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作家リレーインタビュー

作家インタビュー第12弾は、奥誠之さん。宮川慶子さんからの紹介です。 https://www.okuart.com/ 2014年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業、2018年東京藝術大学大学院美術研究科卒業、2016年までは主にインスタレーション作品を展開し、2017年より絵画を中心に制作されています。 河口:あなたにとって、美術、制作することとは何でしょうか。 奥:自分の制作と、美術っていうところはたぶん結構分けてるところはあって、美術は専門的に大学に入って勉強して、知識があるっていう立場でいたいなと思って、で、制作の方はむしろ知識を捨ててるような状況で、自分の感覚とか原体験に基づいていくような行為としてやっていて、それを実際展示して人に見せる時に、それが何なのか、とか、何の価値があるか、みたいなことを話しつつ、その中で知識が生きてくるかなぁと思っていて、 ー:とすると、美術は、絵を描く技術ではなくて、言葉としての武器として使っているというイメージですか。 奥:そうですね、美術史とか、制作にしても、大学の時は課題があって作らされたりとかしていて、こういう表現があるとか、技術的な面も歴史的な面も知識で僕らはやってるところがあって、そこは趣味でやってる人と自分(大学で美術を学ぶ人)の大きな違いだなと思っていて。せっかく勉強してきたから、人前ではそういう態度でいたい。制作としての美術と言葉としての美術は、分けてますね。だから。 ー:制作も最近の絵は原体験に戻ってるということで、奥さんの制作活動や展示の形態も美術史にのっかって作ってるものではないと思うのですが。敢えて、意識的にやっている? 奥:意識的にやってますね。なんか、美術史にのっかれる人は友人にいるし、僕は知識をめちゃめちゃ持っているわけではないんですけど、美術史に興味を持っている方ではあるのでそういう人間が敢えて違うマーケットに挑むとか、もっと分かりやすく伝えるという役割になってもいいかな。 ブランクラス(2009年に芸術を発信する場として横浜にてスタート)で詩の朗読とか、おしゃべりスポットをやっていて、広くアート学んでいない人に対して行為をしたい。 ここ最近はずっとそうで、たとえば展示会場で来た人にお茶を出したらその人はそれを飲む時間だけは滞在するじゃないですか。その時間でじっくり作品を見てもらったりお話したり、簡単なことだけど、そういうこととか、気を静める場づくりを意識していて。 ー:ブランクラスとかってある程度美術/文化に教養なり想いを持ってる人が来ると思うんですけど、奥さんのやりたいことを聞くと、じゃあもっと幅広く社会に分かりやすく伝えることで、行った、あるいは今後行いたいと思っていることってあるのでしょうか? 奥:今、マルシェ流行ってるじゃないですか。そこで絵を売っている人がいて、その人と知り合ってぼくも絵もマルシェで絵を売る活動を始めました。その人の旦那さんがマルシェの主催をしている人で、大きな商業施設の空きスペースでマルシェを開催してるんです。僕もそこに混ぜてもらって子供と絵を描くワークショップをやったり絵を売ったり。マルシェだと本当に通りすがりの人に対してアプローチできるので、今後もこう言った活動は大切にしていこうと思ってます。 ー:そういう風に考えるようになったのってどうしてなんですか。 奥:それはムサビを出た2014年から数年の間に自分がいた環境が影響しています。ムサビを卒業した頃からOTAFINEARTSっていうすごく大きなギャラリーでアルバイトをしてました。そこは僕にとって夢の世界というか、大きなお金が動いてて、そのおかげで所属アーティストの作品も大きく展開できてっていう。 自分はこういう場で活躍するアーティストになりたいと思ってたから、戦略を練るわけじゃないですか。どうしたらこの人たちみたいになれるか?みたいな。ただ戦略を練っていけばいくほど、なんか、普通に街を歩いてる人と話が通じなくなる感覚になったんですよね。例えば飲み屋で隣に座った人と話して「ぼく美大生なんです」って話になったとして、「何やってるの?」「油絵科にいて…。」みたいな会話がある。でも「じゃあ絵描けるんだね」って話になると、僕、その頃絵やってなかったんで。「インスタレーションでこういうことしてて」ってことを話したいけど、隣に座って話してる人はインスタレーションっていう言葉をそもそも知らない、みたいな。 そういう場面に多く出くわして、今自分がやってることって、誰の何のためにやってるんだろうっていうのがだんだん募ってきて、それが2014年から2016年までずっとモヤモヤしてた。たぶん吹っ切れたのが2017年で、アトリエを友達の家に仮住まいというか借りることになったのが大きかった。それまであんまりアトリエとか使わなかったんですけど、アトリエ持ったからもう全部絵に変えようっていうのになったのが2017年。 ギャラリーでバイトして、どれだけの人がアートを見てるかっていうか、アートに価値を見込んでちゃんとそれに対してお金を払うじゃないですかギャラリーだったら。それはどういう人で、何人くらいで、というのがぼんやり頭の中で見えてきて、足りないと思って。ギャラリーの人達とか作家はほんと素晴らしいからそこに対してどうってことじゃなくて僕はアートに価値を見込む人の母数が足りないなと思ったから増やす方向にまわろうと。それが後々絵を描いて絵を選択したこととか絵のサイズとか絵の値段とかに繋がっていて。 ー:どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 奥:それは結構小さい頃から絵を描くの好きだし、っていう典型的なタイプだと思うんですけど、母親が海外志向というか、クラシックとか印象派が好きで芸術に理解があった。中学生かなんかの時に母親がイギリスに仕事でいって、僕はじめて海外つれていかれて、母親仕事だから、朝ナショナルミュージアムに僕をおいて、夜帰ってくるんですよ。8時間くらい僕美術館にいなきゃいけなくて。それが、嫌とかまったくなくて、むしろずっといれる。で、退屈しないし、自分で物事考えられる、向き合える時間で、だから絵を見るのとか一枚に1時間かけても飽きないとかいうのは、子供のころからわりとそういう感じでしたね。 ー:アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか。 奥:ここ最近でいうとほんとに音楽と絵本にめちゃめちゃ影響受けてて、絵本は「ささめやゆき」さんっていう人がいて、その人の絵をみたときに、上野に子ども図書館あるじゃないですか。芸大の近くに。そこに行って、見てたら、僕が絵を描いて、現代アートの中で絵をやろうとしているのと全然違う伸びやかさがあって、こんな形描けるんだな、って。僕はすごい狭い中で絵画について考えてたなと思って。そういうことがひとつ絵本からの影響。 音楽は、例えばaikoとか、大学になってから聴きだしたんですけど、最高じゃんみたいな。「交差点」とか、そういうワードが出てきて。折坂悠太、この方は2017年に僕が絵描きだすときに知ったんですけど、薬局のカエルとか、はすむかいのピアノの音とか、そこら辺にあるもの達のことを言ってて、それにすごく刺激を受けた。現代アートって、なんか社会のことがすごく難しく表現されている気がして。もっと身近な「交差点」とか「薬局のカエル」とか、アートで見ないな、と思って、そういう表現をしたいなと思ったときに、この辺の人達が気になりだした。 ー:現代アートがトップから降りてくるっていう感覚なら、奥さんのされていること、やりたいことって共感を呼んで、膨らましていくというか、そういうイメージですかね。 奥:本当、僕は共感だなと思っていて、自分のやっていること。 インスタレーションをやっていたときは、文脈とかコンセプトとか、ある程度言葉で構築したことをベースに、作るときにそれを飛躍させるみたいな意識でやってたんですけど、絵を描き出してからは言葉にできないことをしてるって意識が強くなった。言葉未然の声みたいなものが一筆一筆に乗っかって、一筆ごとに声を発してるようなことなんじゃないかって。 ー:言葉で言えないことって恥ずかしかったり、言葉にするのが憚られたりで言えないことなのか、あるいはそもそも自分自身が言語化できないものなのか。 奥:たぶん両方あって、僕、人付き合い的には広い人間なんですけど、あんまり自分の素を出せてないというか、なんだろうな嘘ついてる感覚もあって、絵描く時だけが、あぁ帰ってきた~みたいな笑。2,30枚一緒に絵を描くから、計算がゼロの状態で書いていて、それを面白がっているような状態で、そこで見つけていくというのはあるかも。 ー:ちょっと嫌な質問かもしれないですけど、価値を広げていく、今、純粋なところで絵を描いているかもしれないけれど、それってどこかしらのマーケットにはまっていく、もしくは作っていくことになるじゃないですか。それって、現代アートじゃないとすると、どういうところを狙っていってるんですか。 奥:そうなんですよねー。それがわかってなくて、まだ。やっぱり現代アートとか、美術館にあるものたちにつながってほしいなという気持ちはあるんです。ただより広く普及させるには絵本がいいかなとなんとなく思っていて。僕の絵は絵具が混ざっていたり物質感があったり、画像に落とせないところがあるんですけど、たとえば荒井良二とか、かなり絵具感あるんですけど絵本として印刷されてて。僕は絵具のまま、形としてなってない状態のまま、人に渡るとなると、結構絵本かなぁと思って、いつかの楽しみ、数十年後の楽しみでいいんですけど、ひとつ絵本はあるんですけど、 ー:奥さんの絵ってひとつの絵の中にもストーリーがありそうだなぁと思っていて、その一枚の絵だけじゃなくて、連作として何か語りたいとか、伝える物語って想定しているんですか? 奥:今のところは全くなくて、何か誰か文章を提供してくれたらすぐに取り掛かれる気はするんですが、自分の絵はほんとにいっぱい並べた中で、こっちは緑こっちは青とかってやっていて、別々なものが描かれていくから、絵本みたいに毎ページ同じものが出てきてっていう状態にはならないものなんですけど、でも、時々で考えて感じて描いてきた絵が、半年単位とか一回個展するまでに全体のテーマみたくなっている気はします。例えば「ドゥーワップに悲しみをみる」、っていう展示の前は、ほんと働いてなくて、犬とばっかりいたんですよ。 犬とずっと散歩して、大学博士受けて落ちて、まさか落ちるとはって感じだったから途方に暮れていて、3か月くらいは全く何もしないで、犬と実家にいて、犬に餌あげて遊ばせて、ただ撫でてる、これが一番幸せだなーとか思ったけど、先に犬が死ぬよなーとか考えてて、そういう中で描いた絵は結果として共通の気持ちが入っているような気がします。犬とコミュニケーションしてるときが一番絵を描いてるときに近い、自分の素だなって。それくらい、言葉がいらなくて触れられるものが好きなのかもしれないですね、今思えば。 ー:絵自体は完全なる抽象じゃなくて、意外とものじゃないですか。そこってぱっと絵具を塗っているにしても、考えてはいる? 奥:たぶん感情みたいなものを具現化するための人、犬とかになると思うんですよね。人も見た人描いてるとかは全くないし、犬も飼ってる犬種を描いてるわけでもないし。 インスタレーションの時は、歴史のことをやっていて、それを学びたい気持ちは今でも変わらないんですけど、今はそういうところから介護とか障害とかそういう本を読むようになってきて、過去の大きな出来事じゃない、身近なとこの助け合いとかになってきたんですけど、それが絵にも表れてきている。 インスタレーションで歴史について考え出したきっかけは、ムサビ(武蔵野美術大学)のとなりって朝鮮大学校があるんですよ。僕がいたころから交流展みたいなのをやりだして、そこに誘われて3回目くらいに出展したんですよ。で、4,5回目がムサビと朝鮮大を橋で繋ぐ、みたいなことをやって、結構話題になったんですけど、そこで、在日の彼らとディスカッションをしていると、彼らはアイデンティティについて常に考えていたんですね。で、僕はそういったことが美術の表現にあまり直結していなかったりするし、ぼんやりしていて、じゃあぼんやりしていることの特異性をこうやって表していると思うんですけど、僕はなんでこんなに無知なんだと思って、自分の家族のことだったら身近だし、家族の過去を調べてみようってことで始めたんですよ。 でも家族の歴史を見ていくと、自分が権威の側、支配する側にルーツがあって、その末端に東京の裕福な家庭に育った今の自分がいるということが見えてきて、そこに対する負い目が強くなってきた。その負い目をモチベーションにするのは違う気がして、もっと自分が当事者として今思っていることを発信したいと思ってきたところで表現が絵に変わっていった。 :今までのお話を伺っていると敵を作りたくない? 奥:そうなんです、絶対数年やってくとボロが出る、というか失敗するっていうのはめっちゃ分かってるんですけど。 現代アートで何に違和感があるかっていうと、飛躍するステップがあって。視点が急に変わるということがアートではやっぱり面白いなって思うし、その展開のさせ方は美大で習う技術でできるようになる。でもその技術だけで、社会的な問題や過去の大きくて悲惨な出来事を扱って作品を作れるかというとそうじゃないと思う。過去の出来事に接する際の文献の調べ方とか社会的な問題の当事者へのインタビューの仕方とかそういうところは美大では教わってないから、そこの技術が僕にはなくて、歴史や他者を扱うときの限界が見えてきた。 たとえば大学で社会学を専攻してたら常に被験者とかインタビューされる側の話を大学で学んでいるとか、先生のフィールドワークに同行してそこで見たリサーチの技術を自分の研究に活かすとか、そういったステップがあるはずなので、そうやって他者と関われたらいいんだけど、ずっと絵を描いてきた人が、今の主流はそっちだからといって、いきなりそういったテーマを扱うのは怖い。 ー:ちゃんと批判があったときに勝てるだけの理論武装ができてないと、っていうのはありますよね。 奥:そうそう、だから学校でそういうことが教われるっていう状況にも早くなって欲しいな。 他には作品が残ることとかは、本当にいろいろ考えて、ゴーギャンは昔タヒチにいたんですけど、タヒチにゴーギャンの作品は一点もないんですよね、オリジナルは。フランスとかにあって、億単位でやり取りされていく。でも、ゴーギャンがいたおかげで、観光地として結構有名な島になって、ゴーギャン美術館っていう、ゴーギャン作品のレプリカの美術館もできた。これって何なんだってパラオ行った時思って。(注:2016年、家族史のリサーチの一環で南洋庁に勤めていた曾祖父のことを調べるためにパラオに2ヶ月滞在した。) 最近の美術館って植民地にした場所から収奪したものを返していくっていう動きがあるんですけど、そのゴーギャンの例にしても、そのままタヒチに残っていたとしたら保管はきかないし、保管のプロもいない。それで作品が消えていっても良かったのかもしれない。でも作品が残っているおかげで僕はゴーギャンを知ることができたし感動することができた。それを引いて見れば、タヒチと縁もゆかりもない人たちが作品を愛でて、そこに大きなお金が動いて、そしてそこはかつての戦争で勝った国でという構造がある…。それをどうしたいっていうわけじゃないんですけど、その関係性って面白くて。 ー:面白いですよね。ほんとうにそれは答えもないところだけど、需要と供給の関係性の中になければ、物事に価値って何もない。 奥:でも、貨幣価値じゃないところでの価値、そういうところがこれから重要なんじゃないかなと思っていて、そこで何かしたい。 ー:貨幣価値じゃないところ、っていうとそれこそ奥さんがやろうとされている人とか共感なんじゃないですか。 奥:そうですね。物を見て、それを好きって思うこととか。 僕は絵を勝手に芸大の修了展で売って、5000円から10000円って値段をつけてて、僕は2,3年ぶりに絵を描いていたし、そんなに大きな値段も付けられないと思って、で、買ってくれた人たちとの関係性って今でも続いていて、結果的に1年半とか2年で、48枚くらい作品が売れたんですけど、そこも残るとかについて考えるきっかけになって、 今まではアーティストへの道が一本あったら、美術館に所蔵されたらアーティストとして名が残るだろうと思っていたんですけど、前に僕の絵を高校生の女の子とかが買ってくれたり、お父さんもお母さんも買ってくれて、その高校生の女の子が死ぬまで大切にしてくれたら、トータルで100年とか残る可能性ってあるなと思って、自分が人に作品を渡してみて初めてその残る、残らないとか、歴史とかいうものの価値観が変わってきたんですよ。 