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Column

作家インタビュー第12弾は、奥誠之さん。宮川慶子さんからの紹介です。 https://www.okuart.com/ 2014年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業、2018年東京藝術大学大学院美術研究科卒業、2016年までは主にインスタレーション作品を展開し、2017年より絵画を中心に制作されています。 河口:あなたにとって、美術、制作することとは何でしょうか。 奥:自分の制作と、美術っていうところはたぶん結構分けてるところはあって、美術は専門的に大学に入って勉強して、知識があるっていう立場でいたいなと思って、で、制作の方はむしろ知識を捨ててるような状況で、自分の感覚とか原体験に基づいていくような行為としてやっていて、それを実際展示して人に見せる時に、それが何なのか、とか、何の価値があるか、みたいなことを話しつつ、その中で知識が生きてくるかなぁと思っていて、 ー:とすると、美術は、絵を描く技術ではなくて、言葉としての武器として使っているというイメージですか。 奥:そうですね、美術史とか、制作にしても、大学の時は課題があって作らされたりとかしていて、こういう表現があるとか、技術的な面も歴史的な面も知識で僕らはやってるところがあって、そこは趣味でやってる人と自分(大学で美術を学ぶ人)の大きな違いだなと思っていて。せっかく勉強してきたから、人前ではそういう態度でいたい。制作としての美術と言葉としての美術は、分けてますね。だから。 ー:制作も最近の絵は原体験に戻ってるということで、奥さんの制作活動や展示の形態も美術史にのっかって作ってるものではないと思うのですが。敢えて、意識的にやっている? 奥:意識的にやってますね。なんか、美術史にのっかれる人は友人にいるし、僕は知識をめちゃめちゃ持っているわけではないんですけど、美術史に興味を持っている方ではあるのでそういう人間が敢えて違うマーケットに挑むとか、もっと分かりやすく伝えるという役割になってもいいかな。 ブランクラス(2009年に芸術を発信する場として横浜にてスタート)で詩の朗読とか、おしゃべりスポットをやっていて、広くアート学んでいない人に対して行為をしたい。 ここ最近はずっとそうで、たとえば展示会場で来た人にお茶を出したらその人はそれを飲む時間だけは滞在するじゃないですか。その時間でじっくり作品を見てもらったりお話したり、簡単なことだけど、そういうこととか、気を静める場づくりを意識していて。 ー:ブランクラスとかってある程度美術/文化に教養なり想いを持ってる人が来ると思うんですけど、奥さんのやりたいことを聞くと、じゃあもっと幅広く社会に分かりやすく伝えることで、行った、あるいは今後行いたいと思っていることってあるのでしょうか? 奥:今、マルシェ流行ってるじゃないですか。そこで絵を売っている人がいて、その人と知り合ってぼくも絵もマルシェで絵を売る活動を始めました。その人の旦那さんがマルシェの主催をしている人で、大きな商業施設の空きスペースでマルシェを開催してるんです。僕もそこに混ぜてもらって子供と絵を描くワークショップをやったり絵を売ったり。マルシェだと本当に通りすがりの人に対してアプローチできるので、今後もこう言った活動は大切にしていこうと思ってます。 ー:そういう風に考えるようになったのってどうしてなんですか。 奥:それはムサビを出た2014年から数年の間に自分がいた環境が影響しています。ムサビを卒業した頃からOTAFINEARTSっていうすごく大きなギャラリーでアルバイトをしてました。そこは僕にとって夢の世界というか、大きなお金が動いてて、そのおかげで所属アーティストの作品も大きく展開できてっていう。 自分はこういう場で活躍するアーティストになりたいと思ってたから、戦略を練るわけじゃないですか。どうしたらこの人たちみたいになれるか?みたいな。ただ戦略を練っていけばいくほど、なんか、普通に街を歩いてる人と話が通じなくなる感覚になったんですよね。