いいな、作品で使ってみたいな、と思った時に、自分自身に扱えるかどうかで考えちゃってたところがあるんです。けど、そこを自分でやる前提でなくて、誰かの力を借りたらできるかもしれないぞ、と。その選択肢を持っておくことで、素材への新鮮さを失わず作りたいものを模索することができると思います。それでも自分でやれることはやるし、これは専門家に頼んだ方がスムーズだと思う時はそうする。振り分けています。 自分の作品プランをプラスチック加工会社や、石屋とかに持っていったりするんですけど、ありがたいことに興味を持って受け入れ協力してもらえることが多くてびっくりしました。てっきりもっと怪しまれるものだと身構えていたので…。そういう反応を随時受け取れるのは、作ったものをいろんな人に見てもらうのと同じくらいに刺激があるしモチベーションに繋がります。   ―:その方が作品としての精度も高まる。 永井:そう感じます。 規模が大きくなったら面白そうだなと思っていて、ざっくりした夢だけど、ラボ化できたら。何かがある度に連絡とって、違った分野の人たちで一緒に難しいことにその都度チャレンジできたら面白そうっていう漠然とした夢があります。   ―:永井さんの作品って、これってどうなってるんだろう、っていう違和感だったり、知った時の驚きだったり、遊び心にこちらがくすっとしてしまうような面白さがあります。作品のインスピレーションはどうやって得ているんですか? 永井:ポっと浮かぶひらめきや思いつきは結構大事にしています。思いつきって、美術界にいると、否定的なニュアンスが含まれるというか、あんまり良い印象ないと思うんですけど、たかが思いつき程度のものでも、その程度を自覚しつつ形にしたら面白いじゃないかと。形にしようとしてみる、ということはしようとしています。こういう作品にするぞ、っていうよりは、ちょっとした現象からキーワードを拾ったりもします。 素材はいつもアトリエにストックがあって、手が何か動かしたい時に、置いてあるものを気楽に手に取れるように、ちょっとしたところから制作を始められるようにしています。 ―:転機となった作品があれば教えてください。 永井:こちらです。大学2年の時の授業の課題で、アトリエに3日間椅子を置いて、授業中ただ座るだけで何も考えようとしない、でも思ったことはメモにとることを続けて、その3日間が終わった4日目に2人の先生が持ってきた、ふたつのメディアを使って、3日間のメモを元に同時に同等の作品を作る、という授業でした。 ネコのトイレの砂の上でプロペラが回っている。普通に考えると、モーターがプロペラを動かしていると思うけれど、実はモーターが固定されていないので、プロペラがモーターを動かしている逆の関係性になっている。そうやって動いているからちょっとずつ痕跡がずれていく。すごく直接的な作品にはなってしまったけれど、秩序があるなかで、ふと秩序が乱れているところがある、なにかしらのちょっとしたズレにここで気付いて言語化することができたかなと思っています。 美大は入ったけど、課題をやっていって、サボるようなこともしないし、普通にやってある程度いいものはできているように思うけど、そこから作家としての自分の作品ってどう生まれるのか分からなくて。自分が作家性を獲得できる気が全然しなくて…。課題から外れて、一作家として何かを作るとなった時に、何も作れないんじゃないか、そもそも作家にはなれないのではっていう恐怖があったから、必死でした。その程度は違えど、今でも怖さは感じてしまいます。   ―:次の質問に移りますが、どこから美術に興味を持たれたのでしょうか? 永井:実家がまあまあ田舎で、幼い頃テレビが映りづらかったんですよ。アナログテレビの上にアンテナがあるんですけど、(ちびまる子ちゃんの家のテレビみたいな…) 映らない時にはアンテナの場所を変えたり、外に出してみたり…と、いろんなアクションをしないと見たいアニメとか、紅白とかが見れない。だからアンテナを持ってテレビが見える範囲で手を伸ばしたり、あとは弟にやらせたりして。笑 とにかく、いろんな努力をしたんです、テレビを見るために。その思い出ってすごく強くて。当時の私としては、飛んでる電波をいかに捕まえるかっていう意識でアンテナを振り回していて、見えないものを捕まえたい欲、どこに3ch飛んでるんだろうとか、セーラームーンはここか!?とか幼いながらに考えていました。もちろん当時は言葉にして考えられてはいなかったですけど、見えないものに興味を持っていたことは、今思い返すとあったなと思っています。 はじめにお話しした、息の仕方の話にもつながりますが、恐怖とか見えないものに対する関心って思い返すと度々あったなと感じます。大学に入って作品をつくるときもそういう感覚を思い起こしながら作っている時があって、関係しているのかもしれないと気付きました。その程度のことともいえるけど、その延長にあるものとして美術がある。声を大にしていうことじゃないんだけど、それでもいいから形にする。形にしてみたい。 あとは、父がリトグラフの作家で、絶対に影響はあるだろうなと思っています。父の作品は、抽象的な作品なので、どうしてそういう作品を作れるんだろう、という疑問はすごくありました。どこからその形が浮かんでくるのか。何をどう選択しているのか。ものを上手く描くよりは抽象的な方に自分の意識が変わっていく段階にすごく興味がありました。   ―:永井さんの作品は、考えようとして見なければ、そのキャッチ―な見た目の方に流されてしまうけど、人に謎解きをさせるような面白さがありますよね。 壁一面に設置されたurntoシリーズも、子どもが「かわいい~」といいながら見ていて、カプセルの中に鳥の剥製が入ってるけど、「かわいい」っていう感想でいいのか、とか。笑 そもそも、urntoとはどのような意味なのでしょう? 永井:”urn”は英語で骨壷という意味です。そこに”to”をつけることで「骨壷へ」というような意味を込めている(文法的にはおかしいんですが…)のと、あとは『ウルン、と』という涙が目に溜まって行く様を表す音を込めた造語です。作品の見た目のポップさと対比するタイトルをこっそりつけたいと思ってこのように名付けました。普段から作品のタイトルには、その作品と同じ質、同じ関係になるように、言葉を素材として制作するように名付けています。   