それが自分の作品だけではなく、横にもじわーっと広がっていくことが目標なんですけど、その辺が難しい。こうしたことを考えている人と出会いたくて、出会えてもいるし、けどまだ足りないというか。現代アートのトップギャラリーだけがアートじゃないし、銀座の画壇だけが美術じゃないわけで、でも先生たちはそこの人たちだから、どうしてもそこが目指すレールになる部分は出てくるけど、イラストレーターとか絵本作家とかもっと色んな形でアートなり美術が存在できる場所はあるはずで、油絵科の教授にそういう人も入ってくれたら美術教育の段階でもっと学生の今後の選択肢が増えるような気がする。 ー:最後の質問になりますが、今後、作家としてどのような活動の展開を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 奥:マルシェで絵を売る活動とかを僕はアウェイ戦って意識でやってるんです。今までアートや美術鑑賞に馴染みがなかった人に作品を見せて買ってもらうまでいくっていうのはかなり難しいとは思うんですけど、僕や誰かの作品をきっかけにその人の今後の生活が少し変わっていくみたいな可能性は捨てきれなくて、そういうことは今後もやっていくと思います。 直近の発表は三軒茶屋にある生活工房という場所で行われる「プライベート・コレクション展」という展覧会に作品が出ます。この展覧会は、個人宅にある美術作品の展示風景を写真作品として発表してきた藤井龍さんというアーティストの活動に焦点を当てたもので、今回の展覧会のために募集をかけて集まった個人宅にある美術作品20点と、藤井さんが撮った写真、作品所有者のインタビュー映像が展示されるそうです。 藤井さんの活動は、勝手に自分と近いことを考えてるんじゃないかと思って前から興味があったのですが、僕の絵を買ってくれた人がこの展示に僕の絵を出してくれました。展覧会自体の企画には全く関わってないので普通に一鑑賞者として楽しみにしてます。 ----- fig.1 ヤップ島で使われている石貨という石の貨幣は、それが使われてきた来歴によって価値が決まるという。初個展「南洋のライ」(2014年)では、石貨とそれを日本に持ち込んだ曾祖父との関係を扱い、価値と物語の関係を考えた。 fig.2 2017年にアトリエを借りてから絵の制作を再開した。再開後すぐの作品とアトリエ。 fig.3 2017年、OTA FINE ARTSでアルバイトをしているスタッフによるグループ展「Assistants」で発表した作品。国立競技場と家族の関係を扱った。 fig.4 「ピアニスト」2019年 fig.5 2018年、blanClassでのイベントで行った絵の展示「ドゥーワップに悲しみをみる」 fig.6 今年5月、吉祥寺パルコのマルシェに出店し、グループ展「PART: 生活の一部(?)」を開催。計31点の作品が売れた。

作家インタビュー第11弾は、やましたあつこさん。2018年に東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業、2019年1月に行われていた個展「君を名前で僕を呼んで」を見に行ったあと、アトリエにてインタビューに応じていただきました。 https://atat000x.wixsite.com/siatsuko/statement https://www.instagram.com/siatsuko/    河口:やましたさんにとって美術、制作することとはなんでしょうか。 やました:わたしは結構生活に密着してるというか、なんか絵を描く時ってこう、描くぞみたいな感じで描いて、終わった!って仕事みたいに描いてる人が多いと思うんですけど、私はON/OFFとかはなくてずーっと、ずーっと描いてる。   ―:今も、お話ししながらずっと描かれていますものね。ポートフォリオに呼吸するように描くって書いてあった気がします。 やました:そうそう、生活することの一部っていう感じ。絵が小さい頃から好きだったんで。昔は重い腰あげて描く、みたいなところあったんですけど、今は全然そういうのもなくて、ご飯食べるみたいな感じで、絵を描く。   ―:昔って? やました:大学生の時とかはそんな感じでしたね。(作風が変わり)今の絵になりはじめたあたりからアーティスト活動を始めているっていう感覚で、その時くらいからはずっと絵描いてる。 展示だしたりとかコンペだしたりとかもしていて、卒業制作の時にずーっと描いていたんですよ。こんなに毎日描くくせに。 朝9時に起きて、12時に学校ついて、12時から12時まで12時間描いていて、12時になったら終電だ!って走って帰って3時くらいに寝て、9時に起きて、っていう生活をずーっとやっていた。そうしてる時に ”絵を描く”ってこういうことだなって。 前は絵を描くぞ!って距離があった。段階踏まないと描けなかったから、絵と自分の距離があったなと思っていたんですけど、その頃から、ぴったり絵と私の距離は縮まってきたというか。そういう風に思う。今は生活の一部、”描いてる”。   ―:私、やましたさんの絵って、辛さがないから好きなんですよ。それで、その後でポートフォリオ送っていただいて、見たらコンセプト文に「邪魔のない世界」って書いてあって、でも日常って邪魔ばっかじゃないですか。 やました:邪魔ばっかですね、本当に。   ―:さきほどおっしゃったように自分と絵の距離は縮まったとして、日常と空想の境って色々な邪魔が入って、大きな溝がある時に、その日常と空想の世界の溝はどう処理されているんですか? やました:考えたことはなかったんですけど、確かに邪魔は多いし、ずっと幸せっていうわけにはいかないので、なんだろう、何考えてんだろ。   ―:絵を描くことは、それを考えないための行為ではない? やました:行為ではないですね、邪魔のない世界っていうのは、話の中の二人がずっと一緒にいて、想い合える、性別も関係ない。それは人間にとって結構最高なことなんじゃないか、と思っていて。自分の小さい頃の幸せのイメージみたいなのもありますよね。ふたりの世界は邪魔はない。 空想は昔からしていて、いつでもどこでも時間があるとしたりしてる、それに慣れているから日常と空想の溝ってないかも。現実でショックなこととかももちろんあるけど、なんだろ、そういう事から絵が私を守ってくれているんだよね。 今の私にとっては二人を描いてることがわりと幸せだったりするんで、絵を描くことが一番好きだし、私の幸せと(空想の)二人の幸せはちょっと違ったりする。   ―:描くことでその世界を作りあげているのか、あると思っているものを描き起こしているのか、どちらですか? やました:前者ですね。創りあげてますね、完全に。空想することが好きだったんで。それが現実にあるとはあまり思ってなくて。 絵を描く時に「何が自分に一番近いんだ?」とか「何が一番描きたいんだ?」っていうことを大学入ったばかりの時によく考えていて、当時は本当の意味で楽しく描けていたわけではなかったんですよ。でも芸大に通っていたし課題もあるし絵を描くのは好きだから描いていた、そうしたら大学2年生の頃にネタが尽きてスッカラカンになって、じゃあ本当に描きたいものって何だろう。それがこれ(今のコンセプト)だったんですよ。でも恥ずかしくて。 自分の物語というか空想・妄想を描いて見せるなんて恥ずかしくて、自分の1番真ん中にあるものだし攻撃されたくないって思ってた。それを見せた時に他の人が悪い反応をしたらショックで無理だなっていうのがあって、それが怖くて出せなかった。描こうとも思ってなかった。 でもスッカラカンだし、描きたいものを描いてみよう!見せなきゃいいんだ!ってコソコソ家でイーゼル立てて描いてみた。そしたら楽しくって、全然上手く描けないけどとにかく楽しかった。まだその頃は後ろめたさがあったけど、楽しいが勝ってて。 見せないつもりで描いたのに、たまたまグループ展示があったから勢いで出したら、わりとみんな面白いねと言ってくれて「大丈夫なんだ。これ描いていいんだ」って衝撃だった。この空想以外だとなんもないから、他に描きたいものもない、自分に一番近いものじゃないと嘘になっちゃうから、嘘は描きたくないと思って、本当のこと描きたいから、これにしよう、と。 それまでは普通に家族とか当時付き合ってた恋人を描いていたりして、それが一番近いかな、みたいな。自分を形成する周りの人だから、と思って描いていたんですけど、有限じゃないですか。有限だから尽きちゃうんですよね。目の前に居てくれないと描けないし、やっぱり他人だから何を考えてるのか全部は分からない。描くのが限界あるなと思って、じゃあ何が全部分かるんだろう、何だったら、私が全部分かって描けるんだろう、何を考えてて、どんな性格で、こういう時はこんな事を感じて、そういう事がわかるもの、あとどうしたら楽しく描けるのかをずっと悩んでいたんですよ。 そんな時、こういう絵を描いて。自分に近いから描いていられるし、飽きない。日々受け取ったことを何か消化して形になって出してるので、無限に描ける。 本当に好きなものを描く。これを(今のコンセプトで)描き始めたら全部変わった。絵が私をいろんなところに連れていってくれる。いろんな人がリアクションをくれるようになったし、友達も増えたと思う。コンペも通るようになって、教授とかもいいねと言ってくれるようになった、個展もやってみよう!って、それで作品も売れたり。大学2年生の時にこの出来事があったのはすごくタイミングが良かったんだと思う。   ―:群馬青年ビエンナーレ(美術コンペ)の設営で、前日までドキドキしていたけど、絵が楽しそうにしてくれている、とおっしゃってましたけど、それこそまさに分身っていう感じなんですね。 やました:そうですね、分身。おしゃべりしてる感覚に近い。絵を描いてるときも、キャンパスを地塗りして作ったりしているときも、おしゃべりして描いてるみたいな感じ。 展示の設営は緊張するんですよ。いっぱい描いているし、しかもその場で展示する作品も決めるので、描いた作品を全部持ってきて、一回床に並べてから一個ずつ組み合わせて設営していくから計画的じゃないんですね。 だから終わるか分からないし、組み合わせが合わなかったりして設営できなかったらどうしようっていう不安はあって、展示する前は心配になるんですけど。 でも、作品が並ぶと、作品の方から大丈夫だよ!みたいな。飾られて嬉しいなぁ、いい景色だしこっちは大丈夫だよ。って。 あれ?私すごい心配したのにこいつらすごい楽しそーみたいな。心配して損した。でも毎回そんな感じ笑   ―:木だけの絵とか星だけの絵があったり、あとは最近ですかね、木の角の生えている子がいたり。その辺の生命の違いってあんまり意識してない? あんまりないですね。描いてるものっていうよりは、描きたいのは、人が感じる心の動きみたいなのが描きたくて、好きだから寂しいとか、好きだから幸せだけど、なんか虚しいとか、そういう感情の動きとかを描きたくて二人を描いている。だから女の子でも男の子でもない。女の子にみんな見えるけど、性別はあんまり意識してなくて、だってそっち(感情の動き)が重要だから。 絵具と喋ってるっていう感覚があったり、この二人とも会話はできるし。物語をなぞって描いていて、その中のシーンで星があったり、木があったり。   ―:すべての作品をまとってる雰囲気が柔らかくて、愛情深くて、優しいです。 やました:やっぱ好きだからですかね。描くのも、物語も。前は画面的に強い作品を作っていたんですけど、そうじゃなくて内面的・内容的な方が私は大事。   ―:赤と青って最近は違ってきてるとは言え、ストレオタイプ的に男女を示すじゃないですか。何で赤と青で描くんですか? やました:なんでだろう、私も分からないんですよね。単純に赤は好き、青も好き。そういうシンプルな理由かな。空想の中で出てきた時にすでにそうだった。   ―:それらって必ず絵として表れるんですか?物語として文章として出てきたりは? やました:文章として出てくることはあるけど、絶対に見せない笑 すごい言われるんですよ、そういうの見せないのか、とか言われるんですけど、私の話を聞いてくれっていうことじゃなくて、個人個人で感じて欲しいから、私はこういう話を書いてますって提示しちゃうとそれになっちゃって、それ以上考えなくなるなと思っていて、それは死んでから見つけてください笑   ―:燃やしてから死んだ方がいいんじゃない?笑 ちょっとしたステートメントの文章も比較的詩的なイメージがあって、そこは繋がりあるの? ステートメントは作っているけれど、でもそのステートメントを読んでも話の全貌はあんまり分からなくないですか。ふたりの関係だったり、私が客観的に見てる二人みたいな感じなので、そこは見てもらっていいかなと思う範囲でステートメントは書いてる。   ―:こんな二人だけの世界って羨ましい。 やました:羨ましいですよね。   ―:すごい羨ましい。洋服も着ずに、ただ生命として生きてるのが羨ましい。さて、次の質問に移りますが、転機となった作品があれば教えてください。 やました:みんな褒められたいとかあるじゃないですか、絵がいいねって言われたいとか。でもそういう邪念って考えれば考えるほど絵が悪くなる。人目を気にして絵を描いてると、全然楽しくないし、結局自分の描きたい絵じゃないんですよ。で、なんか絵が描けなくなる。何を描きたいかわかんない、みたいな。そういう気づきをもらった作品。 これがほんとに最初のころで、先程話したやつですね。スッカラカンになって、どうしよう、先生に褒められたいけど何を描きたいかわかんないしって、ちょうど2年生が終わる春休みで長期休みだったから、もう好きなことしようと見せる気なく描き始めた。その時の絵。 それ以前は、予備校・大学と課題を出されてそれに応えることを繰り返しているうちに、自分の描きたいものがわかんなくなっちゃって。焦ってましたよね。芸大入って、入ったら放任。みんな期待して入学すると思うんですけど、芸大に。実際は全然そういうのじゃなくて、自分で探さなきゃいけないし、入ったからって何かあるんじゃなくて、考えなきゃいけないし悩まなきゃいけないし。めちゃくちゃ焦ってましたね。   ―:作家として有名になることがいろんな人に見てもらう手段だから、私は作家になるならやっぱりある程度見てもらえる立場にいくべきだと思うんですが、でも、ほんとにピュアさを求めるなら、職業作家にならない方がいいという選択もある。そこは悩まずに絶対作家と思ってたんですか? やました:絶対作家。好きなことをして生きていきたいから、後者だと絵を描くために何か他のことをして稼がないといけないじゃないですか。作家になりたいし、自分が思ったこと、自分が生きてた事を残したい。描いて作品じゃなくて、人の手に渡って作品だと思ってるから。売れなかったりしたら、それはただの絵で作品じゃないから。 絵が売れたら嬉しいし、見てもらっていいねと言われたら嬉しい、それはいい事だと思うし、ピュアかピュアじゃないかは、本人次第だと思う。   ―:やましたさんは、見る人には好きに見てもらえれば、っていうスタンスだと思うんですが、今日も私が色々思ったこと言ってたら、うんうんそういうの聞くの楽しいからどうぞって。でもほんとに勝手なこと言われていいんですか。 やました:見てもらうのは自由だし感じてもらうのは自由だし、それを強要するのは違うと思うけど。嫌いだと思われても別にいい、ネガティブな事を言われてもそれはその人の意見だし。私は自分の作品の1番の味方だから、いいですねと言われればそれは嬉しい。 絵を通して何かを気づかせたいっていうのはないけど、美術予備校で先生やってるから、そういう子たちに自分は絵を描いていて、個展したり、コラボでこういう絵の仕事もらったりしてるよって活動してるのを見せたいんですよ。みんな不安なんですよ。美大は行きたいけど、アーティストになるためにはどうすればいいかわからない。美大入ってからってすごく謎じゃないですか。みんな一度入ってから絶望すると思うんだけど。そういうのを無くしたいというか、自分の生徒には見せたくて、絵で食っていけるんだぞって作品っていうのは売れるんだぞって。半分くらいはバイトだけど、半分は絵で稼いでるから、まだまだだけど、そういうのを見せたい。 私の先輩はそういうの教えてくれなかったし、卒業したら何してるのか分からないっていうパターンが多くて、それも怖かったし。みんな何処に吸い込まれていってるんだろう?!って。   ―:それはほんとにそう。あの人は今?!状態は美大あるあるですよね。 やました:それをそうじゃないんだ。って見せたいんですよ、私は。 責任感じゃないけど、なんで頑張れるか、去年はコンペ出しまくって、卒制なのに個展もやって他の展示も出して、なんでそんなに動いてるの?