例えば飲み屋で隣に座った人と話して「ぼく美大生なんです」って話になったとして、「何やってるの?」「油絵科にいて…。」みたいな会話がある。でも「じゃあ絵描けるんだね」って話になると、僕、その頃絵やってなかったんで。「インスタレーションでこういうことしてて」ってことを話したいけど、隣に座って話してる人はインスタレーションっていう言葉をそもそも知らない、みたいな。 そういう場面に多く出くわして、今自分がやってることって、誰の何のためにやってるんだろうっていうのがだんだん募ってきて、それが2014年から2016年までずっとモヤモヤしてた。たぶん吹っ切れたのが2017年で、アトリエを友達の家に仮住まいというか借りることになったのが大きかった。それまであんまりアトリエとか使わなかったんですけど、アトリエ持ったからもう全部絵に変えようっていうのになったのが2017年。 ギャラリーでバイトして、どれだけの人がアートを見てるかっていうか、アートに価値を見込んでちゃんとそれに対してお金を払うじゃないですかギャラリーだったら。それはどういう人で、何人くらいで、というのがぼんやり頭の中で見えてきて、足りないと思って。ギャラリーの人達とか作家はほんと素晴らしいからそこに対してどうってことじゃなくて僕はアートに価値を見込む人の母数が足りないなと思ったから増やす方向にまわろうと。それが後々絵を描いて絵を選択したこととか絵のサイズとか絵の値段とかに繋がっていて。 ー:どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 奥:それは結構小さい頃から絵を描くの好きだし、っていう典型的なタイプだと思うんですけど、母親が海外志向というか、クラシックとか印象派が好きで芸術に理解があった。中学生かなんかの時に母親がイギリスに仕事でいって、僕はじめて海外つれていかれて、母親仕事だから、朝ナショナルミュージアムに僕をおいて、夜帰ってくるんですよ。8時間くらい僕美術館にいなきゃいけなくて。それが、嫌とかまったくなくて、むしろずっといれる。で、退屈しないし、自分で物事考えられる、向き合える時間で、だから絵を見るのとか一枚に1時間かけても飽きないとかいうのは、子供のころからわりとそういう感じでしたね。 ー:アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか。 奥:ここ最近でいうとほんとに音楽と絵本にめちゃめちゃ影響受けてて、絵本は「ささめやゆき」さんっていう人がいて、その人の絵をみたときに、上野に子ども図書館あるじゃないですか。芸大の近くに。そこに行って、見てたら、僕が絵を描いて、現代アートの中で絵をやろうとしているのと全然違う伸びやかさがあって、こんな形描けるんだな、って。僕はすごい狭い中で絵画について考えてたなと思って。そういうことがひとつ絵本からの影響。 音楽は、例えばaikoとか、大学になってから聴きだしたんですけど、最高じゃんみたいな。「交差点」とか、そういうワードが出てきて。折坂悠太、この方は2017年に僕が絵描きだすときに知ったんですけど、薬局のカエルとか、はすむかいのピアノの音とか、そこら辺にあるもの達のことを言ってて、それにすごく刺激を受けた。現代アートって、なんか社会のことがすごく難しく表現されている気がして。もっと身近な「交差点」とか「薬局のカエル」とか、アートで見ないな、と思って、そういう表現をしたいなと思ったときに、この辺の人達が気になりだした。 ー:現代アートがトップから降りてくるっていう感覚なら、奥さんのされていること、やりたいことって共感を呼んで、膨らましていくというか、そういうイメージですかね。 奥:本当、僕は共感だなと思っていて、自分のやっていること。 インスタレーションをやっていたときは、文脈とかコンセプトとか、ある程度言葉で構築したことをベースに、作るときにそれを飛躍させるみたいな意識でやってたんですけど、絵を描き出してからは言葉にできないことをしてるって意識が強くなった。言葉未然の声みたいなものが一筆一筆に乗っかって、一筆ごとに声を発してるようなことなんじゃないかって。 