ー:作品自体のもつビジュアルを抽象に移していくことは考えるのですか? 永井:抽象的なことも合わせててやりたいなと思います。完全にふりかえるんじゃなくて、常に作品には幅を持たせたいなと考えています。自分の作品の棘があるような部分は、気づく人は匂いで分かってくれたらいいかな、というような感覚です。   ―:アートに限定せず、影響を受けたクリエイターはいますか。 永井:影響を受けたといえば、ジャコメッティは確実に影響を受けています。美術高校受験の時に一個展覧会を見てくる、という試験があって、川村記念美術館のジャコメッティ展を見て、その時はじめてきちんと彫刻を「観た」っていう実感を持った、ショッキングな出会いでした。これが彫刻なのか、と。その時に彫刻をやろうとは思わなかったけど、面白くて分からない分野だなぁと、どこかひっかかっていました。 戸谷成雄さんの作品を「引込線」で見たこともムサビ(武蔵野美術大学)を受けるきっかけになりました。 それ以外に好きなアーティストっていうと数えきれないくらいいるんですが、、Handywipman Saputra、Urs Fischer、Richard Serra、最近は渡辺英司さん、Felicity Hammond、Rachel de Joode、Susy Oliveira・・・などのアーティストが気になっています。 セザンヌやムンクなども好きです。ムンクの少女の絵には強烈な影がついているんですけど、これはなんだろう、なんでこういう影を描くんだろう、そういうところから惹かれたりする。 ―:気になる作品というのは、どういう影響の仕方なのでしょう。 永井:その作家がどういった経緯で何を見て、どんな作品を作っているのかとか、素材とか形も何をどうチョイスしているのか見てしまいます。あとは、すごい単純なんですけど、こういう見せ方いいなぁとか…、作品を見ていると家に帰って私も作りたい…、そんな気持ちになります。 昨年末、上海行ってきて、ルイーズ・ブルジョワ(六本木のある巨大な蜘蛛のオブジェの作者)の作品に圧倒されました。いかに自分が狭い範囲で考えているかを突き付けられた感じがして。展示のキュレーションがどうこうじゃなくてモノに惹きつけられる。今まであまり大きいサイズのものは作ってきていないんですが、躊躇なくやれる時にやりたいなと思って、チャンスがきたら掴めるように、常にやるぞ、と思っておこうと。 あとは詩も好きで、特別詳しいわけではないけれど、古本屋に行ったら目にとまった詩集をよく読みます。長谷川裕嗣の「いないはずの犬」という詩集や、中村千尾の「日付のない日記」という作品が好きです。「日付のない日記」の中に出てくる“口をあけたような青い空も泣いた”という一節が特に心に残っていて…。あとは国語の授業とかで読んだ経験がある方も多いと思いますが、高村光太郎のレモン哀歌。レモンを「がりり」と噛む、っていう、この表現すごいな。このさりげない音でリアリティを出す、心境が伝わる。 小説だと、吉本ばなな。彼女の作品は主人公が女性でうまく生きれてないようなところがあるんですけど、なんかその女性っぽさが妙なんですよね。無職だったりとか、軽くひきこもってる状態の話だったりとか、それがそんなに痛々しく書かれてない妙。「キッチン」はふと、手にとって読み返しています。   ―:そう思うと、日常の中にある非日常というか、本当に些細なところに魅力だったり違和感のあるものに惹かれていて、永井さんの考える美術が生活にもたらすものであったり、作品制作におけるコンセプトに通ずるものがありますね。 最後の質問になりますが、今後、作家としてどのような活動の展開の仕方を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 永井:先日先輩の作家さんが作品の作りだめをしていると話していて、それはいいなと思って。私も考え作る時間、数を増やしたいです。どれだけ作れるかは不安ですが…。じっくり作る時間をとりたいなっていうのが今年の身近なやりたいこと。 あとは作家を続けることが一番目標というか。ある程度人に見てもらって、作品を買っていただいたり、文章を書いてもらう機会とかも増えてきていて、続けるのも責任だなと思っています。続けたいし、他にやりたいこともない。散歩したり自転車に乗ったり、釣りとか登山とかも好きですが趣味ってわけでもないし、美術以外にやりたいこと、大好きなことがそんなにない、なんか消極的な感じになっちゃうけど、例えばスポーツとか好きだけど一日かけてはやりたくない。   ―:一日って。笑 私、一日はスポーツ漬けやりたいけど。 永井:特定の何かにのめりこめるわけじゃないから、趣味がないって、結構良かったかな。 あとは短期の滞在でも、旅でもいいので海外に行きたい。日本で活動する面白さも残しつつ、制作やリサーチのためにも気になったら躊躇なく行ってみたいし、そうでなくても、生まれ育った場所とは全く異なる土地での生活自体に興味があります。そうしていつかもっと大きなことをしてみたい。 ビエンナーレとかそういう場面で、いろんな人や技術を巻き込んで制作・展示してみたい。まだまだ現実味がないというか、漠然とはしていますが、一つ夢としてこういうことは言っておこうと…。日常で小さく回転しないように。  

2月23、24日の二日間にわたって、館林市にて武蔵野美術大学の黒川弘毅教授を講師にお招きし、彫刻講座が行われました。 1日目は群馬県立館林美術館にて彫刻に関する講義がありました。屋外彫刻(out-door sculpture)とより狭義に使われる野外彫刻(open-air sculpture)の違い、公共の場に設置される彫刻の題材、素材の時代ごとの変遷。設置された各地域の彫刻の状態、そこから見える保全活動の重要性について。 2日目は、前日の講義を受けて、館林市彫刻の小径に設置された3体の彫刻を実際に清掃しました。 最初に黒川先生から清掃の仕方および道具の説明。今回は洗浄からワックスがけまで行いました。 実際の清掃に入ります。彫刻作品は普段触らないので、盛り上がります。今回清掃したのはすべて女性像でしたが、女性像が流行ったのは90年代。戦後は新しい時代を作るという機運から男性像が作られることが多く、今世紀に入ってからはジェンダーの観点から公共の場に裸体、着衣含め女性像を設置することはほぼありません。欧米では特にこの動きは強いようです。 