って言われたけど、なんでっていうと絵を買ってくれた人たちに恩返ししたいし、生徒には、希望を見せたい。 こういうやり方があるんだ。とか分かるじゃないですか。個展とか展示をしたら活動しているんだなって、賞を取ったら自分が買った絵が少なからず評価されているって絵を買ってくれた人も嬉しいじゃないですか。そういうことで、なお頑張れる。基本頑張りたい。それは最近思っている。前は本当に誰も私のこと知らないから、とにかくがむしゃらにやってたけど、頑張る理由は前より少し変わったというか増えたというか。 相談されるんですよ、生徒に。私は私がわかる範囲で全部答えるけど、予備校って絵を教えてもらって「作家になるにはどうしたらいいんですか」って先生に聞いたら、先生はアーティストじゃない人だから答えられない。とりあえず描けよ、って言われる、それって不思議だし嫌じゃないですか。   ―:いい。先生が頑張ってるってすごい重要だと思う。どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 やました:物心ついたころから。それ以外にない。いいんですか、こんなんで。笑   ―:すごくいいじゃないですか。笑 好きから始まって、いろいろ葛藤あったかもしれないけど、好きのまま、それも呼吸をするように自然に好きで今いることが素晴らしいなと。 やました:好きですねー、絵がなくなったらつまんない。絵がなくなったら人生どうしようとかじゃないけど、なくなったら普通に人生つまんないと思う。   ―:自分は人間がすごい好き、人類って何だろうってところからそもそもは始まって、美術に来たんですけど、美術を通していろんなものを見ることができていて、美術やってなかったら何やってたんだろって思いますよ。 やました:ニートじゃないですか。   ―:ほんとそれ。ところで、アートに限定せず影響を受けたクリエイターはいますか。 やました:あんまりいないかも。好きな作家とかはいますよ。でも、影響を受けたっていうほどの影響はどうかな。 自分が生活していく中で、いろいろ影響を受けて今の自分や作品があると思うので、コレというのはあんまりないかな。映画見たりとか海外行ったりとか、日常の体験が強い、そういうのじゃないと。 映画は『ぼくのエリ200歳の少女』とか。個展の展示名も映画の題名使ったりするし。ぼくのエリは人間とバンパイアだけど、同性同士とか、ちょっと違う人の恋愛、その中で生まれる感情の動きとか好き。   ―:最後になりますが、今後作家としてどのような活動の展開の仕方を考えていらっしゃいますか。今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 やました:有名なアーティストにはなりたい、それはずっと目標。個展も展示もしたいし、やったことない場所でも展示がしてみたいし、商品のパッケージデザインとか陶器の絵付けとかやったけど、本の表紙もやってみたい。 みんなが思うアーティストって絵一本とかかもしれないけど、私はいろんなことやってみたくて、作品として展示とか個展もやりたいし、プロダクトデザインもやってみたいと思ってて、そういうのできたらいいな。自分を知ってもらうきっかけとしてそういうことはやりたい。実際の作品を見てもらうのが一番だから、最終的に作品を見に来てもらいたいな。 今年語学留学したいと思ってて、海外去年5か国くらい回って、英語の重要さ感じて、短期でも行きたいなと思ってる。そしたら海外もレジデンスも行けるかなって、そんなこと考えたりしてます。

作家インタビュー第10弾は、永井天陽さんです。 https://www.solayanagai.com/ 河口:初めて永井さんを紹介いただいて(去年一緒に仕事した作家さんの運転手として挨拶したのが最初の出会い)から、ずっと作品が気になっていました。リレーではないですが、せっかくお時間をいただくのなら、グッと近づきたいなと思っていたので、インタビュー応じていただけて嬉しいです。 早速ですが、近年の制作のテーマについて教えてください。 永井:何だろうなって考えてて、作品が出そろってきて、ひいて見たときに共通項があるのは事実です。素材の形やイメージを消したり補ったりしながら、存在・認識への問いかけをしています。またすごい大きいテーマでいうと、見たことのないものを作りたいという思いが強いです。瞬時には把握しきれないもの、形態を作りたい。 ステートメントとしてあげているのは、 ~~~ 日常の中にあたりまえのようにあるもの。 出来事、行為、ルール、名前、生まれることや死ぬことなど。 私はそれらの見方や在り方を少しズラして、もう一度自分の目で確かめてみたい。 物事の境界や輪郭に向かって、石を投げるような具合で。 ~~~ 2014年に青森県立美術館で展示した時に書いたもので、そのまま使っています。 物事やちょっとした“しこり“に向かってポンっと石を投げてみて、その反応や跳ね返りからそのもの自体を探ってみたい、というような感覚があってこのような言葉を使っています。   河口:今でも、こればベースにあるということ? 永井:そう、結局こういうことをしているんだな、と思います。素材は変わっても。ちょっとしたところから人をハッとさせたいなと。 例えば息の仕方を考えるとか、別にそんなこと向き合わなくても自然と息は吸えるし、答えはわからなくても息は吐けます。でも実はすごく恐怖を含んでいて、考えだすと眠れない、宇宙ってなんだろう、死ってなんだろう、みたいな、そういうところと美術って密に関わっていると感じます。息の仕方を考えるような身近さ、気楽さ、少しのばかばかしさを残しつつ、制作・作品に変換していきたい。たぶんそうやって「カタルシス(排出・浄化)の方法を考えること」が美術だと思うんです。 また、すごく感覚的な話になっちゃうけど、美術だったら新しい世界を垣間見ることができるんじゃないか、新しい世界を探る術が美術なんじゃないか、という夢を持っているようなところがあって。たぶん今、私たちが生きて存在しているこことはちょっぴり違う世界ってあって、そこを感じる、覗くことができる方法が美術だろう、って思っている。空想的すぎる考えかもしれませんが。美術の可能性はずっと信じていたいし、夢見ていたい。   ―:こうやってお話しさせてもらっていると、美術をどう捉えるか自体が、作家それぞれの制作に対する姿勢に通じていると思います。いつも最初に「近年の制作のテーマ」を聞いているのですが、皆さん口を揃えたように「テーマ」ではないんですけど・・って話し始めるんですよ。もっと適切な質問の仕方があるんじゃないかと悩んでいるんですが、どう思います? 永井:「あなたにとって、美術/制作活動とは何ですか」っていう質問の方がしっくりくるかもしれませんね。先ほどもお話しした通り、私にとっての美術は「カタルシスの方法を考えること」だと思います。それと美術は長く続く感動かなと。細く長く続いて、その間にいろんなものの見え方が変わる。影響範囲が広い。 生活のちょっとした疑問とか、考えだすとキリがないし、答えって何もないかもしれないけど、それを考えることで、生活に対するみずみずしさが増えたりする。それはひとつ美術がもたらすものだと思うんです。良くも悪くも視点が増えて、世界を疑って生きていけるような気がします。   ―:永井さんの作品って既製品を使っているものも多くあって一見簡単なように見える、でも実はその背景、制作工程がものすごく複雑だったりしますよね。それも狙ってるところだったりするんですか? 永井:最初は狙ってはいなくて、結果的にそうなってしまったんです。でもだんだんとこの在り方って、ありだなって…。笑 手間数を見せない、過程を想像しきれない、形はキッチュで笑っちゃうようなものであったとしても、多くの工程を踏んでいることで、複雑さが裏に含まれてるような表現になるんじゃないかなと。   ―:制作過程で他分野の方と一緒に作られていますよね? 永井:はい、ここ数年いかに自分が出来ないことがあるか、っていうのを目の当たりにすることが多くて…、こんなにできないことがたくさんあるなら、もっと専門的な知識を持っている人に協力してもらって造る方がいいじゃないか、とだんだん割り切るようになりました。すごく作りやすくなりました。 例えばホームセンターで手に取った素材、この素材いいな、作品で使ってみたいな、と思った時に、自分自身に扱えるかどうかで考えちゃってたところがあるんです。けど、そこを自分でやる前提でなくて、誰かの力を借りたらできるかもしれないぞ、と。その選択肢を持っておくことで、素材への新鮮さを失わず作りたいものを模索することができると思います。それでも自分でやれることはやるし、これは専門家に頼んだ方がスムーズだと思う時はそうする。振り分けています。 自分の作品プランをプラスチック加工会社や、石屋とかに持っていったりするんですけど、ありがたいことに興味を持って受け入れ協力してもらえることが多くてびっくりしました。てっきりもっと怪しまれるものだと身構えていたので…。そういう反応を随時受け取れるのは、作ったものをいろんな人に見てもらうのと同じくらいに刺激があるしモチベーションに繋がります。   ―:その方が作品としての精度も高まる。 永井:そう感じます。 規模が大きくなったら面白そうだなと思っていて、ざっくりした夢だけど、ラボ化できたら。何かがある度に連絡とって、違った分野の人たちで一緒に難しいことにその都度チャレンジできたら面白そうっていう漠然とした夢があります。   ―:永井さんの作品って、これってどうなってるんだろう、っていう違和感だったり、知った時の驚きだったり、遊び心にこちらがくすっとしてしまうような面白さがあります。作品のインスピレーションはどうやって得ているんですか? 永井:ポっと浮かぶひらめきや思いつきは結構大事にしています。思いつきって、美術界にいると、否定的なニュアンスが含まれるというか、あんまり良い印象ないと思うんですけど、たかが思いつき程度のものでも、その程度を自覚しつつ形にしたら面白いじゃないかと。形にしようとしてみる、ということはしようとしています。こういう作品にするぞ、っていうよりは、ちょっとした現象からキーワードを拾ったりもします。 素材はいつもアトリエにストックがあって、手が何か動かしたい時に、置いてあるものを気楽に手に取れるように、ちょっとしたところから制作を始められるようにしています。 ―:転機となった作品があれば教えてください。 永井:こちらです。大学2年の時の授業の課題で、アトリエに3日間椅子を置いて、授業中ただ座るだけで何も考えようとしない、でも思ったことはメモにとることを続けて、その3日間が終わった4日目に2人の先生が持ってきた、ふたつのメディアを使って、3日間のメモを元に同時に同等の作品を作る、という授業でした。 ネコのトイレの砂の上でプロペラが回っている。普通に考えると、モーターがプロペラを動かしていると思うけれど、実はモーターが固定されていないので、プロペラがモーターを動かしている逆の関係性になっている。そうやって動いているからちょっとずつ痕跡がずれていく。すごく直接的な作品にはなってしまったけれど、秩序があるなかで、ふと秩序が乱れているところがある、なにかしらのちょっとしたズレにここで気付いて言語化することができたかなと思っています。 美大は入ったけど、課題をやっていって、サボるようなこともしないし、普通にやってある程度いいものはできているように思うけど、そこから作家としての自分の作品ってどう生まれるのか分からなくて。自分が作家性を獲得できる気が全然しなくて…。課題から外れて、一作家として何かを作るとなった時に、何も作れないんじゃないか、そもそも作家にはなれないのではっていう恐怖があったから、必死でした。その程度は違えど、今でも怖さは感じてしまいます。   ―:次の質問に移りますが、どこから美術に興味を持たれたのでしょうか? 永井:実家がまあまあ田舎で、幼い頃テレビが映りづらかったんですよ。アナログテレビの上にアンテナがあるんですけど、(ちびまる子ちゃんの家のテレビみたいな…) 映らない時にはアンテナの場所を変えたり、外に出してみたり…と、いろんなアクションをしないと見たいアニメとか、紅白とかが見れない。だからアンテナを持ってテレビが見える範囲で手を伸ばしたり、あとは弟にやらせたりして。笑 とにかく、いろんな努力をしたんです、テレビを見るために。その思い出ってすごく強くて。当時の私としては、飛んでる電波をいかに捕まえるかっていう意識でアンテナを振り回していて、見えないものを捕まえたい欲、どこに3ch飛んでるんだろうとか、セーラームーンはここか!?とか幼いながらに考えていました。もちろん当時は言葉にして考えられてはいなかったですけど、見えないものに興味を持っていたことは、今思い返すとあったなと思っています。 はじめにお話しした、息の仕方の話にもつながりますが、恐怖とか見えないものに対する関心って思い返すと度々あったなと感じます。大学に入って作品をつくるときもそういう感覚を思い起こしながら作っている時があって、関係しているのかもしれないと気付きました。その程度のことともいえるけど、その延長にあるものとして美術がある。声を大にしていうことじゃないんだけど、それでもいいから形にする。形にしてみたい。 あとは、父がリトグラフの作家で、絶対に影響はあるだろうなと思っています。父の作品は、抽象的な作品なので、どうしてそういう作品を作れるんだろう、という疑問はすごくありました。どこからその形が浮かんでくるのか。何をどう選択しているのか。ものを上手く描くよりは抽象的な方に自分の意識が変わっていく段階にすごく興味がありました。   ―:永井さんの作品は、考えようとして見なければ、そのキャッチ―な見た目の方に流されてしまうけど、人に謎解きをさせるような面白さがありますよね。 壁一面に設置されたurntoシリーズも、子どもが「かわいい~」といいながら見ていて、カプセルの中に鳥の剥製が入ってるけど、「かわいい」っていう感想でいいのか、とか。笑 そもそも、urntoとはどのような意味なのでしょう? 永井:”urn”は英語で骨壷という意味です。そこに”to”をつけることで「骨壷へ」というような意味を込めている(文法的にはおかしいんですが…)のと、あとは『ウルン、と』という涙が目に溜まって行く様を表す音を込めた造語です。作品の見た目のポップさと対比するタイトルをこっそりつけたいと思ってこのように名付けました。普段から作品のタイトルには、その作品と同じ質、同じ関係になるように、言葉を素材として制作するように名付けています。   ー:作品自体のもつビジュアルを抽象に移していくことは考えるのですか? 永井:抽象的なことも合わせててやりたいなと思います。完全にふりかえるんじゃなくて、常に作品には幅を持たせたいなと考えています。自分の作品の棘があるような部分は、気づく人は匂いで分かってくれたらいいかな、というような感覚です。   ―:アートに限定せず、影響を受けたクリエイターはいますか。 永井:影響を受けたといえば、ジャコメッティは確実に影響を受けています。美術高校受験の時に一個展覧会を見てくる、という試験があって、川村記念美術館のジャコメッティ展を見て、その時はじめてきちんと彫刻を「観た」っていう実感を持った、ショッキングな出会いでした。これが彫刻なのか、と。その時に彫刻をやろうとは思わなかったけど、面白くて分からない分野だなぁと、どこかひっかかっていました。 戸谷成雄さんの作品を「引込線」で見たこともムサビ(武蔵野美術大学)を受けるきっかけになりました。 それ以外に好きなアーティストっていうと数えきれないくらいいるんですが、、Handywipman Saputra、Urs Fischer、Richard Serra、最近は渡辺英司さん、Felicity Hammond、Rachel de Joode、Susy Oliveira・・・などのアーティストが気になっています。 セザンヌやムンクなども好きです。ムンクの少女の絵には強烈な影がついているんですけど、これはなんだろう、なんでこういう影を描くんだろう、そういうところから惹かれたりする。 ―:気になる作品というのは、どういう影響の仕方なのでしょう。 永井:その作家がどういった経緯で何を見て、どんな作品を作っているのかとか、素材とか形も何をどうチョイスしているのか見てしまいます。あとは、すごい単純なんですけど、こういう見せ方いいなぁとか…、作品を見ていると家に帰って私も作りたい…、そんな気持ちになります。 昨年末、上海行ってきて、ルイーズ・ブルジョワ(六本木のある巨大な蜘蛛のオブジェの作者)の作品に圧倒されました。いかに自分が狭い範囲で考えているかを突き付けられた感じがして。展示のキュレーションがどうこうじゃなくてモノに惹きつけられる。