ー:言葉で言えないことって恥ずかしかったり、言葉にするのが憚られたりで言えないことなのか、あるいはそもそも自分自身が言語化できないものなのか。 奥:たぶん両方あって、僕、人付き合い的には広い人間なんですけど、あんまり自分の素を出せてないというか、なんだろうな嘘ついてる感覚もあって、絵描く時だけが、あぁ帰ってきた~みたいな笑。2,30枚一緒に絵を描くから、計算がゼロの状態で書いていて、それを面白がっているような状態で、そこで見つけていくというのはあるかも。 ー:ちょっと嫌な質問かもしれないですけど、価値を広げていく、今、純粋なところで絵を描いているかもしれないけれど、それってどこかしらのマーケットにはまっていく、もしくは作っていくことになるじゃないですか。それって、現代アートじゃないとすると、どういうところを狙っていってるんですか。 奥:そうなんですよねー。それがわかってなくて、まだ。やっぱり現代アートとか、美術館にあるものたちにつながってほしいなという気持ちはあるんです。ただより広く普及させるには絵本がいいかなとなんとなく思っていて。僕の絵は絵具が混ざっていたり物質感があったり、画像に落とせないところがあるんですけど、たとえば荒井良二とか、かなり絵具感あるんですけど絵本として印刷されてて。僕は絵具のまま、形としてなってない状態のまま、人に渡るとなると、結構絵本かなぁと思って、いつかの楽しみ、数十年後の楽しみでいいんですけど、ひとつ絵本はあるんですけど、 ー:奥さんの絵ってひとつの絵の中にもストーリーがありそうだなぁと思っていて、その一枚の絵だけじゃなくて、連作として何か語りたいとか、伝える物語って想定しているんですか? 奥:今のところは全くなくて、何か誰か文章を提供してくれたらすぐに取り掛かれる気はするんですが、自分の絵はほんとにいっぱい並べた中で、こっちは緑こっちは青とかってやっていて、別々なものが描かれていくから、絵本みたいに毎ページ同じものが出てきてっていう状態にはならないものなんですけど、でも、時々で考えて感じて描いてきた絵が、半年単位とか一回個展するまでに全体のテーマみたくなっている気はします。例えば「ドゥーワップに悲しみをみる」、っていう展示の前は、ほんと働いてなくて、犬とばっかりいたんですよ。 犬とずっと散歩して、大学博士受けて落ちて、まさか落ちるとはって感じだったから途方に暮れていて、3か月くらいは全く何もしないで、犬と実家にいて、犬に餌あげて遊ばせて、ただ撫でてる、これが一番幸せだなーとか思ったけど、先に犬が死ぬよなーとか考えてて、そういう中で描いた絵は結果として共通の気持ちが入っているような気がします。犬とコミュニケーションしてるときが一番絵を描いてるときに近い、自分の素だなって。それくらい、言葉がいらなくて触れられるものが好きなのかもしれないですね、今思えば。 ー:絵自体は完全なる抽象じゃなくて、意外とものじゃないですか。そこってぱっと絵具を塗っているにしても、考えてはいる? 奥:たぶん感情みたいなものを具現化するための人、犬とかになると思うんですよね。人も見た人描いてるとかは全くないし、犬も飼ってる犬種を描いてるわけでもないし。 インスタレーションの時は、歴史のことをやっていて、それを学びたい気持ちは今でも変わらないんですけど、今はそういうところから介護とか障害とかそういう本を読むようになってきて、過去の大きな出来事じゃない、身近なとこの助け合いとかになってきたんですけど、それが絵にも表れてきている。 インスタレーションで歴史について考え出したきっかけは、ムサビ(武蔵野美術大学)のとなりって朝鮮大学校があるんですよ。僕がいたころから交流展みたいなのをやりだして、そこに誘われて3回目くらいに出展したんですよ。で、4,5回目がムサビと朝鮮大を橋で繋ぐ、みたいなことをやって、結構話題になったんですけど、そこで、在日の彼らとディスカッションをしていると、彼らはアイデンティティについて常に考えていたんですね。