環境に良く、虫も殺さない洗剤を使用し、洗浄した後はワックスでピカピカに磨いていきます。 「今まで歩いてたら(彫刻が)あるなぁって感じだったけど、なんか大切な感じがしてくるよねぇ」と感じてほしかったことをそのままに参加者の方々が口々に言ってくださるのが嬉しいです。また、間近で見ると、様々な色の錆があり、これは何だろうと次々と沸く疑問に黒川先生が答えてくださいます。   この時期特有のからっ風も全くなく、14名の参加者とともに良い陽気の中で終えることができました。 館林市は90年代から黒川先生が専門的な調査に入っており、非常に良い状態で彫刻が保たれています。各地には様々なパブリックアートがあり、今後も増えていくと思われますが、市民の方々を巻き込んでいくことによって、一度設置された後も地域に愛されていくものとなりますように。 共催:群馬県館林市教育委員会・群馬県立館林美術館 / 企画・制作:株式会社MeltingPot

2019年3月2日~17日に開催される芸術祭、「大子まちなかアートウィーク2019」のディレクションを担当させていただいています。 現地で活動しているアーティストに加え、2018年7月より企画運営をしています大子アーティスト・イン・レジデンス作家を加え、茨城県大子町で開催される2度目の芸術祭になります。商店街空き店舗や野外での作品展示、ワークショップと同時に、期間中開催されるイベントも数多くありますので、観光ついでにいらしてください。 詳細情報は町のサイトより

2月23、24日に館林市にて、彫刻講座及び清掃体験があります。 2018年度はこれまで東京都中央区、埼玉県越谷市にて野外彫刻関連のイベントを開催させていただきました。今年度最後は、館林市です。2日間のイベントの初日は武蔵野美術大学彫刻科教授、黒川弘毅先生の講義、2日目に野外での彫刻清掃があります。 年齢、定員制限ありませんので、お気軽にご参加ください。申し込みは館林市文化会館 TEL:0276-74-4111。 共催:群馬県館林市教育委員会・群馬県立館林美術館 企画・制作:株式会社MeltingPot

先日、ギャラリーEUKARYOTE(http://eukaryote.jp/)へ行ってきた。先月行った展示に菅原玄奨さんの作品があって、グループ展だったため、1点しかなく気になったからだ。 "Metamorphosis"とは英語で変質、変形を意味し、"The Metamorphosis"はフランツ・カフカの『変身』の英題である。展示を見ると、この作家はあの本好きかな、と考えたりするのだけれど、今回は展示名=小説名だったので、それにつられてしまった。というか考えざるをえない。 ギャラリーに置かれている文章では、『本展はフランツ・カフカの「変身」より、ある朝起きると虫に変身していた男の前の不条理から立脚する話を、眼前に質量をもって確かに存在する彫刻と私たちが対峙することに擬えてい』るとある。 さて、「ある朝起きたら虫になっていた」話はほとんどの人が聞いたことがあるのではないか。ところが、どんな話だったかとうまく思い出せず、久しぶりに『変身』を読み返してみると、アレ、こんな話だったか、と思った。幼い頃読んだ時は人が虫になってしまう衝撃が強かったが、実際のところ、虫か否かは表層的な問題なのだ。要は、主人公は朝起きたら、他者に言葉が通じず、外見もおぞましい、家族にとっては人目から隠しておかなければいけない対象となってしまった。 自室で虫となったまま引きこもっている時に、虫のごとく壁や天井を這いまわり、ふと我に返った時に、身も心も虫になっていたことに主人公は恐ろしさを覚える。死ぬ間際には主人公は家族との愛おしい時間を思い返し、一方、疲弊した家族は虫となってしまった身内を庇い続ける必要性を感じなくなってくる。足枷となっていたものが無くなることで未来を希望に満ちたものとして捉えるところで物語は終わる。虫は人として死に、家族は人を虫にした。 --- 私達が何者であるかは、ひどく曖昧な問いだ。私達は周囲にどのように捉えられるかによって如何様にもに変貌しうるし、何者かと社会に捉えられるか、それだけが「確か」なことだ。 冒頭の話に戻すと、彫刻が存在することと私たちが質量的に存在することの「確かさ」は等しいはずだ。それでも、時折り、彫刻を前にすると自らの存在が霞むように感じる時がある。それは自我があることの、思考できるが故の弱さだ。言い換えれば彫刻が持つのは、自我がないことの確かさ、不変であるという確固たる強さかもしれない。そうして、その屈強であるはずの彫刻には、人間と同様の曖昧さが、自我とは違った形で作り手によって内包されていることに、私達は一種の安心感を覚えるのかもしれない。正確に言うならば、曖昧さはどこにもなく、鑑賞する者が勝手に読み取るものではあるけれど。 そんなことを考えると面白い二人展である。共通項のある視点を持ちながら作品形態は全く逆だ。展示は2月3日まで。決して広くはないものの、3階立ての空間にはシンとした濃密な時間が流れている。 (河口)

昨年の12月13日、中央区の新富町駅から徒歩1分の場所にあるギャラリーオリムへ、吉田明恵さんの個展を見に行ってきました。    これまで大学関係や知人作家の告知で知った展示の紹介が多く、私自身が内輪感に若干飽きてきたため、全く知らない作家さんの展示へ行くことを今回のテーマにしました。 Facebook上で今回の個展のイベントページを見かけ、作品画像とコンセプトが面白く魅力的に感じたため、吉田さんの個展をチョイス。 前日に一度、下見として同様にピックアップした他の作家の展示を含め4か所ほど巡りましたが、吉田さんのものが最も見応えがあり、ご本人にお話を伺いたく翌日に再度訪問して来ました。 今回の面白さの要素の1つとしてあったのが、こちらのギャラリーの独特の内装空間でした。 全体が黒い壁で、展示空間としてはかなり小さい方に感じました。 ギャラリーの方にお話を伺うと、創業30周年になるこちらのギャラリーはもともと画商同士のやり取りのために使用してきた空間なのだそうです。黒く立派なソファーも置かれ、なるほど応接室のような設備になっているのも納得でした。 30周年の今年、初めてオープンギャラリーとして一般の方も来られる展示空間として使用を始め、外部の作家に声がけをして行う企画展示もこれが2度目となるそうです。   