今まであまり大きいサイズのものは作ってきていないんですが、躊躇なくやれる時にやりたいなと思って、チャンスがきたら掴めるように、常にやるぞ、と思っておこうと。 あとは詩も好きで、特別詳しいわけではないけれど、古本屋に行ったら目にとまった詩集をよく読みます。長谷川裕嗣の「いないはずの犬」という詩集や、中村千尾の「日付のない日記」という作品が好きです。「日付のない日記」の中に出てくる“口をあけたような青い空も泣いた”という一節が特に心に残っていて…。あとは国語の授業とかで読んだ経験がある方も多いと思いますが、高村光太郎のレモン哀歌。レモンを「がりり」と噛む、っていう、この表現すごいな。このさりげない音でリアリティを出す、心境が伝わる。 小説だと、吉本ばなな。彼女の作品は主人公が女性でうまく生きれてないようなところがあるんですけど、なんかその女性っぽさが妙なんですよね。無職だったりとか、軽くひきこもってる状態の話だったりとか、それがそんなに痛々しく書かれてない妙。「キッチン」はふと、手にとって読み返しています。   ―:そう思うと、日常の中にある非日常というか、本当に些細なところに魅力だったり違和感のあるものに惹かれていて、永井さんの考える美術が生活にもたらすものであったり、作品制作におけるコンセプトに通ずるものがありますね。 最後の質問になりますが、今後、作家としてどのような活動の展開の仕方を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 永井:先日先輩の作家さんが作品の作りだめをしていると話していて、それはいいなと思って。私も考え作る時間、数を増やしたいです。どれだけ作れるかは不安ですが…。じっくり作る時間をとりたいなっていうのが今年の身近なやりたいこと。 あとは作家を続けることが一番目標というか。ある程度人に見てもらって、作品を買っていただいたり、文章を書いてもらう機会とかも増えてきていて、続けるのも責任だなと思っています。続けたいし、他にやりたいこともない。散歩したり自転車に乗ったり、釣りとか登山とかも好きですが趣味ってわけでもないし、美術以外にやりたいこと、大好きなことがそんなにない、なんか消極的な感じになっちゃうけど、例えばスポーツとか好きだけど一日かけてはやりたくない。   ―:一日って。笑 私、一日はスポーツ漬けやりたいけど。 永井:特定の何かにのめりこめるわけじゃないから、趣味がないって、結構良かったかな。 あとは短期の滞在でも、旅でもいいので海外に行きたい。日本で活動する面白さも残しつつ、制作やリサーチのためにも気になったら躊躇なく行ってみたいし、そうでなくても、生まれ育った場所とは全く異なる土地での生活自体に興味があります。そうしていつかもっと大きなことをしてみたい。 ビエンナーレとかそういう場面で、いろんな人や技術を巻き込んで制作・展示してみたい。まだまだ現実味がないというか、漠然とはしていますが、一つ夢としてこういうことは言っておこうと…。日常で小さく回転しないように。  

作家リレーインタビュー第 9 弾は、金田涼子さんから紹介いただいた宮川慶子さんです。 宮川慶子ウェブサイト:https://www.keikomiyagawa.com/ 宮川さんは、2016年に東京造形大学大学院 造形研究科 美術研究領域を修了され、形態に捉われず幅広い作品展開をされています。 2014年には青森県立美術館にて奈良美智さんが選ぶ若手作家選抜展「プロジェクト PHASE 2014」で個展をされていて、気になっていた作家さんでした。今回は、少し先に展示をされるということで、直接作品を拝見する前にポートフォリオを見ながらのインタビューとなりました。 河口:幅広い作家さんと出会いたいと思いながらも普段は母校の東京芸術大学の人と接することが多く、インタビューを通して様々な方と知り合うことができるのが嬉しいです。今日はどうぞよろしくお願い致します。早速ですが、近年の制作のテーマについて教えてください。 宮川:金田涼子さんからバトン受け取り、今回お会いすることができ嬉しいです。今日はよろしくお願いいたします。では、話します! 詩を書いたり、粘土でみんなをつくったり、キャンバスに毛並みのようなものや、みんなを描いています。 ~~~ みんなはいつも布団の扉のかげに潜んでいて、 みんなを呼ぶと、いそいそと出てくれる。 みんなは、肩や膝の上にせっせと登ってきて、 みんなは、あなたやわたしを励まし、応援する。 ~~~ これが私のつくることについてです。 ー:みんなっていうのは、概念的な言葉で、特に何かを指しているわけではないのでしょうか? 宮川:みんなっていうのは見えないけどいるかもしれない、全てについて。今、河口さんと話しているここにもいるかもしれない。作品の中で、わたし、あなた、みんなという言葉をたくさん使用しています。理由は、私は「わたし以外のあなた(特定人物がいない誰か)」を確認したり接したいから。 ー:宮川さんは tumblrに詩をあげていて、そこに登場するものって、猫だったりとか、ヤドカリを殺してしまったことであったりとか、現実に宮川さんが生き物の生命に直面されたものが多いように思うのですが、作品としては鹿の形で表れていますよね。 なぜそれらが鹿として表れるのか、それとそもそも、様々な過去の出来事を自分の中でかみ砕いた結果の表現として鹿になっているという理解であっているのでしょうか。 宮川:鹿「のようなもの」であって、鹿ではないです。ある作品では兎と合体していたり、足の一部は人の腕ですし。四つ足の何か。剥製の鹿を使った作品があるので、そのイメージが強いかもだけど

作家リレーインタビュー第8弾は、藤川さきさんから紹介いただいた、金田涼子さんです。 金田涼子ウェブサイト:http://ryokokaneta.jp/   金田さんは、作家活動を行いながらキュレーターという立場でも2012年から継続して同年代を中心とした企画展示「199X」を毎年開催されています。   河口:早速ですが、始めさせていただきたいと思います。近年の制作のテーマについて教えてください。 金田:もともと自然現象や自然そのものを擬人化するところから始まり、現在はそれに加えて、土地土地の伝承や土着的な思想など、目に見えないものを女の子という形で可視化して描いています。その流れの中でずっと制作していますが、近年のテーマ、興味ということで言えば、実際に特定の土地に行ってみて、体験や感じたことも作品に取り入れていることです。以前は文献を調べて描いていたのですが、それをしばらくやっている中で、実際の土地に興味が湧いてきました。去年くらいから山岳信仰のある山を題材に山シリーズを始めているのですが、実際に足を延ばすことで、知識だけでは得られない「そこ」の感覚を作品に盛り込もうとしています。   ―:そうなんですね。金田さんの作品では、大きい人と小さい人が登場しますが、大きい人は雄大さや自然を表現しているのかなと思う一方で、小さい人はかなり俗人的な印象を受けます。どのようにキャラクターを使い分けているのですか? 金田:大きい子は自然そのものという擬人化、小さい子はその土地に残っている人々の想い、小さな痕跡、そういったものが溢れています。小さい子たちによっていろんな物語がつむがれる。女の子たちが同じ時を過ごしているのではなくて、画面の中で、昔、それから今のことを演じる様子を描いています。個性が出てしまうと嫌なので、大きい子ちゃん、小さい子ちゃんという呼び方をしていますが(笑)   ―:なるほど、画面の中で小さい子ちゃんは、活き活きとしていて、それが金田さんが冒頭でおっしゃっていた「体験を盛り込む」ことに通じているように感じます。私はこの大きい子ちゃんがすごく好きだと思ったんですよ。キャラクターとして完成度が高くて、あまりこういった絵のスタイルの作家さんとお話しする機会なかったんですが、紹介いただいて、HP拝見して、あっ面白い、と思いました。 金田:ありがとうございます。大きい子に関しては、無慈悲さ、悪意のない感じ、それぞれのキャラクターがゆったり構えて、「ただそこに居る」ということを意識しています。小さい子はいろいろ動きまわっているけど、大きいのは自然物としての存在なので、あまり喜怒哀楽のない表情というか。不確かな表情、見る人がどうなんだろうと探れる曖昧さを残しておきたいと思っています。   ―:絵画の中では、大きい子ちゃんが絵を支え、小さい子ちゃんがそこにスパイス(物語)を与えるような存在だと思うのですが、一方で、こちらのフィギュア、おそらく小さい子ちゃんは、作品として独立している感じを受けます。どのようなスタンスで制作されているのでしょうか? 金田:最初はグッズという扱いで作っていたものをより作品として発表してみたくなって制作しました。画面にいる子がそのまま現実にいるような感覚を与える立体作品にしたくて、クオリティーや造形にこだわって作っています。量産できる作品を考えて、レジンキャストという素材を使っています。原型をつくって、シリコンで型をつくって・・・完全に一般的なフィギュアの工程と同じです。   ―:ほー、失礼ながら、今日お会いするまで、絵画も想像の中のものを描かれていると思っていました。実際に様々な土地に足を運んでいることや文献から土地の伝承を調べていらっしゃること、立体作品に対する姿勢も、かなりの研究されていますね。 ところで、次の質問に移りますが、転機となった作品があれば教えてください。 金田:こちらの「小舟」という作品です。学生時代に描いた作品で、この時に自分の中で、自然現象を女の子に疑人化して描くことが確立して、それでずっとポートフォリオにも残しています。 大学は横浜美術大学のビジュアルデザイン領域イラストレーション学科というところで、小説の挿絵、公共ポスターとか商業的な印刷物を前提に絵を描いて、最終的には文字入れなどをソフトでデザインをしたものを提出する、商業的な学びが中心の学科だったんです。課題で自分の色は出せますが、基本的にクライアントを想定してイラストレーションとして絵を描く必要があるのが苦しくて、なんかやりたいことと違うと思っている中で、作家として展示といった形で作品を発表していきたい自分を見つけられました。   ―:そうだったんですね。でも、いわゆるファインアートの学科だったら、絵画とイラストの境目のような面白い作品は生まれてこなかったのかもしれませんね。 金田:確かに、絵画の方の学部は関りが少なかったのであまり分からないですが、だからこそ今の表現ができたのかもしれません。 違うからこそ生まれることはきっとあって、今、自然をモチーフに描きだしたのも、大学のために引っ越してきてから自分が育ってきた自然と都会の違いに気付いて、いちど自分の常識から身を置いたからです。実家が茨城の田舎にあるのですが、ずっといたら、身近すぎて気にならなかったと思う。離れてみて初めて場所特有のものがあるのだなと気付きだした。 日常と異なる場所ということで言えば、1年ちょっとオーストラリアにいました。オーストラリアはレンタルスタジオが多くて、滞在中はずっとスタジオで制作していて、最後に成果発表で個展を行いました。私は、自分の生活圏が題材になるので、必然的に日本的になります。それは題材だけではなくて、俯瞰している平面的な表現とかも取り入れたりしていて。 オーストラリアにいたときは、軽いドローイングで現地を題材にした作品も描きましたが、ペインティングとしては消化するには時間が短すぎて、他は普段通りの作品でしたね。土地土地で捉えられる自然って違うので、もっと色々なところを旅したいと思っています。   ―:金田さんのお話をうかがっていると、もともと「絵を描く」ということがとっても好きな方なのだと感じますが、どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 金田:大学に入るまでは、ギャラリーとかは身近になくて、展示といえば美術館でした。家族旅行の際に美術館に行くというくらいのもので、そこまで美術というものを意識せずに大学にあがりました。 大学が横浜だったので、小さいギャラリーを回ったり、美術館に行くっていうことを日常生活として取りいれることをそこで初めて知りました。いろいろ回っているうちに、今まで美術といえば巨匠しか見てこなかったのが、同じ世代で個展している、活躍している、いろいろな作家を知るようになって、そこから自然と興味を持つようになっていきました。 今まで自分とは切り離されていたものとして捉えていたものが、同世代を見て、近いものなんだなということを意識しはじめてその衝撃は大きかったです。大学に入る前までの自分から切り離されていた美術と、入学してからのものでは全然違うかもしれない。   ―:それが、キュレーションをするきっかになったりしたのですか? 金田:それはあるかもしれないです。大学1,2年で展示に興味を持ち始めて、だいたいその頃って大学の友達と一緒に貸しギャラリー借りて、大学の仲間と一緒に展示するじゃないですか。私も、それを1,2回やったんですけど、そうなると、仮に学外で展示したとしても、結局来るのは大学の同じ学科とか友達なんですよ。展示経験と、作品を完成させる、といういい経験ではあったんですが、内輪で循環していく、外への広がりがない感じがもどかしくて。 自分の中でもっと広がりが欲しいなと思っていたところ、ツイッターを通して、自分で展示企画をしている人がいるということを知りました。ネットで公募という形で、私が主催となって、最初は14人で高円寺で開催したのが始まりで、一番多いときは25人程集まって、毎年半分くらい入れ替えがありながら続けています。   ―:今回7回目を迎える「199X(きゅーえっくす)」ですね。 金田:はい。私が91年生まれで、自分と同世代の知らない作家は何を考えて制作しているのだろうという興味から、一緒に展示空間を作りたいと思い、テーマは定めずに、90年代生まれの作家を集めて展示企画をしてきました。 5回目までは公募でやってきて、テーマは定めないとはいっても、過去の展示や私の作風を見て、集まってくれる作家で構成しているので、回を重ねるごとに「199X」の色は出てきました。でも展示として公募だとコントロールできないんです。コントロールできない偶然性も面白いんですが、展示として成長していくためにも完成された強度を作りたくて、ちょうど5回でキリが良いこともあって、私が作家を選ぶキュレーションという形に変更して、昨年の6回目からやっています。展示は、続けていくことがすごく大切で、「199X」自体、10回20回と続けていくうちに、この世代の美術の流れの小さい一つになるといいなと思っています。   ―:今後、ご自身でキュレーションされる「199X」の方向性というと、何かテーマを定めていくということでしょうか? 金田:テーマというよりはそれぞれの作家の作品への向き合い方だと考えています。 私がいわゆるキャラクター的な表現をしていて、私と同じような表現をしている同世代の作家さんにすごく興味があって、そこからキャラクター的表現を通してどういった作品を作っていくのか、ということを知りたくて、そういった方を集めてキュレーションしています。ツイッターで見るといろんな方がいらっしゃるんですけど、なんで敢えて展示という形式で作品を発表していくのか、ということに対しても興味があります。   ―:それは、私も興味のあるところです。多くの方がネット上で作品を発表している中で、どうして敢えてイラストではなくて絵画なんでしょう?デジタルでもいいところを、どうして手で描くのですか? 金田:ひとつには、私自身が展示に行って感動するということがあって、展示空間の雰囲気、作品の厚み、空間全体からくる圧力が好きで、立体としての重さ、絵具の厚みが伝わって、作品を展示空間に足を運んでみてもらいたいと思います。あとは、画像だと良くも悪くもまとまりすぎてしまって。題材がキャラクター的であったとしても絵画ならではの複雑さはデジタルでは表現しにくいと思っています。   ―:そうすると、今、ネットで作品をほぼ全部公開されていることに関してはどうなのでしょうか。実物より作品が良くも悪くも簡単に見えてしまう、ということはあると思うのですが。 金田:展示初出しのものに関しては、SNS上で全体は出さないようにしています。ネットに出しているのは全て過去作です。展示が終わった後で、展示に来られなかった方にも見ていただけるようにネットで公開しています。現物は見て欲しいと思うので、ネットで公開するタイミングには気を遣っています。   ―:金田さんのウェブサイトには、購入する方に向けたコンタクトフォームがありますが、実際にウェブ上から直接購入する方はいらっしゃるのですか? 金田:初見での問い合わせはあります。でも多くは、展示を見に来て、帰った後、反復して思い出しているうちに、やっぱり欲しいとなって問い合わせしてくる方で、何人かいらっしゃいます。あとは、一回購入してくださっている方は、現物の感じを知っているので、ウェブで見てお問い合わせくださる方もいますね。   ―:そうなんですね。そう思うとネットで買える気軽さは提供しつつも、リアルの場の存在は重要ですね。展示を見てくれた人が思い出してまた連絡してくれる、っていうのは嬉しいですね。 最後に、今後、作家としてどのような活動の展開の仕方を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 金田:最近いろんなご縁で海外でも展示できることが多くなってきたので、国内外いろいろな場所で作品を発表していきたいです。現地へ行けない展示だとギャラリーを介してのため直接感想などを聞ける機会は少ないのですが、海外の人と日本の人とで作品に対するとらえ方が違うみたいなので聞いてみたいです。 あとは、制作に関係するところですと、山登りでしょうか(笑)。今は山を中心に訪れていますが、もっといろんなものを見たい。実際の場所に出向いて取材することを作品に取り入れているので、色々なところに行って視野を広げたいと思っています。   キャラクター的な表現で、自然や土地を表現されてきた金田さん。テーマは一貫しつつも、興味の幅を広げながらそれが作品に反映されていく様子を垣間見ることができました。今後のご活躍も楽しみにしております。本日は、ありがとうございました。