で、僕はそういったことが美術の表現にあまり直結していなかったりするし、ぼんやりしていて、じゃあぼんやりしていることの特異性をこうやって表していると思うんですけど、僕はなんでこんなに無知なんだと思って、自分の家族のことだったら身近だし、家族の過去を調べてみようってことで始めたんですよ。 でも家族の歴史を見ていくと、自分が権威の側、支配する側にルーツがあって、その末端に東京の裕福な家庭に育った今の自分がいるということが見えてきて、そこに対する負い目が強くなってきた。その負い目をモチベーションにするのは違う気がして、もっと自分が当事者として今思っていることを発信したいと思ってきたところで表現が絵に変わっていった。 :今までのお話を伺っていると敵を作りたくない? 奥:そうなんです、絶対数年やってくとボロが出る、というか失敗するっていうのはめっちゃ分かってるんですけど。 現代アートで何に違和感があるかっていうと、飛躍するステップがあって。視点が急に変わるということがアートではやっぱり面白いなって思うし、その展開のさせ方は美大で習う技術でできるようになる。でもその技術だけで、社会的な問題や過去の大きくて悲惨な出来事を扱って作品を作れるかというとそうじゃないと思う。過去の出来事に接する際の文献の調べ方とか社会的な問題の当事者へのインタビューの仕方とかそういうところは美大では教わってないから、そこの技術が僕にはなくて、歴史や他者を扱うときの限界が見えてきた。 たとえば大学で社会学を専攻してたら常に被験者とかインタビューされる側の話を大学で学んでいるとか、先生のフィールドワークに同行してそこで見たリサーチの技術を自分の研究に活かすとか、そういったステップがあるはずなので、そうやって他者と関われたらいいんだけど、ずっと絵を描いてきた人が、今の主流はそっちだからといって、いきなりそういったテーマを扱うのは怖い。 ー:ちゃんと批判があったときに勝てるだけの理論武装ができてないと、っていうのはありますよね。 奥:そうそう、だから学校でそういうことが教われるっていう状況にも早くなって欲しいな。 他には作品が残ることとかは、本当にいろいろ考えて、ゴーギャンは昔タヒチにいたんですけど、タヒチにゴーギャンの作品は一点もないんですよね、オリジナルは。フランスとかにあって、億単位でやり取りされていく。でも、ゴーギャンがいたおかげで、観光地として結構有名な島になって、ゴーギャン美術館っていう、ゴーギャン作品のレプリカの美術館もできた。これって何なんだってパラオ行った時思って。(注:2016年、家族史のリサーチの一環で南洋庁に勤めていた曾祖父のことを調べるためにパラオに2ヶ月滞在した。) 最近の美術館って植民地にした場所から収奪したものを返していくっていう動きがあるんですけど、そのゴーギャンの例にしても、そのままタヒチに残っていたとしたら保管はきかないし、保管のプロもいない。それで作品が消えていっても良かったのかもしれない。でも作品が残っているおかげで僕はゴーギャンを知ることができたし感動することができた。それを引いて見れば、タヒチと縁もゆかりもない人たちが作品を愛でて、そこに大きなお金が動いて、そしてそこはかつての戦争で勝った国でという構造がある…。それをどうしたいっていうわけじゃないんですけど、その関係性って面白くて。 ー:面白いですよね。ほんとうにそれは答えもないところだけど、需要と供給の関係性の中になければ、物事に価値って何もない。 奥:でも、貨幣価値じゃないところでの価値、そういうところがこれから重要なんじゃないかなと思っていて、そこで何かしたい。 ー:貨幣価値じゃないところ、っていうとそれこそ奥さんがやろうとされている人とか共感なんじゃないですか。 奥:そうですね。物を見て、それを好きって思うこととか。 僕は絵を勝手に芸大の修了展で売って、5000円から10000円って値段をつけてて、僕は2,3年ぶりに絵を描いていたし、そんなに大きな値段も付けられないと思って、で、買ってくれた人たちとの関係性って今でも続いていて、結果的に1年半とか2年で、48枚くらい作品が売れたんですけど、そこも残るとかについて考えるきっかけになって、 今まではアーティストへの道が一本あったら、美術館に所蔵されたらアーティストとして名が残るだろうと思っていたんですけど、前に僕の絵を高校生の女の子とかが買ってくれたり、お父さんもお母さんも買ってくれて、その高校生の女の子が死ぬまで大切にしてくれたら、トータルで100年とか残る可能性ってあるなと思って、自分が人に作品を渡してみて初めてその残る、残らないとか、歴史とかいうものの価値観が変わってきたんですよ。 