私が吉田明恵さんについて事前に得ていた情報には、画像を見るに抽象画の作家であること、個展情報に添えられていた文章にあった貝殻や鉱物、ミネラルというキーワードとがありました。 そうしたキーワードが作風とどう結びついているのかネット上の画像からでは汲み取り切れなかったのですが、作品実物を見つめお話を伺ってゆくとその結びつきがよく分かってきました。 まず、入って右手の開けた空間の小作品から見てゆきます。 壁の高い位置にあった紫の作品。メタリックな質感が強いのはこの作品だけでした。 隣の壁の3作品。 こちらの作品が、この展示の中で吉田さんご自身が一番よい出来だと感じているものだそうです。 他の作品よりも、キャンバス地を思いっきり残した状態なのが印象的です。透明感とツヤのあるアクリルメディウムが、それ自身の動きのまま力強く使われているのが吉田さんの作風の特徴だと感じました。メディウムのそうした使われ方が伝わりやすい作品でした。 並んだ3作品の一番左の黄色が強い作品を見ると、透明なメディウムの上から色がさらに重ねられ、積層構造のような独特の質感が生み出されているのが見て取れます。 続いて向かいの壁へ。元々こちらのギャラリーに置かれていた奥の棚の彫刻作品とそのまま展示空間を共にしているのが面白いです。 こちらの黄色が強い作品。上部に積層が薄く抜けてゆくような部分があり、私はそこの美しさに惹かれました。油彩画のような温かい質を感じます。物質としての距離は、絵具の重なりの手前と奥という数ミリ程度の厚みの差のはずなのですが、絵の中に広い奥行きを感じることができます。 隣のこちらの作品は、しっかりと絵具が画面を覆い、アクリル絵具らしい質や色を強く感じます。 層の薄くにじんだような不思議な色合いの部分、アクリルメディウムの重ねられた部分など、1枚の絵の中にいくつかの質感が同居している吉田さんの作品。制作の過程についてご本人に伺うことができたので、少しご紹介させていただきます。 幼少期より、石や貝殻など年月が積み重なったような積層の現象を持つものが好きで、よく集めていらっしゃったそうです。現在の制作では、とある幻想的で魅力的な模様の石をモチーフに、その模様を拡大した画像をキャンバスに転写し、その上から感覚的に絵具を置いているそうです。転写イメージの元となっている石の写真を見せていただきましたが、魔法のようなカラフルな色味と深みを含有していて、天然の石なのかどうかを疑いたくなる美しさでした。 鉱物という物質の強さ、美しさ、深みを絵画の画面上に展開されているのですね。 また、作品ごとに色味の傾向が様々なのも印象的でした。その点について伺ったところ、自分の好きな色などに偏らないよう作品の色味の幅を意識されているそうです。 鮮やかな青緑が美しいこちらの作品は、アクリル絵具らしい発色なのかと思いきや、素材は油絵具なのだそうです。なるほど、素材にこっくりとした重みがあり、中央の透けた部分が美しいです。 続いて下はギャラリーに入って正面の位置にあった大きな作品。色彩が軽やかで清々しいです。 ここからはギャラリーに入って左側、応接間のようなソファーとテーブルの置かれたエリアです。オーナーが購入されたという、芸術家・バンクシーの作品モチーフの像が置かれています。美術大学出身というオーナーご自身が金色のスプレーで加工されたそうです。面白いですね。 バンクシーの隣には、ペインティングナイフの動きが見える、茶色みの作品。 赤い壁との対比が印象的な水色の作品。均一な水色で視界が覆われ、ブラインドの隙間から向こう側の世界を覗き見ているような印象です。水色の奥にある透明メディウムの層が効いています。 左上にキャンバス地がはっきり残されている作品。左上に強い光が当たり、写真では透明メディウムが白く煌めいて見えています。転写にもムラを付けてあることで、偶発的な素材たちの自由さがあります。 最後にご紹介するのは、今回の展示の中で私が一番良いと感じた作品です。油絵具と金箔が使われ、落ち着いた色味が他の作品と雰囲気を異にしています。教えていただいて興味深かった点は、立って作品を見た時と、ソファーに座って見た時とで金箔の煌めきの見え方が変わるところでした。 全体と明るく写すとこのような作品。 転写の虹色の部分が中央に広く残っていて、色味も重く、とても美しいです。転写のムラの筋が、私には水流のように見えます。緩やかな流れの大きな河を、絵の向こう側に見ているような感覚です。 画面の右寄りに、大きな金箔が縦に入っています。その部分が夕日を映す川の水面の煌めきのように見え、私には牧歌的な川の情景のように感じられました。 ソファーに腰掛けて少し暗めに全体を撮影した下の写真を見ていただくと、縦長の金箔の輝きが伝わりやすいかもしれません。この作品はこのギャラリーが黒い壁であるおかげですごく引き立っている、と吉田さんは仰っていました。言われてみれば確かに、黒い額装をしてる他のいくつかの作品は白壁の空間でも同じような魅力で見えそうですが、額装がなく落ち着いた色味のこちらの作品は、真っ白な壁に展示すると見え方が全く変わってくるかもしれません。 色々なことを考えたり、想像したり。ソファーに座ってずっと見ていたいと思える作品でした。手頃なサイズと値段であれば、購入したかったぐらい。   最後に、モビールが飾られていて面白かったギャラリーの一部分をご紹介して終わります。 今回の展示作品にはありませんでしたが、英字のロゴを絵に重ねたような作品も制作されている吉田さん。そちらのイメージも非常に格好良く、今後の制作スタイルに注目し続けたいと思えるアーティストでした。 2019年中之条ビエンナーレへの参加が決まっているそうです。どのような作品が発表されるのか、今から非常に楽しみですね。 (清水悠子)   吉田明恵さんは現在、渋谷西武にて個展を開催されています。吉田さんの作品上の不思議な質感を皆さまぜひ直にご高覧ください。   Akie Yoshida -Brilliant Mineral- 2019年01月16日-27日 西武渋谷店B館8階 美術画廊・オルタナティブスペース 10:00-21:00(日曜日のみ20:00まで) https://www.sogo-seibu.jp/shibuya/topics/page/181207yoshidaakie.html  