作家リレーインタビュー第7弾は、松尾ほなみさんから紹介いただいた、長田沙央梨さんです。 長田沙央梨ウェブサイト:https://www.saorinagata.net/ 長田さんは、アクセサリーデザインの専門学校を卒業後、愛知県立芸術大学の彫刻専攻、東京芸術大学大学院の彫刻専攻を修了し、現在は愛知県立芸術大学で彫刻専攻の教育研究指導員をされています。 普段は名古屋を拠点に活動されていますが、ちょうど東京に展示を見に来る予定があったということで、時間を割いていただき、インタビューさせていただきました。事前に作品を直に拝見することはできなかったので、ポートフォリオを送っていただき、HPや過去展示の論評を見ながらのインタビューとなりました。   河口:今日は貴重なお時間割いていただいてありがとうございます。早速ですがインタビューに入りたいと思います。近年の制作のテーマについてお聞かせいただけますか。 長田:植物や動物のリズム、形の形態の面白さに魅力を感じています。私は平面作品と立体作品を行き来しているので、彫刻で表したい形の面白さと同時に、色のリズムも最近は重要なテーマとなってきています。 身近な風景の中にある植物、動物、そういったものの中から面白いと思った形を選び取って、自分の中で心地よいリズムに変換していくことで作品を生んでいく。それがテーマといえるか分からないですが、気を遣っている部分です。   ―:「心地いい」というのは、ひとつキーワードになっているのかなと思います。それは自分自身が選び取るものだけではなく、見る人に対しても感じて欲しい部分ですか? 長田:そうですね。攻撃性や社会性といった重いテーマは私の中には全くなくて、初めて私の作品を見る人が、空気が和らいでいくような、透明感のあるような、くもりがない、安らぎのある空気感を作りたいと思います。   ―:ポートフォリオを送っていただいて、展示空間構成をすごく考えられていると感じました。作品同士が会話しているといいますか。作品は、一個単位で物事を考えているのでしょうか。あるいは、ひとつの世界感をつくるための付属物として考えてらっしゃるのですか。 作品として自立するということはもちろんなので、個別にも考えます。しかし作品同士がどう響き合って、そのまわりの空気がどう動いていくか、空間が私にとっては大事になってきます。ですから、会場の下見は欠かせないですし、その会場に合う作品にしたいので、毎回ほぼ新作になってしまうんですよね。なかなか過去作が出てこないです。ホワイトキューブ、茶室、民家、いろんな場所で展示をやってきましたが、ごたいついた空間、生活環のある空間こそやりがいがあると感じています。そういうところで挑戦させてもらって、難しくはあるけれども、日常にすっと溶け込んでいくような空間を作りたいという気持ちがあります。ホワイトキューブはやりやすいけれど、非日常的な空間が出来上がってしまっているので、日常に近い空間でいかに作品を作るかということが最近の私の興味のあるところです。   ―:なるほど。そうなった場合、少し話は現実的なところに向かいますが、作品を買いたい人がいた場合どのようにするのでしょうか。「その場」のための作品ということに非常に重きを置かれている中で作品は売り物になるのでしょうか。あるいは、ここで永久展示するものとして考えていらっしゃるのか。 買いたいという方もいらっしゃって、中には譲った作品もありますが、やはりその場所で見て欲しいという気持ちが強いです。実際に、制作した現地でそのまま引き取っていただいた作品もあります。 全く違う場所で展示したいから購入させてほしい、と言われた場合は、その方がどういった風に私の作品を捉えてくれているかをお話しさせていただいています。おこがましいようですが、ひとつ返事で、売ります、という風にはいかないです。欲しいと言ってくださる気持ちは本当にありがたいので、その方と会話をして、作品を理解してくださる方であればいいところに飾ってくれるだろうと思って作品を託しています。   ―:学部時代は松かさの片鱗で工業製品を部分的に覆う作品を作っていらしゃったようですね。近年の作品とは随分傾向が異なるように感じるのですが、どのような経過をたどって今の作品があるのでしょうか。 長田:松かさは学部卒業時に大きい作品を出して、修了制作でも大きい鳥を作成したのが最後の作品です。 松かさを使って制作していたのは、愛知県芸の環境が大きいです。そこら辺に松かさが落ちていて、雨が降ると傘を閉じて、晴れると開いたりするんですよ。それは空気の乾燥度合で繊維がひっぱられて変化しているんですけど、呼吸しているように思えて、その植物のエネルギーに興味が湧いてきて、題材として使えないかと考えたんです。「棲みつくpine cone」というタイトルを最初つけたんですが、蜘蛛とか虫が石の下に住み着いているように、一度人の手を離れた道具や既製品に、生命力のあるものが住み着いているイメージでした。その後、「鳥の羽根は魚の鱗が進化したもの」という話を聞き、松かさの鱗片で鳥を作ってみたいなぁと思い、最終的には松かさだけを素材として使用して、鳥という具体化されたモチーフを作る方へと向かっていきました。 近年の作品ということに関しては、とにかく何か変えたかったんですね。同じ場所にいると、これでいいだろう、という風に落ち着いてしまう気がして。ものづくりの出発点として、私はジュエリーを最初専門学校で学んでいて、身近な植物や動物をモチーフにしていました。またそういうことをやりたい気持ちを持ちつつも、彫刻を学ぶとなかなかそこに戻れない自分がいて、どうしたら、がらっと気持ちを変えて制作できるか、と思って、愛知でこもっていた環境から、一変して大学院は東京芸大の彫刻科へと進みました。学校を変えて、仲間も変えて、今の作品はそこから、です。   ―:環境の変化というのは大きな転機だったんですね。 長田:はい、また転機となった作品という意味では、その時期に「ぶぶんのかたち」という陶器の作品を作り始めたんです。 ―:なぜ陶という素材へ転換されたのですか。 長田:それまで大学で木彫、石彫、金属、それから松ぼっくり(笑)など、様々な素材に触れてきました。石や木には、それ自体に生命力がもともとある。それらで立体作品を作るというのは、カービング、削っていく作業なんです。それよりも量をつけていって形が生まれてくる方がイメージしやすいですね。肉をつけていくような感覚に近くて、作っていくごとに生命力を感じられるというか。手で触れている、というのは重要で、あったかい素材なんですよね。 また、それまで専門学校や大学学部では、素材の色を活かすことをしてきて色を使うことを我慢している面もありました。陶で形成したものに、釉薬で色を塗るという作業を通して、形に加えて色の組み合わせが作品に加わり、心地よいリズム作る、という自分がやりたかったことに作品が繋がっていきました。 「ぶぶんのかたち」は小さな作品ですが、形・色・に加えてサイズという要素も加わり、日常の中で見つけた面白い形を抽象化させる作業でした。専門学生時代ジュエリーの作品で具体的なものを作成していたのを、学部時代はコンセプトの強い作品を作成していて、そこから「ぶぶんのかたち」の制作を通して一度作品を抽象化させる行為を通して、今、もう一度今の植物が主にモチーフとなる具体作品だけれども単純な形に置き換える、という作風になりました。 素材という点では、油彩も扱うようになりました。平面作品も作っていて、最初はアクリルだったんですが、この2年くらいで油彩を始めるようになりました。油の質感ってメディウムとして自立してきて、彫刻している感覚に近いんです。盛り上げるとか、筆のストロークで表情が残ってくる、というのがしっくりきて、粘土に触るような感覚に近い。手跡が分かって魅力的な素材だと思います。   ―:これまでに話の中では出てきましたが、美大入学前は専門学校でアクセサリーデザインを学ばれていますね。どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 長田:専門学生でジュエリーをやっていたころは、ジュエリーデザイナーになりたいなという夢を持っていました。でも専門学校の授業で、石膏像や鳥の剥製を描いたり、デッサンをやった時に、それが美術系のはじめての勉強で、すごく楽しかったんです。デッサンをもっとしてみたい、というのが最初のきっかけで、就職するより、もっと美術の本格的なことを基礎から学びたいと思い、美大へ行くことにしました。そこから彫刻を選んだのは、ジュエリーも小さい彫刻なんです。蝋を削って、型を業者の人に鋳造してもらって金属で戻ってくる。掘ったり削ったりする作業が彫刻的でその感覚がすごく楽しいと思っていたので、いろんな立体作品に触れることがしてみたいと思ったからです。   ―:美大でも工芸科はあるけど、そこを選ばずに彫刻という選択をしたのは、アクセサリーを作っている時から、ジュエリーを彫刻作品として捉えていた、ということなんですね。 長田:はい、あとは、私はスポーツが大好きで、彫刻ってすごく大変なんです。美術予備校に見学に行ったときに、彫刻の学生が腕まくりして額にタオルまいたりしている、それがかっこよくて、私もあんな風に過ごしたいという憧れもありました(笑) ジュエリー制作では、もちろん体力は必要なんですが、ひとつの机で終わる作業をしていたので、全身を使って、というのがすごく新鮮でキラキラ見えたんです。   ―:アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか? 長田:皆川明さんというファッションデザイナーです。ミナぺルホネン(http://www.mina-perhonen.jp/)というブランドを作られている方で、その服に出会ったのが18くらいの時でした。到底買えるような値段ではなかったんですが、古着屋で見つけて、ちょっと値が張ったけど買いました。 ミナペルホネンで一番好きなのが店舗です。お店の構成の仕方がほんとに素敵で、見せ方ひとつひとつ、照明ひとつとっても芸術的。ラックもすべて手作りだったりとか、商品である服と同じような感覚で店舗も隅々まで構成されていて、それがため息がでるほどすごいなと常々思っています。 生活というものをすごく考えていて、どうしたら心地のいい空間でお客さんが作品(商品)を見てくれるか、ということにすごく配慮されていて、店舗ごとによって全然内装は違うけれど、すべての店舗で追及されています。お店だけ見に行って、元気をもらいに行ったりします。   そこから影響を受けている私としては、簡単な作品でありたい、と思います。展示に何度も足を運んでくださり、作品を好きだと言ってくださる方々の中には、ファッションが好きだったり、何かしらこだわりのある人が多くいらっしゃるので、私のこだわりを汲んでもらっているとは感じています。 私は美術がすごく好きで、現代美術も西洋美術も、日本美術も東洋美術もどの時代のどの分野も、それぞれ非常に魅力的に感じます。そういう意味で私自身も、ニュートラルでいたいと思っています。自分がやれることと自分が見ていいな、と思うことって違っていて、自分がやれることは、マジョリティとマイノリティーの中間。アートという枠にはめずに広く見た時の、現代美術のように楽しむためにはある程度の知識を必要とするマイノリティーなもの、それからジュエリーといったメジャーで分かりやいもの、両方勉強してきた身としては、真ん中にいたいと思います。 たとえ見る人の2割だったとしても気付いてくれる人は私のこだわりを汲み取ってくれる、一方で、子供たちやお年寄りの方、美術のことを何も知らない人も、素直に無邪気に楽しんでくれる、というのが目標地点なので、そこに近づきたいです。   ―:現在は、ジュエリーから彫刻、絵画と様々な形で作品を展開されています。それぞれどのように使い分けているのでしょうか。 長田:同じ比率で考えています。立体を引き立たせるための絵画でもないし、絵画を引き立たせるための立体でもない。お互いが自立していてほしいですし、同じ空間で、同じ比率で感じて欲しいです。 自分が彫刻家なのかは分からないですね、美術家ではあるけれども。 空間をつくる。それが一番にあって、それに必要なことがたまたま立体だろうとレリーフだろうと平面だろうと、それはたまたまそれが良かったというだけのことです。私の作品を見た人が平面と捉えるのか、立体と捉えるのか、人によって違うと思うけど、自由に考えてもらえればいいと思います。   ―:ジュエリーとなると、途端に用途のあるものになると思うんですが。それについてはいかがですか? 長田:そうですね、用途のある、商業的なものを最初学んでそこからスパっと立ち退いて、今は用途の無いものを作っています。最近はアクセサリーは作っていないです。 ジュエリーは値段設定がきっちり見えてくるんです。だから作りやすいし、売りやすい。でも自分がものを作るのは、そういうところとは離れていて、自分の心地よさ、自分が見たいものに対しての制作過程の楽しさ、周りから自由に評価いただけること、それらがモチベーションに繋がったりするので、今は値段のことは考えていたくないです。あとから、欲しいと言われたら値段はつけるけれど、今は別々ものとして考えてやっています。 とはいっても、作家としてやってくには作品でお金を得ていくことは必要なので、もっと柔軟に商業的な意味あいを持たせてもいいとは思うんですが。まだそこに気持ちがいかないので、今は商業的な考えは遮断しています。でもきっと自分の中で、どちらもやりたくなる時期が、そのうち自然とやってくるのだと思います。(笑)   ―:今後どのような作品展開を考えていらっしゃいますか。もしくは今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 長田:「自分が見たいもの」に近づくということ。見たい風景があって、なにかが一緒にいてくれている気がするという気配、怖い意味ではなくて、ユーモラスな存在。モチーフが日常にいてくれているような、ホッとするような感覚を表現しようとしています。 彫刻を勉強し始めた頃は、制作における好きなものと、オシャレ等の楽しみに対する好きが分断していたのが最近は近づいてきている感じがします。日常がスムーズに流れて、作っていても違和感がなくなってきました。いい流れできていると思うので、作品制作はこのまま、続いていけたらいいのかなという気がしています。 今も研究指導員という立場で大学にはいますが、大学から卒業した今、自分の作品を見返していくと、アクセサリーを作っていた頃がなんのしがらみもなく評価も気にしていなくて、そこにもう一度戻ってきている感じがあります。最近の作品は溶接など、専門学校時代に使っていた技法も組み合わせて使っています。一巡りして原点に戻ってこられた感じがするので、これから自分の見たいものを具体的に作品として増やしていくことが、まずはやっていきたいことです。 ―:いろいろなことを学んできていらっしゃるので、これからの作品は、より面白く展開していきそうです。今回は日程上作品見てからのインタビューが出来ませんでしたが、名古屋も東京から近いので、是非展示の際に伺いたいと思います。本日はありがとうございました。  