それが自分の作品だけではなく、横にもじわーっと広がっていくことが目標なんですけど、その辺が難しい。こうしたことを考えている人と出会いたくて、出会えてもいるし、けどまだ足りないというか。現代アートのトップギャラリーだけがアートじゃないし、銀座の画壇だけが美術じゃないわけで、でも先生たちはそこの人たちだから、どうしてもそこが目指すレールになる部分は出てくるけど、イラストレーターとか絵本作家とかもっと色んな形でアートなり美術が存在できる場所はあるはずで、油絵科の教授にそういう人も入ってくれたら美術教育の段階でもっと学生の今後の選択肢が増えるような気がする。 ー:最後の質問になりますが、今後、作家としてどのような活動の展開を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 奥:マルシェで絵を売る活動とかを僕はアウェイ戦って意識でやってるんです。今までアートや美術鑑賞に馴染みがなかった人に作品を見せて買ってもらうまでいくっていうのはかなり難しいとは思うんですけど、僕や誰かの作品をきっかけにその人の今後の生活が少し変わっていくみたいな可能性は捨てきれなくて、そういうことは今後もやっていくと思います。 直近の発表は三軒茶屋にある生活工房という場所で行われる「プライベート・コレクション展」という展覧会に作品が出ます。この展覧会は、個人宅にある美術作品の展示風景を写真作品として発表してきた藤井龍さんというアーティストの活動に焦点を当てたもので、今回の展覧会のために募集をかけて集まった個人宅にある美術作品20点と、藤井さんが撮った写真、作品所有者のインタビュー映像が展示されるそうです。 藤井さんの活動は、勝手に自分と近いことを考えてるんじゃないかと思って前から興味があったのですが、僕の絵を買ってくれた人がこの展示に僕の絵を出してくれました。展覧会自体の企画には全く関わってないので普通に一鑑賞者として楽しみにしてます。 ----- fig.1 ヤップ島で使われている石貨という石の貨幣は、それが使われてきた来歴によって価値が決まるという。初個展「南洋のライ」(2014年)では、石貨とそれを日本に持ち込んだ曾祖父との関係を扱い、価値と物語の関係を考えた。 fig.2 2017年にアトリエを借りてから絵の制作を再開した。再開後すぐの作品とアトリエ。 fig.3 2017年、OTA FINE ARTSでアルバイトをしているスタッフによるグループ展「Assistants」で発表した作品。国立競技場と家族の関係を扱った。 fig.4 「ピアニスト」2019年 fig.5 2018年、blanClassでのイベントで行った絵の展示「ドゥーワップに悲しみをみる」 fig.6 今年5月、吉祥寺パルコのマルシェに出店し、グループ展「PART: 生活の一部(?)」を開催。計31点の作品が売れた。

    中国 杭州に滞在する現代美術家、 山本愛子が全6回に渡り、旬なアジアのアートコラムをお届けします。     静かな中国 - 杭州の芸術家 杭州に来てもうすぐ9ヶ月目に突入する。世界遺産の西湖を中心に広がっているこの街。中国7大古都の1つで、多くの文化財が現存する風情ある土地だ。私と湖との初対面は日暮れ時だった。水面は音もなくたふたふと揺れ、夕焼け空をうつしたゼリーのような光沢がぬらぬらとしている。海や川のような流動感はまるでない。この静寂閑雅な光景が、人に言葉を紡がせるのだろう。詩人や芸術家に愛された湖というのにも納得がいく。   私の制作スタジオは西湖一帯から南にバスで小一時間ほど下った土地。「白塔岭(バイターリン)」というビルの一室だ。山頂に位置しており、私は中古電動バイクの充電を日々気にしながらガーっと登って通っている。