作家リレーインタビュー第 9 弾は、金田涼子さんから紹介いただいた宮川慶子さんです。 宮川慶子ウェブサイト:https://www.keikomiyagawa.com/ 宮川さんは、2016年に東京造形大学大学院 造形研究科 美術研究領域を修了され、形態に捉われず幅広い作品展開をされています。 2014年には青森県立美術館にて奈良美智さんが選ぶ若手作家選抜展「プロジェクト PHASE 2014」で個展をされていて、気になっていた作家さんでした。今回は、少し先に展示をされるということで、直接作品を拝見する前にポートフォリオを見ながらのインタビューとなりました。 河口:幅広い作家さんと出会いたいと思いながらも普段は母校の東京芸術大学の人と接することが多く、インタビューを通して様々な方と知り合うことができるのが嬉しいです。今日はどうぞよろしくお願い致します。早速ですが、近年の制作のテーマについて教えてください。 宮川:金田涼子さんからバトン受け取り、今回お会いすることができ嬉しいです。今日はよろしくお願いいたします。では、話します! 詩を書いたり、粘土でみんなをつくったり、キャンバスに毛並みのようなものや、みんなを描いています。 ~~~ みんなはいつも布団の扉のかげに潜んでいて、 みんなを呼ぶと、いそいそと出てくれる。 みんなは、肩や膝の上にせっせと登ってきて、 みんなは、あなたやわたしを励まし、応援する。 ~~~ これが私のつくることについてです。 ー:みんなっていうのは、概念的な言葉で、特に何かを指しているわけではないのでしょうか? 宮川:みんなっていうのは見えないけどいるかもしれない、全てについて。今、河口さんと話しているここにもいるかもしれない。作品の中で、わたし、あなた、みんなという言葉をたくさん使用しています。理由は、私は「わたし以外のあなた(特定人物がいない誰か)」を確認したり接したいから。 ー:宮川さんは tumblrに詩をあげていて、そこに登場するものって、猫だったりとか、ヤドカリを殺してしまったことであったりとか、現実に宮川さんが生き物の生命に直面されたものが多いように思うのですが、作品としては鹿の形で表れていますよね。 なぜそれらが鹿として表れるのか、それとそもそも、様々な過去の出来事を自分の中でかみ砕いた結果の表現として鹿になっているという理解であっているのでしょうか。 宮川:鹿「のようなもの」であって、鹿ではないです。ある作品では兎と合体していたり、足の一部は人の腕ですし。四つ足の何か。剥製の鹿を使った作品があるので、そのイメージが強いかもだけど

作家リレーインタビュー第8弾は、藤川さきさんから紹介いただいた、金田涼子さんです。 金田涼子ウェブサイト:http://ryokokaneta.jp/   金田さんは、作家活動を行いながらキュレーターという立場でも2012年から継続して同年代を中心とした企画展示「199X」を毎年開催されています。   河口:早速ですが、始めさせていただきたいと思います。近年の制作のテーマについて教えてください。 金田:もともと自然現象や自然そのものを擬人化するところから始まり、現在はそれに加えて、土地土地の伝承や土着的な思想など、目に見えないものを女の子という形で可視化して描いています。その流れの中でずっと制作していますが、近年のテーマ、興味ということで言えば、実際に特定の土地に行ってみて、体験や感じたことも作品に取り入れていることです。以前は文献を調べて描いていたのですが、それをしばらくやっている中で、実際の土地に興味が湧いてきました。去年くらいから山岳信仰のある山を題材に山シリーズを始めているのですが、実際に足を延ばすことで、知識だけでは得られない「そこ」の感覚を作品に盛り込もうとしています。   ―:そうなんですね。金田さんの作品では、大きい人と小さい人が登場しますが、大きい人は雄大さや自然を表現しているのかなと思う一方で、小さい人はかなり俗人的な印象を受けます。どのようにキャラクターを使い分けているのですか? 金田:大きい子は自然そのものという擬人化、小さい子はその土地に残っている人々の想い、小さな痕跡、そういったものが溢れています。小さい子たちによっていろんな物語がつむがれる。女の子たちが同じ時を過ごしているのではなくて、画面の中で、昔、それから今のことを演じる様子を描いています。個性が出てしまうと嫌なので、大きい子ちゃん、小さい子ちゃんという呼び方をしていますが(笑)   ―:なるほど、画面の中で小さい子ちゃんは、活き活きとしていて、それが金田さんが冒頭でおっしゃっていた「体験を盛り込む」ことに通じているように感じます。私はこの大きい子ちゃんがすごく好きだと思ったんですよ。キャラクターとして完成度が高くて、あまりこういった絵のスタイルの作家さんとお話しする機会なかったんですが、紹介いただいて、HP拝見して、あっ面白い、と思いました。 金田:ありがとうございます。大きい子に関しては、無慈悲さ、悪意のない感じ、それぞれのキャラクターがゆったり構えて、「ただそこに居る」ということを意識しています。小さい子はいろいろ動きまわっているけど、大きいのは自然物としての存在なので、あまり喜怒哀楽のない表情というか。不確かな表情、見る人がどうなんだろうと探れる曖昧さを残しておきたいと思っています。   ―:絵画の中では、大きい子ちゃんが絵を支え、小さい子ちゃんがそこにスパイス(物語)を与えるような存在だと思うのですが、一方で、こちらのフィギュア、おそらく小さい子ちゃんは、作品として独立している感じを受けます。どのようなスタンスで制作されているのでしょうか? 金田:最初はグッズという扱いで作っていたものをより作品として発表してみたくなって制作しました。画面にいる子がそのまま現実にいるような感覚を与える立体作品にしたくて、クオリティーや造形にこだわって作っています。量産できる作品を考えて、レジンキャストという素材を使っています。原型をつくって、シリコンで型をつくって・・・完全に一般的なフィギュアの工程と同じです。   ―:ほー、失礼ながら、今日お会いするまで、絵画も想像の中のものを描かれていると思っていました。実際に様々な土地に足を運んでいることや文献から土地の伝承を調べていらっしゃること、立体作品に対する姿勢も、かなりの研究されていますね。 