作家リレーインタビュー第6弾は、福井伸実さんから紹介いただきました、藤川さきさんです。 藤川さんは2013年に多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。国内の展覧会や海外のアートフェア等で作品を発表する他、イラストレーターとしても活動されています。 藤川さきウェブサイト   今回は、清澄白河のondo STAY&EXHIBITION(以下ondo)で開催されていた「未知のためのエスキース」展を見に行ってからのインタビューとなりました。 【展示風景】 そして、今回もアトリエにお邪魔させていただきました。 河口:はじめまして。藤川さんは、過去に多くの展示をされているので、そのステートメントやメディア露出した際の発言等目を通させていただきました。今日は、改めて藤川さんの言葉で作品についてお聞きしたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。 藤川:よろしくお願いします。   ―:まず、近年の制作のテーマについて教えてください。 藤川:テーマというよりは、作品制作に対する姿勢になりますが、いかに人と関わりながら自分の好きなことをやっていくか、ということを大切にしています。自分が出したものが人の目にどう映っているか。 例えこっちがタイトルやステートメントで方向づけしても、自分が考えていたことと全然違う意味で捉える人がいたり、解釈の仕方が違うじゃないですか。その時々で人の反応がみんな違うっていうのが結構面白くて、自分が今まで生きてきた中で新しいものを取り入れて変わってきた、というのと同じ状況が人に起きているのを見るのが楽しくて、そこからまた何かを得て、作品を作っていく、人の反応からまた新しい作品ができる。その循環を楽しんでいます。   ―:人の反応によって自分自身が変化させられる? 藤川:はい。私はもともとただ絵がすごく好きっていう理由だけで美術の道をスタートしました。描くことが好きで、それの意味付けを意外と考えてこなかったんです。大学3年時に村上隆さん主催のGEISAIに出展する機会をいただいたことが作家として自覚的に活動し始めた時期ですが、描いたものを展示できるのは嬉しいし、絵を描くのが好きだから、という理由だけで展示をやっていたこともあって、展示の内容とか決まってないし、自分ひとりのなかで完結できる内容を考えていました。世の中と関わる手段ではなく、ただ楽しかった。 でも、卒業してから、同じことを繰り返していていると、飽きちゃうんです。私の中の楽しさは描くことで頭の中が更新されていって、また新しいことを描きたくなるという状況になることで、それが理想的な環境だと思っています。そうすると、ひとりよがりなことを描いているのは、絵の楽しさとしても行き詰ってくる。 いつも中心にあるのは、楽しいかどうか。自分にとって、自分が更新されていく嬉しさがあるかどうか。その元から変わらない、「ものを作るのが好きであること」を中心にちょっとずつ広がっているのがここ最近です。   ―:今回の展示について、すみません、実は展示名を「未来のためのエスキース」だと勘違いしたまま作品を見ていたんです。それで帰りの電車でフライヤーを改めて眺めていたら、あれ、「未知のためのエスキース」だぞ、と。それで、藤川さんにとって未知ってなんなんだろう?と思って。未知は未知でしかないのかもしれませんが。 藤川:それは、未来でもあるといえばあるんですけど、更新されていくことがメインテーマです。 この展示がそもそも、ondoの方で一冊本を作ってくれることになっていたんです。その本を書くために今回80枚くらいドローイングを描いて、最終的にどんなものが見えてくるか、どんなものが作りたくなるか、それが未知だったんです。全部のドローイングを描いたうえで、最終的にできあがったのが、80号の作品です(展示風景写真2枚目)。最初の段階では、まったく何ができるか分かっていなくて、それがひとつ未知の対象だったんです。 1日1枚以上という決まりで強制的にドローイングを描いていたので、日々何が起きるか分からない、小さい出来事も大きい出来事も含めて世の中の変わっていく、いろんなパーツが集まって更新されていくことを展示全体を通して表現したかったんです。   ―:そうなんですね。あえての質問をさせていただきますが、「未知」ってありえるんでしょうか。例えば何か実験する人も先に仮定をしてからそれを検証していくじゃないですか。ほんとうの未知、何も分からないことに向かっていくことなんてできないんじゃないですか?もともと答えや道筋は持って制作にあたられていたのではないですか? 藤川:それはそうかもしれません。今を継続しながら前へ進んでいくこと。見たことのない方向に進んでいく。絵を描くための機会として、ドローイングを通して生まれでたパーツをどう解釈して最終的に絵として出すか。毎日つらくてもドローイングを描いているとほとんど無意識のようなものも生まれるんですよ。それらを一個に集約するときにどういう絵になるか。分からないけど見てみたいからやってみよう。そういう意味での未知でした。ある意味ギャラリー側も賭けの遊びにのってくれたんです。 最終的に出来上がった絵のタイトルが「教えてくれなくてもいいから生きさせて」でした。そのタイトルがある意味、当初未知として捉えていたことへの答えでした。 毎日、自分が世の中に関わること、何で人は落ち込んで、誰が人の「正しい」気分を壊すのか、生活ってカオスじゃないですか。そういった部分も含めて、生活を作っている強さみたいな、人は生きていて、日々更新されていって、という状況を一枚の絵に強さとして描きたいと思いました。   ―:藤川さんの作品のタイトルって、切実なものが多くあったりするけれど、作品自体は暗くはないじゃないですか。人物からも切実な感情を感じないですし。そこに関して意識されている部分はあるのですか? 藤川:人はパーツなので、パーツの仕事をしてもらいたいんです。人に限らず絵に登場するモチーフ全てですが。それが笑っていた方がいい場合は笑わせますが、人物の笑顔や、怒りの表情ってすごく強いんですよ。人が笑ってる絵になっちゃう。絵の中の登場者は皆、劇のひとつの役割に過ぎなくて、主題に沿って演じさせているんです。   ―:あぁ、「劇」という言葉は藤川さんの作品を見るのに非常に納得感があります。おもしろい。 ところで、話を、もう少しコンセプトの方に戻していくと、自分が「更新」されていく、という言葉を非常に強調されているように思います。外部と関わることで自分の概念が覆されていく、という循環の中で作品を制作されているということですが、外からの刺激としては何の影響が一番大きいのでしょうか? 藤川:ネットを使う世代なので、今しかない、これから廃れていくかもしれないような、それこそツイッターとかSNSが好きです。こぼれ出たような感情の強いもの、人の生活にもうちょっと迫ったような、心境、環境が及ぼしている変化を見るのが好きなんです。 twitterで100人をフォローしているとしたら、ここからみた100人の現代を見れているわけじゃないですか。それって積み重ねていくと、世界に近くなる。 人の色んな部分を見ることが好きで、私、あんまり言ったことないですが、ツイッターアカウント10個以上持ってるんですよ。言ってしまえば根暗な趣味なんですが、誰かの考えてる公式情報も大事にだけれども、そこに至るまで何が起因してそこに至っているのかをすごく調べたくなる。自分が変わるきっかけにもなるだろうなと思うと興味があってめちゃくちゃみます。   ―:へー、すごい。私は逆でツイッター全然使えないんですよね。自分の私的な痕跡を読まれるのも嫌いだし、だから人のも見たくないんです。ツイッターは情報量が多いというか、更新度が高いからリアルタイムで追いつけないですし。 藤川:私はリアルタイムを追うことが単純に好きなんです。ネット上にはおどろおどろしい感情がいっぱいあるじゃないですか。それがいい悪いではなくて、単純にウォッチすることが面白いです。見れば見るほど、凝縮された世界になってるから。絵を描くときも、様々な要素で散らばっている世界を一枚の絵に凝縮するので、要素が散らばっている状況を見るのが好きで制作のヒントになるんです。そういったものをヒントに世界を再構築して作品としてアウトプットし、人の反応を実験的に見る。人が関わる循環を自分の中で作れて納得できている状況の方が制作に対しても健康的になれるんです。   ―:インタビューの冒頭で、ひとりよがりな制作から人の反応を受けて人と関わりながら自身が更新されていく形へと変化した、という話がありましたが、具体的にその転機となるようなことはあったのですか? 藤川:ふたつあって、ひとつはd-laboミッドタウンというイベントスペースで行った砂絵パフォーマンスです。もうひとつは、作家としての転機でondoで行った展示ですね。 d-laboは大学卒業2年目くらいの時期に自分の作品について90分話す時間をいただいたのですが、そのうち30分を使って、お客さんの言葉に応えてその場で砂絵を作っていくパフォーマンスをしたんです。そうすると、当たり前ですが、確実に自分が作りたい、作ろうと思っていた方向は壊される。他人との関わりの中で自分が否が応でも変化されるっていう状況を初めて体験して、作品に対する考え方は変わりました。 ondoでの展示は、作家としての振舞い方、作家としての人格の形成に深く関わっていると感じています。初めて個展をやらせていただいたのが去年の夏で、今回の「未知のためのエスキース」展もそうですが、毎回展示の前にしっかりミーティングをするんです。展示を行うことの意味、今自分が最も大切に考えていることが明確に話せるようになりました。   ―:そうなんですね、ネット上に出ている記事や展示コンセプトから、制作は日常の生活からヒントを得ているという印象を受けましたが、アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか? 藤川:絵として目に美味しい作家としては、超メジャーですがエゴン・シーレ、それから小山登美夫ギャラリー所属の長井朋子さん、マルレーネ・デュマス、エイドリアン・ジーニーが好きです。 一方で、絵から遠ざかることが必要、本質的には絵の前にいることだけが絵を描いている時間ではないと考えていて、音楽を聴いたり、本を読んだり、博物館へ行く、いろんな情報に触れる時間も大切にしています。もちろん作品は描くことでしか生まれないんですが、そうやって全然関係ないことをしてるときに、頭の部分を育てていると考えると、実質絵を描いているというか、絵を描いてるよりも描いていると感じています。   ―:藤川さんは大変多作で、これまでの流れから日々制作していく中で新たに自分自身を更新しながら制作を続けていかれるのだろうと想像しますが、今後の展開について何か考えていらっしゃることはありますか。 藤川:絵は主体になると思います。まだやってないことがいっぱいありますから。ただ、絵を描きたいのではなく、作りたいものから逆算していくので、その表現手法は多様になっていくと思いますし、今も石、鏡、粘土、様々な素材で実験しています。映像が必要ならば、映像を扱うようになるのかもしれません。 ただ、言えるのは、否が応でも人は人の作った社会に住んでいますし、私は人の作っている世界に興味があるので、日々更新されていくものを追いながら、自分のなかでかみ砕いて、それを作品にしたりすることで、見た人がどう反応して、自分、それから見てくださった人自身がどう更新されていくか、そこを大事にしながら制作を続けていきたいと思います。   ―:お話しを伺っていて、ものすごく技術的な工夫をされているし、実際に作品を見ると絵のタッチが非常に面白くて、奥深いんですよね。ネットで最初に作品を見た時との印象の違いが大きく、驚きました。これから見られる方は、ぜひ現物を見ていただけたら、嬉しいです。  実は、記事にまとめるにあたって残念ながらお話の大部分を削ってしまいましたが、インタビュー自体は3時間近くも楽しくお話しさせていただきました。 本当にありがとうございました。

作家インタビュー第5弾は、福井伸実さんです。木床亜由実さんからの紹介です。 福井さんは、武蔵野美術大学油画科を2013年に卒業されて、現在も多岐に渡る創作活動をされています。おそらく最も多くの人が目にするところだと、ゲスの極み乙女。/アルカラ/さめざめ等、ミュージシャンへのアートワーク提供でしょうか。 そういったメディア媒体では作品を拝見したことはありましたが、ちょうど14名のアーティストが元職員寮を舞台に柴の魅力を伝える宿をつくる、というプロジェクト(https://motion-gallery.net/projects/futenarthostel)に参加されているということで、先日見に行ってきました。 そして、インタビューは初対面にも関わらず、またしてもアトリエにお邪魔させていただきました。 河口:こんにちは。ミュージシャンのジャケットは、よく知っていましたが、それを描かれている方は知らなかったので、今日お会いできて嬉しいです。 福井:ありがとうございます。 ー福井さんのHPを拝見すると、本当に幅広く活動されていますね。イラスト、絵画、ライブペイント、作品の発表媒体もLINEスタンプやグッズ制作など。 他メディアのインタビュー記事を読んで、その中に作品を「イラストと言われるのは当初違和感があったけれど、それは自分が決めることではなくて、見る人それぞれが自由に決めてくれればいい」という記述がありました。でも、ご自分のことを人に説明する時は、どのようにされているのですか? 福井:自分の活動を一言で説明することができなくて、「恋する絵描き」というのを自分でつけたんです。今大学を卒業して5年目ですけど、3年前くらいだったかな。アーティストっていうのは自分にとってはかっこよすぎるし、クリエイターっていうのもちょっと違う。 「絵を描いています」っていうのが自分の中で一番しっくりきます。大学在学中にイラストの方が注目されてから、人から「イラストなんですか?」「アートなんですか?」と聞かれる時期があったり、絵を描くのも何のために描いているのか分からなくなった時に、思い返してみると恋とか愛とかをテーマに作品制作していたことや、絵を描くこと自体に対して恋する気持ち、絵を描くことを盲目的に愛しているその初期衝動だったり、そういう、「好きだ」っていう気持ちを忘れないようにしたいなっていう思いがありました。 ーそうなんですね。木床さんから紹介いただく前まで、作品だけ知っている状態では、てっきりイラストレーターの方が描かれているものだと思っていました。美大の絵画や彫刻等の学科に入るとマーケットの違いはあれど、アート業界に入っていく人がほとんどだと思いますが、美大、しかもデザインではなく絵画科を通過してこういった大衆化したアウトプットをされていることが興味深いです。 もともとどのようなところから美術に興味を持ったのですか? 福井:それは、絵を描くのが好きで、それで褒められてきたということでしょうか。それこそ、おばあちゃんの家に行って、カレンダーにパパッと描いたものが褒められる、お手紙の端っこに描いたものが褒められる、そこから始まって、ぱっと作ったものが褒められてそれが嬉しいというのは常に軸としてあるのかもしれません。 ーそう考えると、美大、というか美術教育を受けることってむしろその逆にあるというか。その辺はどうだったんですか? 福井:そうですね、美大は思い返すと、つらかったといえばつらかったですかね。大学に入って、急に絵を描くことに理由が必要になったんです。絵を描くことについても、何かモチーフをひとつ選ぶにしても。それは今思うと大事なことだったけれど、理由がなければ絵を描いてはいけないのか、言葉にして説明できなければいけないのか、と。そうすると、どんどん絵が説明的になってきて、その絵は私にとっては全然面白くはないんですよね。 ーこの辺の絵は結構楽に描けているものでしょうか? 福井:そうですね。 ずっとドローイングは続けていて、この感じがいいよって周りにも言われるようになって、そこからはドローイングのテンションをどうやって絵画に落とし込んでいくか、と考えていて、最近少しずつできるようになってきたかな。 ーでも、絵を描くきっかけだったり、作品の発表媒体への良い意味での固執の無さを考えると、ドローイングで評価を受けてきて、何故それを絵画にする必要があるんですか? 福井:ね、ほんとですよね、それはそうなんですよ(笑) んー、でも、やっぱり残るものでありたいっていう気持ちがあって、制作におけるコンセプトとしても。絵の強さって、ずっとそこにあり続けることができることだと思っていて。個人的な感情をコンセプトにして、その感情をドローイングにのせると儚いんです。