ところで、次の質問に移りますが、転機となった作品があれば教えてください。 金田:こちらの「小舟」という作品です。学生時代に描いた作品で、この時に自分の中で、自然現象を女の子に疑人化して描くことが確立して、それでずっとポートフォリオにも残しています。 大学は横浜美術大学のビジュアルデザイン領域イラストレーション学科というところで、小説の挿絵、公共ポスターとか商業的な印刷物を前提に絵を描いて、最終的には文字入れなどをソフトでデザインをしたものを提出する、商業的な学びが中心の学科だったんです。課題で自分の色は出せますが、基本的にクライアントを想定してイラストレーションとして絵を描く必要があるのが苦しくて、なんかやりたいことと違うと思っている中で、作家として展示といった形で作品を発表していきたい自分を見つけられました。   ―:そうだったんですね。でも、いわゆるファインアートの学科だったら、絵画とイラストの境目のような面白い作品は生まれてこなかったのかもしれませんね。 金田:確かに、絵画の方の学部は関りが少なかったのであまり分からないですが、だからこそ今の表現ができたのかもしれません。 違うからこそ生まれることはきっとあって、今、自然をモチーフに描きだしたのも、大学のために引っ越してきてから自分が育ってきた自然と都会の違いに気付いて、いちど自分の常識から身を置いたからです。実家が茨城の田舎にあるのですが、ずっといたら、身近すぎて気にならなかったと思う。離れてみて初めて場所特有のものがあるのだなと気付きだした。 日常と異なる場所ということで言えば、1年ちょっとオーストラリアにいました。オーストラリアはレンタルスタジオが多くて、滞在中はずっとスタジオで制作していて、最後に成果発表で個展を行いました。私は、自分の生活圏が題材になるので、必然的に日本的になります。それは題材だけではなくて、俯瞰している平面的な表現とかも取り入れたりしていて。 オーストラリアにいたときは、軽いドローイングで現地を題材にした作品も描きましたが、ペインティングとしては消化するには時間が短すぎて、他は普段通りの作品でしたね。土地土地で捉えられる自然って違うので、もっと色々なところを旅したいと思っています。   ―:金田さんのお話をうかがっていると、もともと「絵を描く」ということがとっても好きな方なのだと感じますが、どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 金田:大学に入るまでは、ギャラリーとかは身近になくて、展示といえば美術館でした。家族旅行の際に美術館に行くというくらいのもので、そこまで美術というものを意識せずに大学にあがりました。 大学が横浜だったので、小さいギャラリーを回ったり、美術館に行くっていうことを日常生活として取りいれることをそこで初めて知りました。いろいろ回っているうちに、今まで美術といえば巨匠しか見てこなかったのが、同じ世代で個展している、活躍している、いろいろな作家を知るようになって、そこから自然と興味を持つようになっていきました。 今まで自分とは切り離されていたものとして捉えていたものが、同世代を見て、近いものなんだなということを意識しはじめてその衝撃は大きかったです。大学に入る前までの自分から切り離されていた美術と、入学してからのものでは全然違うかもしれない。   ―:それが、キュレーションをするきっかになったりしたのですか? 金田:それはあるかもしれないです。大学1,2年で展示に興味を持ち始めて、だいたいその頃って大学の友達と一緒に貸しギャラリー借りて、大学の仲間と一緒に展示するじゃないですか。私も、それを1,2回やったんですけど、そうなると、仮に学外で展示したとしても、結局来るのは大学の同じ学科とか友達なんですよ。展示経験と、作品を完成させる、といういい経験ではあったんですが、内輪で循環していく、外への広がりがない感じがもどかしくて。 自分の中でもっと広がりが欲しいなと思っていたところ、ツイッターを通して、自分で展示企画をしている人がいるということを知りました。ネットで公募という形で、私が主催となって、最初は14人で高円寺で開催したのが始まりで、一番多いときは25人程集まって、毎年半分くらい入れ替えがありながら続けています。   ―:今回7回目を迎える「199X(きゅーえっくす)」ですね。 金田:はい。私が91年生まれで、自分と同世代の知らない作家は何を考えて制作しているのだろうという興味から、一緒に展示空間を作りたいと思い、テーマは定めずに、90年代生まれの作家を集めて展示企画をしてきました。 5回目までは公募でやってきて、テーマは定めないとはいっても、過去の展示や私の作風を見て、集まってくれる作家で構成しているので、回を重ねるごとに「199X」の色は出てきました。でも展示として公募だとコントロールできないんです。コントロールできない偶然性も面白いんですが、展示として成長していくためにも完成された強度を作りたくて、ちょうど5回でキリが良いこともあって、私が作家を選ぶキュレーションという形に変更して、昨年の6回目からやっています。展示は、続けていくことがすごく大切で、「199X」自体、10回20回と続けていくうちに、この世代の美術の流れの小さい一つになるといいなと思っています。   ―:今後、ご自身でキュレーションされる「199X」の方向性というと、何かテーマを定めていくということでしょうか? 金田:テーマというよりはそれぞれの作家の作品への向き合い方だと考えています。 私がいわゆるキャラクター的な表現をしていて、私と同じような表現をしている同世代の作家さんにすごく興味があって、そこからキャラクター的表現を通してどういった作品を作っていくのか、ということを知りたくて、そういった方を集めてキュレーションしています。ツイッターで見るといろんな方がいらっしゃるんですけど、なんで敢えて展示という形式で作品を発表していくのか、ということに対しても興味があります。   ―:それは、私も興味のあるところです。多くの方がネット上で作品を発表している中で、どうして敢えてイラストではなくて絵画なんでしょう?デジタルでもいいところを、どうして手で描くのですか? 金田:ひとつには、私自身が展示に行って感動するということがあって、展示空間の雰囲気、作品の厚み、空間全体からくる圧力が好きで、立体としての重さ、絵具の厚みが伝わって、作品を展示空間に足を運んでみてもらいたいと思います。あとは、画像だと良くも悪くもまとまりすぎてしまって。題材がキャラクター的であったとしても絵画ならではの複雑さはデジタルでは表現しにくいと思っています。   ―:そうすると、今、ネットで作品をほぼ全部公開されていることに関してはどうなのでしょうか。実物より作品が良くも悪くも簡単に見えてしまう、ということはあると思うのですが。 金田:展示初出しのものに関しては、SNS上で全体は出さないようにしています。ネットに出しているのは全て過去作です。展示が終わった後で、展示に来られなかった方にも見ていただけるようにネットで公開しています。現物は見て欲しいと思うので、ネットで公開するタイミングには気を遣っています。   ―:金田さんのウェブサイトには、購入する方に向けたコンタクトフォームがありますが、実際にウェブ上から直接購入する方はいらっしゃるのですか? 金田:初見での問い合わせはあります。でも多くは、展示を見に来て、帰った後、反復して思い出しているうちに、やっぱり欲しいとなって問い合わせしてくる方で、何人かいらっしゃいます。あとは、一回購入してくださっている方は、現物の感じを知っているので、ウェブで見てお問い合わせくださる方もいますね。   ―:そうなんですね。そう思うとネットで買える気軽さは提供しつつも、リアルの場の存在は重要ですね。展示を見てくれた人が思い出してまた連絡してくれる、っていうのは嬉しいですね。 最後に、今後、作家としてどのような活動の展開の仕方を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 金田:最近いろんなご縁で海外でも展示できることが多くなってきたので、国内外いろいろな場所で作品を発表していきたいです。現地へ行けない展示だとギャラリーを介してのため直接感想などを聞ける機会は少ないのですが、海外の人と日本の人とで作品に対するとらえ方が違うみたいなので聞いてみたいです。 あとは、制作に関係するところですと、山登りでしょうか(笑)。今は山を中心に訪れていますが、もっといろんなものを見たい。実際の場所に出向いて取材することを作品に取り入れているので、色々なところに行って視野を広げたいと思っています。   キャラクター的な表現で、自然や土地を表現されてきた金田さん。テーマは一貫しつつも、興味の幅を広げながらそれが作品に反映されていく様子を垣間見ることができました。今後のご活躍も楽しみにしております。本日は、ありがとうございました。

涼しさの増してきた11月1日、植田爽介(うえた そうすけ)さんの初個展が開催されている北千住のアートセンター「BUoY」へ行ってきました。 北千住駅の仲町口から線路に沿うように住宅地を南にしばらく進んで行くと、太い道路に面したところにBUoYの入り口がありました。基本的には演劇に使われている施設とのことで、扉のない入り口を入ってすぐの階段のところに演劇は地下、植田さんの個展は階段上、と案内がありました。 2階に上がるところからまず一般的な白壁の展示ギャラリーとはおおよそ異なる様相を呈した建物の内部に衝撃を受けます。 扉で仕切られずに繋がった広い1つの空間。なかなかに広く開放的です。 大きく3つのエリアに分けることができ、そのうち一つはカフェのスペースとなっています。作品を見て回る前に空間の面白さで気持ちが昂ってしまいました。 こちらのスペースは元々ボウリング場だったそうで、壁や床にその要素を残しつつ、普段は演劇の練習場などに使っているそうです。上の写真の右側、カラフルな作品の並ぶエリアの床の線はボウリングのレーンの跡だそう。 私が植田さんの作品について他の作家にない魅力を感じている重要な点は、その色感の美しさ、視覚的強さです。視覚的美しさに加え、思考の量、練られたコンセプトの強度も持ち合わせ、評価されて然るべきアーティストの1人だと考えています。そうした点で植田さんらしさを感じて目を引いた右側のカラフルなエリアが気になりましたが、作品の展開に順序があるそうなので向かって左側の部屋から見てゆきます。 開いていましたが、恐らく扉。面白い。 向かって左の部屋に入ります。作品の鑑賞に至る前に、近付くまでの周囲の環境が良い意味で非常に気になる。なんだか冒険感があります。 『刻の忘れ物 (Still Life)』(2018年) 綺麗に並列されている向かって左のものは立体作品、右はその立体作品を撮影したイメージをリトグラフで平面に刷ったものです。 世界最大級のトカゲであり絶滅危惧種でもあるコモドオオトカゲの生態への関心から、次いで大きいとされるミズオオトカゲの皮を入手して、それらの生息する東南アジアの島々を彷彿とさせるような配置に電子部品を縫い付けた作品とのことです。 ピンク色の皮の色がリトグラフの方ではより毒々しく。手足が欠け磔にされたかのような姿には何だか痛々しさや悲しさを感じます。冒頭で見えた隣の広いエリアにはこちらのトカゲの版を用いてカラフルに展開した作品群がありますが、パッと見のイメージが格好良くてあまり気にならないそちらの作品群の裏側の出発点にこうした重さや毒々しさが隠されていることが皮肉のようで格好良いですね。 こちらの部屋の全体はこのような様子。次はトカゲの作品の向かいにある白い作品へ。 『Just the way your are(L), (R)』(2017年) 白い正方形のフワフワの毛の中に電子基板が埋め込まれている。私がスピッツのCDの中で唯一手元に持っているベストアルバムのジャケットを思い出しました。植田さんはスロヴァキアへ留学に行かれていますが、その中で立ち寄った街の上空図に沿って基盤が配置してあるそうです。こちらはウサギ9匹分の毛皮を繋ぎ合わせてあるそう。 次はこちらの部屋の一番奥、今回の個展のメインビジュアルにもなっている大きな熊の毛皮の作品が置かれているエリアに入ります。 作品を中心に、部屋の左右の壁に平面の展示があります。植田さんの所属する大学院でシカゴ大学との交換レジデンスプログラムがあり、シカゴに赴いた経験をベースにした作品です。熊に向かって右手の写真は香川県で成果展を行った時のものだそうです。 『Chicago Maps (on the origin of the country)』(2018年) 身体感覚的に作品を捉えると、痛みを感じる表現です。