でも自分のエゴを超えて、そこにあり続けるものとして人の救いになりたいから、挑戦していきたいです。 ードローイングは机の上に置かれているものだけでも、かなりの枚数が見えますが、どのくらいの頻度で描かれているのですか? 福井:なるべく1日1枚描きたいところですが、実際には2日に1枚くらいかな。絵を描いていると言葉が頭の中で回っているような感覚で、特に題材を探しに行かなくても楽にかけます。 ーそういった言葉って、映画や本などから取り入れたもの、それとも人に言われた言葉ですか?否定的なもの、肯定的なもの? 福井:人に言われた否定的なものが多いですね。でも、論理的な言葉ではなく、断片的な、投げつけられるような感じの言葉です。 ーとすると、絵を描くことはある種の浄化作用ですか? 福井:ほんとそうだと思います。もともと絵は暗かったので。悲しいことは悲しいままに描いていて。 ーそれは意外ですね。今の作品はむしろ軽やかに見えます。どうして変えた/変えられたのですか? 福井:それは、愛されたいっていうのがあるかな。その方が難しくないというか。人間も悲しいことを悲しいと言ってる人よりは乗り越えた人の方がかっこいいじゃないですか。母がそういう考え方だったことも大きいかもしれません。 周りにも暗いねとか怖いね、とずっと言われてて、自分でびっくりしたんです。怖いと思って描いてなかったので。それで、認められたい、愛されたい、という方向に行っていたら、自分自身の作品も変わっていきました。 あとは転機というと、大学の卒業制作が大きかったですね。 この時に、それまでは悲しいこととかを描いていたのが、はじめて自分とかけがえのない存在を描いて、それを絵にして、絶対的なずっと存在してくれるものにするっていう形が出来ました。これだな、という感じになって。 エゴというか、よくオナニー絵画っていう言い方するじゃないですか。そういうのじゃなくて、そういうのじゃないっていうのも自分で決めることじゃないかもしれないですけど、想いを残したいとか、絵画である意味とか、自分にとって絵ってなんだろうっていうのが見えてきました。 ー先ほど、恋や愛をテーマに描いているという話はありましたが、作品を通して人に伝えたいこと、表現したいことはありますか? 福井:誰かに何かを狙って共感してほしいというよりは、そこにあるものとして共感してくれたら、私は幸せです、っていう感覚です。作品に対しては、「愛してよ、分かってよ」っていう気持ちを詰め込んでいるんですけど、それが作品として成立したら、鑑賞者がどう受け入れるかは自由にしてもらいたいです。もう、そこから私には何も求めないで欲しい。もうそこにあるものとして存在するから、あなたがどういう感情をのせてもいいし、どういう評価をしてもいいから。 ーあくまでも絵を描くことで一通り完結して、完成した作品を通して人に何かを伝えたいということはない? そうですね、ないですね。誰かの想いがのることは望んでいますけど。 色んな事は儚いという意識は根本にあって、ジレンマですよね。愛したいけど当たり前じゃない、離れていくものなんでしょ、みたいな。私は愛されたい。愛という儚いものを絵にすることで、絶対的な、そこに存在しているものにしたい。 ー先ほどの質問からの繰り返しみたいになりますが、入りがドローイングという儚いものであったとしても、だからこそ、それを絵画にしていく必要があるということなのですね。 題材についての質問ですが、ほとんど女の子を描かれていますよね。それはずっと一貫したものですか? 福井:そうですね、女の子は想いをのせやすい、投影しやすいから。 ーでも、決して自分じゃないんですね。自分だったことはあるのですか? 福井:あえて自分じゃなくしてます。自分だと距離があまりにも近くて、見るに堪えないじゃないですか。それを買いたいとはほとんどの人は思わないでしょうからね。 ーなるほど。アートに限らず、影響を受けた表現者はいますか? 福井:私は自分の個人的な感情を描くことをずっと続けているので、好きな作家というと難しいですが、大槻香奈さんや、是枝監督は好きです。無理してなくて、ちゃんと自分の中から出てきている、漠然というと、”そこ”に寄り添っている。私の好きなものはそうだし、そこへの憧れもある。 ー個人的な感情ということは今も常に軸としてありながらも、エゴから始まって、そうじゃなくて想いを強くする、人の救いになる役割を絵が担うようになった、というところがこれまでとすると、これから自分の絵ってどうなっていけばいいな、とか今後のさらなる展開はどのように考えていますか? 福井:ずっと描いていきたいなっていう当たり前のことを、でも難しいことだからこそ思います。ドローイングのテンションを大事にどう作品にするか、意識がないような絵をどう意識してつくるか。 あとは、大きい作品は今まであまり描いてきていないですが、公募展に出さなきゃと思って、今大きい絵を描こうとしています。 ーそうなんですね。勝手な先入観で大変申し訳ないですが、今の活動のされ方をみると、あえて公募展に応募しない方向性だと思っていたのですが、そういうことではないのですね。 福井:はい。ほんとはしたいっていうか。大学であまり評価されなかったので、だからどうせ認められないんでしょ、みたいな気持ちを持ちながら、ありがたいことにイラストの方がニーズがあったので、それをばーっとここ数年やってきました。でも、見た目が軽いっていうのは良さでもあるけど弱さでもあると思うので、これからは公募に出して認められていきたいですね。 いろんなプロジェクトに関わらせていただいたりしていますが、それはありがたいことに人の縁で出来たことだったりするので、「福井伸実」ひとりの作品として認められていきたいです。公募に出していくことは、必要なこと、義務なんじゃないかな。まだ名も無い私の絵を買ってくれたり応援してくださる人へ恩返しをしたいという気持ちと、描くことを続けていく上で評価は必須であるということです。 ー柴又FU-TENの天井まで描きこんである福井さん担当の部屋を見てきて、それからこうやってお話しさせていただくと、愛されたいとか、そういった満たされない想いが作品の主題としてはありながらも、最も根本的な軸に「絵を描くことが好き」ということが強くあることを感じます。 もちろん、創作活動を行っている人は誰しも作る行為が好きであることは共通していることだは思うのですが、福井さんの場合はそれがご自身を突き動かしている一番の原動力であるように感じるんです。非常に漠然とした、質問というよりも、ほとんどボヤキですが、「好き」って何なんでしょうね。 福井:なんなんだろう、、好きって。 やっぱり、そこで認められていったっていう幼少期の記憶が大きい気がしますね、この年になって。 アートだと海外に行くのが主流だったりしますけど、大事な人がいる場所で、絵を描くことを続けている、ということの方が自分にとっては大事です。お母さんとか、大事な友達、死んだ犬とかにとって恥じない人間でいたい、絵を描いている自分でいたい、と思いますし、それが自分にとっての糧です。 ー最後になりますが、こだわりの道具や制作においてこだわっている部分があれば教えてください。 福井:なんでも使うからなー(笑) ーすごい出してきますね。逆にこだわりがないのがこだわりでもいいですよ・・・ 福井:これとかはライブペイントで着る時の服です。何パターンかあります。自分で描いたものですがやっぱり、お客さんにも楽しんでいただきたいですからね。 あとは、道具でいうと、このホルベインの筆とポスター紙ですね。以前、「HOLBEIN OPEN STUDIO」と称してホルベイン社の画材を使用した公開制作をやらせていただいたときに、この筆が衝撃的に水の含みが良くて感激し、今も大切に使っています。この紙はドローイングをスキャンした時に波打ちが出ないので重宝しています。 ―今日は長い時間ありがとうございました。  

作家リレーインタビュー第4弾は、木床亜由実さんです。 木床さんは、武蔵野美術大学油画修士課程を2015年に修了されて、作家活動を続けられています。先日、代々木で行われていた個展にうかがい、作品の気になる方だったので、インタビューをお願いしたところ快く応じていただきました。   展示の様子 河口:木床さんとの出会いは、先日の個展で、個展タイトルは「N」でしたね。それにはどのような意図があったのですか? 木床:個展タイトルは、私の作品に何か共通する事って何かなと考えた時に、自然物を描くことが多いのでNatureだったり、絵画の理想を具象か抽象と考えた時に中立的な立場を取っているので、Neutralだったり、初めての個展だったのでNewだったりの頭文字を取って「N」にしました。意味を持つ「ことば」を展示名につけて特定の印象を与えたくなかった、ということもあります。   ―個展タイトルは作品に共通するところから着想を得た、ということですが、木床さんの作品に共通するコンセプトはあるのでしょうか? 木床:テーマは作品ごとに設定しているので、共通のコンセプト、というと難しいです。内容的には共通していないのですが、私の絵は具象では描いているけれど、個々のモチーフは絵の要素として使っていて、ストーリーというよりは、視覚的に印象に残る絵を描ければいいと思っています。 例えば、木とかは絵の構図の流れが作りやすく、有機的な形態を描く方が好きで、気に入ったモチーフは何回か出てきています。   ―構図というと、個展の中で出品されていた作品の中で、新作と旧作とではだいぶ異なるように感じました。そういった、構図や、間の取り方、には意識の変化はあったのですか? 木床:意識的な変化はないです。私の場合は、意識的にというよりは、自分の癖など、直せない部分が作品に大きく影響しているのだと感じています。 新作の大きい作品は、私の作品としては密度は少ないです。制作時間の変化は大きな要因です。一生描いていていいと言われたら、たぶんいつまでも描いているんだと思いますが、今は、時間から逆算して、作品として成立するラインを見極めて描くようになっています。「間」を作る事は得意ではないのですが、自分の環境の変化は、強く作品に影響していると思いますし、それはポジティブな形で作品に返還しています。   ―浮世絵を題材にした絵を描かれていましたよね。 下は構図の参考とした、喜多川歌麿の「歌満くら」出典元:https://edo-g.com/blog/2015/11/shunga.html/uta_makura_m 他に、どのような作家に影響を受けてこられたのですか? 木床:わたしは、そもそもの美術への入りが、アニメや漫画、ゲームだったんです。それで、小学校の頃は、ポケモン世代なんですが、デジモン・ポケモンを描いてました。   ―あぁ、小学校、そういう子いましたね(笑)。うまい子はクラスの子達から尊敬のまなざしで見られる。 木床:はい、まさにそういうタイプの子でした。ポケモン151匹描くのがステータス、っていう。 アート方面での影響というとぐっと最近の話になって、若冲やホックニーは好きですね。両方とも美術の道を志した頃に出会ったんだと思いますが、若冲は見た時から好きで、ホックニーは色はかなり影響受けているかも。 性格ミーハーなので、その場その場で好きになったものを作品に取り入れたりしています。最近の例だと、大学院時代から絵の修理工房で働いているのですが、難波田龍起っていう人の絵が来た時、埴輪の絵があって、その後すぐに自分の作品でも埴輪を描きました。思いがけない絵に出会える環境はいいですね。   ―木床さんの絵って、明るいというか、作品に全く闇がないようこともひとつ共通点であるように感じます。色使いはひとつの要素なのかな。人に見て欲しいところとかってあるんですか? 木床:色は褒めていただけると嬉しいです。私自身も明るい作品が好き。若冲とホックニーも作品に闇がないと思います。見る人に普通に楽しんでもらいたいという思いが強いんです。 私自身、もちろん毎日ハッピーというわけではないんですけど、それこそ雨だとちょっと気持ちが落ち込む、というような(笑)。でも、わたしはどうしても、描くのに時間がかかる、長期的になるので、一時の気持ちで書くということができないんです。今日は雨だから憂鬱、でもその次は晴れちゃったりして。そうすると、長いスパンのなかで結果、自分の絵になるんです。 色は、少しずつ変化しながらも、これからもこんな形で描いていくのかなぁと思っています。私は油絵具使っていますが、アクリル絵具がうまく使えないんですよね。例えるならば、アクリルはマーガリン、油はバターって感じです。料理に使うと、まったく深みが違うじゃないですか。でも、両方メリットデメリットがあるので、これから研究していくところです。   ―それはすごく分かりやすい例ですね(笑) ところで、特に思い出深い、あるいは何等かの転機となった作品はあるのですか?ポートフォリオを見ると、かなり昔の作品から入っているのですが、比較的テイストは変化していないようにも見えます。   木床:転機となった作品といえばこれですね。 予備校時代に受験絵画に慣れないときにかいたものです。とにかく受験絵画が苦手で。課題の中に取材(スケッチ)に出かけて作品を完成させる、というものがあるんですけど、もう苦手過ぎて、隠れるようにして、この落書きを描いていたんです。それが講師にばれて、あぁ怒られると思ったら思いがけず、いいじゃんと言われて。この時描いた絵は、結局油彩にしたら全然成り立たなかったんですけど、今の土台となっています。今思うと、受験はこうでなければいけない、と自分で自分の首を絞めることもあったのだと思います。   ―なるほど。受験時代はかなり苦労されたようですね。今振り返ってみると、美大とはどのような場所でしたか? いいとこでした。環境も先生もよかったです。先ほども言いましたが、自分はとにかく描いていって作品を完成させるタイプなので、受験が苦手だったのは、とにかく間に合わない、という時間的制約がおおきかったんですよ。大学に入ると時間もたっぷりあるし、作品も予備校の頃に比べれば肯定されて、憧れる先生もいて、自然と卒業後もずっと絵を描いていこうと思いましたね。大学院は樺山祐和先生のクラスで、やりたいことを見守ってくださる方で大変お世話になりました。遠藤彰子先生は、本当にものすごく大きい絵をものすごい密度で描く先生で、憧れましたね。 樺山祐和「森にうつるもうひとつの森へ-杜-」 出典元:新制作協会 http://www.shinseisaku.net/wp/archives/2462   遠藤彰子「鐘」 333.3×745.5cm 出典元: 公式HP ―大学院を卒業されて3年目ということですが、今後どのように発展していこうと考えていますか? 木床:先のことを考えるのは苦手です(笑)。とにかく制作は続けていく、毎日描き続ける、ということしかありません。   ―活動拠点についてですが、日本で活動することの意味について考えることはありますか。海外に行くことは考えますか。 木床:私の絵は、日本の絵によせていて、日本人っていうのをアイデンティティとして持っている、持ちたいと思ってるんです。日本人はとにかく手が器用。私も、描く行為に重きをおいています。それはひとつ日本人っぽさだと思っています。構図も、江戸の浮世絵を参考にすることはあって、単純にかっこいいです。憧れはすごくある。絵じゃないとできない平面性は大事にしていますね。 制作場所を海外に置くことは現段階では考えていませんが、大学にいたときも色とかアジアに受けそうと言われて、作品を海外に持っていくことで、他国の人の反応は見てみたいです。   ―最後に、この記事は広く一般の方に読んでいただくことを前提にしているので、共通の質問があると面白いかなと思っていまして、こだわりの道具や制作においてこだわっている部分があれば教えてください。 木床:ニードルですかね。絵具を付けて削って線を出す時に銅版画のニードルで出します。葉っぱも葉脈まで描いているので、使い勝手がいいです。何回も使ってると先が太くなってきて、手にも馴染んできて自分だけの道具になります。 あとは、絵のこだわりでは、砂というか土の描き方。空は、今まであんまり書いてきてなくてまだ研究中なんですが。本当に絵具ひと塗りで終わらせることができなくて、全てを描くことでしか終えられないんです。それで、土は方向性は決まってきました。 研究中の海、空はこんな感じですかね。 左上の部分です。 海はこのような感じです。 ―不得意な部分が、解決策を考えているうちに作品の持ち味になってくるのは面白いですね。ところで、この作品、木床さんが好きとおっしゃってる伊藤若冲の貝甲図に似ていませんか?! 伊藤若冲「貝甲図」 引用元:https://paradjanov.biz/jakuchu/doshoku/163/ 木床:あ、ほんとだ(笑)全然意識はしていませんでしたけど! ―今日はありがとうございました!