動物の皮膚に基板が縫い付けられている。既に死んでいる生き物の毛皮は人類が数多の製品に使ってきたものですし、もうただの物質と言えばそうなのですが、感覚を開いて鑑賞すると痛覚に来るものがあるように感じます。 人間文化がテクノロジーを得ると共に奪ってきた動物たちの命への悲哀のようなものが、植田さんの作品表現の裏側にはあるのかもしれない。と、コンセプト文でも言及されない要素を想像しますが、果たして真実はどうなのでしょう。 シカゴを訪れた経験、その都市の成り立ちについてのリサーチを元にした作品。シカゴという名前は先住民の言葉で「強き者」を意味するというニュアンス、そしてシカゴを開拓した創始者の毛皮商人の存在から、素材としてクマを選んだそうです。 日本には熊皮を鞣している工場が無いとのことで、日本のヒグマの皮をアメリカで鞣し、日本に逆輸入したものを使用。シカゴの地図をプロジェクションで投影し、建物の配置の通りに電子基板を配置。この作品についてはシカゴの高層ビルの高さの比率も正確に投影して基板を付けているそうです。 制作風景。 裏側の様子。毛皮の裏側はシカゴの都市の地中としてイメージして作られているそうです。基本的にボルトとナットで留め、場所によっては皮が厚くボルトが通らないため、針と糸を用いて縫い付けてあります。 建物の高さを投影してあるとのことで、横から撮った図。なんとなく、砂煙に巻かれた都市の景色のように見えます。 印象的だったエピソードはこちらの部分について。基本的にシカゴの都市を理屈的に正確に投影した作品ですが、シカゴで一番大きな噴水を見た時の植田さんの感動という個人的な体験・感覚をカラフルな配線に投影したのだそうです。理知的で感覚や感情の見えにくい植田さんの制作スタイルの中の、控え目な感動の表現に何だか可愛らしさを感じました。 こうして電子部品を用いた作品をじっくり見た後だと、この建物の床に固着したネジも何だか関連付いて見えてくるのが面白い。 気になっていたカラフルなエリアへ。奥の壁には植田さんの作品画像のスライドショーがプロジェクションされています。 手前の6作品は、先ほどのトカゲの作品のリトグラフの版を様々な色展開で刷ったもの。版は合計3つあるそうですが、2つだけ使ったり1つだけ使ったりと手法を変えることでバリエーションを出しています。展示されていない他のパターンも見せていただけました。 植田さん自身は右から二つ目の鮮やかな黄色を使ったイメージが好きだそうで、そちらは売約も付いたとのこと。 版を作ればこうして色味や重ね方を変えることでいくらでも作品に変化を付けることができ、予想と違う出方をすることもある。版画の最大の面白さはそこにあると考えています。 プロジェクションの壁の左手前の壁に貼られた縦長の作品。 こちらはヤギの皮に黒の単色のインクでイメージを刷っています。 続いて向かいの壁の大きな作品。 『Trace Element (Pig)』(2017年) 今回の個展の中で一番衝撃を受けたのはこちらの作品でした。 過去絶滅の危機に瀕したハンガリー原産のマンガリッツァという品種の豚は、人が食すようになったことで飼育が盛んになり頭数が回復したのだそうです。調べてみると、現在ではハンガリーの「食べられる国宝」として様々なメディアで取り上げられている様子。 スロヴァキア留学中にマンガリッツァ豚と出会い、その実態に興味を持ち作品の題材にされました。この豚の特徴である巻き毛を取り分けて様々な場所に配置し、腐敗する様子を写真に撮って版を作り、なんとその毛から抽出した色でイメージを刷ったのだそうです。 こんなにも鮮やかでカラフルな色は、当然のように人工のインクで刷っているものだと思い込んでいました。にわかに信じられません。毛を置く場所で、環境の影響で、こんなにも多様な色が生み出されるのですね…。 今回の植田さんの個展には山縣青矢さんの手によるコンセプト文が添えられています。その中に植田さんの愛読書であるマーク・トウェインの『人間とは何か』にある人間機械論、外部の環境が人間の行動を決定している、とする考えが紹介されていました。 人も豚も、環境によって生かされている。抗えない無意識の部分は多分にあると思います。それでも、それを知った上で、植田さんは自分の力で世界を捉え直そうと試みている。そうした姿勢を見て取ることができました。 植田さんご本人と共に。 最後に。プロジェクションで展開されていた画像もどれも格好良くて見ていただきたいものばかりでしたが、あまりに枚数が多くなってしまうため、植田さんの紹介写真をプロジェクション前で撮ろうとした過程で面白かったものを少しご紹介。 鮮明なイメージが衣服の柄のようにはっきり投影されていくのがとても面白い。来場した方もここに立つことで面白い写真をいくらでも撮って無限に楽しめる、エンターテイメントのような展示空間の演出が非日常的で良いですね。 (清水悠子)   植田爽介さん オフィシャルウェブサイトはこちら https://sosukeueta-art.jimdo.com/biography/jp/ 【今後の展示情報】2019年3月まで毎月展示の予定が決まっているそうです。是非ご覧になってみてください。 シブヤスタイル vol.12 2018年11月27日~12月9日 西部渋谷店 B館(東京) Sequence 10 2018年12月18日~24日 高松市美術館2階 一般展示室(香川) 第62回 東京藝術大学 卒業・修了制作展 2019年1月28日~2月3日 東京藝術大学(東京) Group Exhibition 2019年2月8日~3月3日 EUKARYOTE(東京) KUMA EXHIBITION 2019 2019年3月22日~24日 Spiral Garden & Hall(東京)

平素は格別のお引き立てを賜り厚くお礼申し上げます。 年末年始休暇の期間を以下の通りとさせていただきます。     ■年末年始休業期間 2018年12月29日(土)から2019年1月6日(日)まで 2019年1月7日(月)通常営業とさせていただきます。 本年中のご愛顧に心より御礼申し上げますとともに、来年も変わらぬお引立てのほど、宜しくお願い申し上げます。

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