作家リレーインタビュー第三弾は、衣川明子さんです。松尾ほなみさんからの紹介です。 衣川さんはURANOギャラリー所属の画家、一度見ると、忘れられない非常に印象深い絵を描いていらっしゃいます。 https://urano.tokyo/artists/kinugawa_akiko/ 衣川さんの作品は実際に拝見したことはなかったので、インタビューは、山梨県清春芸術村でちょうど開催されていた「高橋コレクション 顔と抽象展」に出品されていたものを見に行き、後日雨がしとしとと降る中、アトリエにお邪魔させていただきました。 (人のアトリエに行くのが珍しく、雑談がてら、アトリエに置かれているものについて質問していると、今度6月に長野県木曽で開催される展示期間中に行うお面ワークショップの試作だとのこと。ソファに座らせてもらい、インタビューを始める。) 河口:今日インタビューさせていただく前に、大体の質問事項をお送りする、とメールしていたのですが、それが出来ませんでした。というのも、メールでもお伝えしたように、実際に山梨まで行って作品を拝見したのですが、なんというか、言葉にならないんですよね。見て、ものすごく感じるものがある。でも、この感覚を、まだ会ったこともない人に対して、うまく伝えられるとは到底思えなかった。これはもう直で話して、どんな人か知るところからしか始められないと思いました。 衣川:わざわざありがとうございます。 ー松尾さんから紹介いただいて、衣川さん存じ上げなかったので、ネットで作品見たんです。その時は、すごく暗いなと思っていたんですが、いざ作品に対面すると、案外そういう感じがしないんですよね。 衣川:そうですか?自分は、どの作品が展示されているのか知らなかったので、見に行った時、「暗いな~」と思いましたよ。(笑) (清春芸術村にある)ルオーの礼拝堂が見たかったので、それで満足だったんですが。 ーご自身の作品をそのように思われるのですね(笑)私は不思議な感覚を受けました。なんと言えばよいんだろう?私は作品を見て好きだった。でも、それが何故か説明できないんです。人に薦めるとしても、「私は好きだったからあなたも見て」としか言えない。。。だから質問項目を作れなかった、というのもあるのですが。 衣川:あぁ、それはよく言われます。語りづらいというか。 ーはい、なんとも不思議な感覚です。暗くはないんです、で、内面的なんだけれども作者の個人的な想いは超越していて、ある種の感情を見る人に抱かせている。絵に対する表現として、適切じゃないような気がするけど、これは体験するしかない。知りたいなら体験するしかない。 衣川:そう言ってもらえるのは嬉しいです。でも、それって、すごく当たり前のことだと思うんですよね。私は、技法的にはほんとに普通のことしかしてないというか。「こういう構造でこういう意味で」っていう説明だと大して言うことが無くて。 私は、ただ用事があって絵を描いているという感覚があります。モノをつくる人は、誰でもそれぞれの用事があって、つくっているんだとは思いますけど。 ー(インタビュー中に何度も「普通」という言葉が繰り返される。)創作するということは、なかなか呼吸するように普通にできるものでもないように思うのですが、大学を卒業されると、毎回講評会みたいなものもないし、どうやってモチベーションを維持されているんですか? 衣川:卒業後1年くらいは展示が重なって決まっていて、モチベーションがどうとかは特に無かったですが、それが落ち着いて、じゃあ次何しようってなりました。それまで自分だけの物だった作品が商品になるのも切り替えが難しかったですが、「作品としての価値」の話と「商品としての価値」の話を一緒くたにして聞いてしまっていたので混乱していました。いろいろな視点・立場から作品について言葉をもらい、価値の有る無しを与えられているような、求められているような感覚に勝手になったりもしていました。でも実際は、作ることや作品を扱う事に対して誠実な言葉とただの世間話の違いがわかっていなかっただけで、腐った時も身近な人の言葉に何度も助けられています。 それで千葉のアトリエに4・5年引きこもって、作品に向かっているけど描けないみたいな状況になっていましたが今はアトリエも移って、整理もついてきているので楽になっています。 ーなるほど。 衣川さんは、内的なものが作品のテーマであるように感じるのですが、そういった自分が内面に抱えているものが創作の源泉だとすると、それらがなくなることってないんですか?あるいは、絵を描くことでそれが浄化されて、いつかなくなるかもしれない恐怖とか。衣川さんの「用事があって絵を描く」という表現は、私には非常に面白く映るのですが、つまり、いつかその「用事」がなくなってしまわないだろうか、という恐怖。 衣川:内面的なものは、なくなりました(笑) ーえ?(笑) 衣川:いえ、一時的にですけど。先ほども言いましたけど、やっぱり他人の考え方とか評価が気になると絵と自分との間に距離が出てきて、絵に対する信頼がなくなってしまったんです。 私は、絵を通して何かを人に伝えたりできると思っていたんです。自分の気持ちを分かってよ、ということではなくて、自分の作品を通して人に何かを感じて欲しい。でも、自分の絵は伝えられているように見えなかったです。もっとわかりやすく言葉でも説明できるようにと考えて描こうとしたら、絵との距離がどんどん離れていきました。 ー今も絵を描かれているということは、絵に対する信頼がいくらかは回復したのかと思うのですが、それはどうやって? 衣川:うーん、自分は子供の頃から動物のことを考えていて、絵を通してそういったことを伝えたかったんです。でも、「良い絵ですね」としか見られなかったり、そうでなかったとしても、絵ってやっぱり自分の意図が正確には伝わらない。その時に、「絵なんか描いてる時間使ってもっとやる事あるんじゃないか」とか、絵の無力を感じると同時に、絵ってそういうものなんだな、ってわかってきた。自分の考えを直接的に説明したいのなら言葉を使うべきで、絵の役割は別にあるというか。自分があまり説明だけの絵が好きじゃないのもありますが。 絵を描くことは苦しいですけど、喜びや充実感もあります。描いていて、言葉がなくなる瞬間とか。言葉がなくなりつつも、絵がしゃべるように感じたり、思考とは違う感覚を使える所でもある。そっちのほうが絵の本来的な役割なんじゃないかな。 あと、動物のことを話すと、なんで絵なの?と聞かれますけど、多分、言葉で伝えられなかったからというのも大きいと思います。動物を傷つけないでと伝えたくても、同じものを見てきたわけではないから、動物に痛みが有ることを信じない人もいる。言葉でその状況を説明しても、共感する気がなければ伝わらない。それならその動物の感情をそのまま見せてやるって意識はあって、絵の方がそれができるんだと思います。 (大きいのは梱包しちゃってるけど、といいつつ、小作品を次々と押し入れから出してくれる) 自分の絵は暗いと思うんですか、暗いというか弱さがあるというか、でも感じさせたいのはそこじゃなくて、そういった暗さとか負の部分を知らないと、明るい方向には行けないんじゃないかなと思ってて。暗さや見たくないものの中に光を見れるようになりたいです。 ー動物について考えていた、というのはどういうことですか? 実家が動物愛護をやっていて、野良猫や野良犬の保護ですね。そういった動物が何匹もいるような家でした。それをずっと見ていて、動物は殺していいとされている、物でしかないのが理解できなかった。人間が人間のために作った社会だし、自由に搾取する相手がいないと困るのもわかるけれど、子供のころは、動物映画で泣いてる近所のおばちゃんにとって野良猫は殺していい物だったり、人権について語る人が動物に無関心なことに不満をもっていました。 それで、動物と人間をもっと平らに見て欲しいという思いがあって、人間や動物の絵、あるいは人間と動物が合わさったような絵を描いているのですが、それらを全部水平に並べたりしていました。 でも絵は、直接的な活動や批判と違って、表現になってくれます。私の怒りやネガティブなものだけでなく、そこに付随する人間同士の不和や調和、愛の構造、自分の意識に上っていない所まで表現として、立場を超えて伝えられる可能性を持っています。絵を通して、知らない人と対話できるのなら、見る人に何かしらを感じてもらえるのなら、絵を描く価値ってあるなと思います。 ー先ほど、何年か千葉の実家に戻っていたとおっしゃっていましたよね。そしてそれが辛かったと。動物が雑に扱われている場面を見るのが嫌だったなら、何故そんなに何年もいたんですか?私だったら、見たくないものからは一刻も早く逃げ出したいと思うのですが。 衣川:いや、辛かったですよ。でもどこにいても動物は似たような状態だし、見るか見ないかの話でしかないので、どうせなら関わろうと。でも絵を描くメンタルとのバランスは難しかったです。ずっといた子たちが病気でパタパタと亡くなり、一段落ついたから東京に来たということです。 ー(話しながら机の上を物色していると、遠藤周作の本がある。)あ、私、遠藤周作好きです。学生の頃、国語の時間に「沈黙」を読んで、それから何回か読みなおしました。 衣川:私も、小学校の教科書で踏み絵を知ってから、ずっと気になっていたのですが、遠藤周作を読んで、理由が分かったような気がしました。踏み絵を強制された当時のクリスチャンは神を愛しているのに、自分のために踏んだ。踏んでいるのに、自分を責めることなく愛してくる。その姿が、私の中では、人間である私と動物の姿に重ったんだと思います。 動物を愛したくても、人間社会で生きる以上システム上動物を殺してその恩恵を受けて生きている自分を、人間に虐待されてもそれでも愛してくる動物への感情をもって踏み絵を描いたりしていました。実際の動物と人間の関係はそんな単純でセンチメンタルな話でもないですが。 ーなるほど。踏んでいるのに、愛してる。話していると、少しずつ衣川さんという輪郭が見えてきて、絵の見え方が変わります。 絵はストーリーに左右されやすいですからね。そういうのが邪魔だっていう人もいますし。 ー先ほど、絵の役割という話がありましたが、絵の限界というか、絵が担えない部分については違う手段を使って表現したいと考えていらっしゃいますか? んーこれは、木をハンダゴテで焼いたものだったり、 一番外側のは、石膏に水彩絵の具で着彩したものだったり、自分で実験的なことはしますが、絵の準備運動みたいなところがあります。 同じ構図で描いていると、どうしても、工程として絵具をこのように塗り重ねるとこのような画面ができる、という風にやり方が分かってきてしまうので、素材を変えて刺激を与えた方が楽しいです。 ー今日はありがとうございました。こんなに深く作品を前に作者とお話しできたのは初めてです。自分なりに、作品に近づけたかなという感覚があります。また展示される際には、見に行きます。 はじめてのアトリエを訪問してのインタビューはとても濃厚で、作品が生まれる場所で作者から直接言葉を聞くことは、異次元の世界に入り込んだような感覚がありました。まだまだ未熟なインタビュアーに言葉を丁寧に選びながら、こちらの質問に真剣に答えてくださった衣川さんに感謝します。ありがとうございました! 聞き手/書き手:河口

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