左右に見える二棟の全室が、現在13名ほどのアーティスト達で埋まっている。空きビルだったところに、この1~2年の間でアーティスト達が一気に移動してきたらしい。その前までは市内中心地にスタジオが密集したスポットがあったのだが、家賃の高騰と共に今は全員撤退。「最近のブームはこの辺だよ、まだ家賃が安いから広いスペースが使える」と地元のアーティストが教えてくれる。どの地でもアーティストは穴場の開拓が上手いなぁと思う次第。 それではこの白塔岭スタジオを少しのぞいてみましょう。   一室で絵を描いているのは、潘子申(パン・ズーシェン)さん。彼女の作業場は、何やら小さなもの達でにぎわっている。棚にはスケッチブックが山積みになり、その上には不思議な形のオブジェがちょこんと重石に。何かの機械を分解したパーツが机に散らばる。小箱達に詰まっている漢方薬。点在する陶磁器、小岩、流木。空きビンに野草のドライフラワー。部屋というより小さな庭に来たような気分だ。   巨大な山脈か、あるいは骨のようにも見える何かを描いている。彼女はこれを「身体の地図」だと私に話してくれた。   《作为承载的身体》2016年 人骨と共に描かれているのは薬草だ。なんとなしに描いているわけではなく、薬草の効能と身体の箇所の関係に基づいて描かれているというので驚いた。なんと神秘的な身体の地図!中国医学の神とも言われる人物「神農」からも創作の着想を得ているそうである。神農は、農業、薬草、医療に尽くした人物。伝説によれば神農の体は頭部と四肢を除き透明で、内臓が外からはっきりと見え、その自らの身体で薬草と毒草を検証した。もし毒があれば内臓が黒くなるので、そこから毒が影響を与える部位を見極めたという。   《松果在你的眼睛,海马在你心》2016年 私はこの作品たちがとても好きだ。なぜだろう。一つはおそらく、絵であり図であるところが良いのだろう。絵の魅力が右脳を喜ばせ、図の説得力が左脳に思考を始めさせるような、そんな感性と理性を兼ね備えている。「漢方薬の歴史の中で、薬の効能は歴史ごとに異なって語られてきた。例えば、万年茸が死人を蘇生することができるとまで言われる時代もあった。」と潘子申さんは言う。肉体と精神の自己回復。病は気からという言葉が今もあるように、薬草の効能と人間の「気」や「意識」が混じり合うことで、古来の人は身体を回復させてきたのかもしれない。古来の伝説というものは大抵が摩訶不思議に聞こえるが、科学が進歩した現在だって人間の精神と身体は相も変わらず神秘に包まれている。人は人についての全てを知ることができない。未知を探求する人間自体が何より未知の存在なのだ。彼女の作品は、現代人が忘れかけている未知の存在への畏敬の念を自然と呼びかけるようだ。   描く姿をしばらく見させてもらって気づいたことがある。彼女は、描く時間と同じくらい描かない時間をもつ。キャンバスに手をそえたり、絵を見つめたり、空中で手をゆっくりと動かしたりと呼吸のようだ。独特の時の流れのなか、小さな刺繍を好む彼女の服が揺れる。物静かに微笑む表情がそれによく似合う。キャンバスの上で医学も美術も区切りがなくなっていき、ただ彼女らしさがそこにある。   さて、その隣のスタジオからは、彫刻刀の音と共に木屑の良い香り。大水曾淼(ダーシュイ・ツェンミャオ)さんが木を彫っている。このスタジオが、本当にセンスに溢れているのだ。置いてあるもの一つ一つにこだわりが見える。ここで彼女が作っているのは中国古来の楽器、古琴(クーチン)。3000年以上の歴史を持つ、中国人が古くから愛好した音楽遺産。私は中国に来るまで古琴を見たこともなかったけれど、日本の箏よりシンプルな印象。日本の箏は13弦に対し、古琴は7弦の絹糸で作られる。   曾淼さんは中国美術学院で油絵科を卒業している。美大で絵を学んでいた彼女がどうして今、古琴を作っているのか?単純な疑問が湧き単刀直入にそれを尋ねてみた。まあまあ、と彼女は漆黒の小さな陶磁器を木のテーブルの上に並べ、中国茶をゆっくりと淹れてくれた。体内に染みわたる。きっかけは学部生の頃に古琴の演奏を習い始めたこと。その当時に先生が仰った言葉がある。「古琴の楽譜は古代のもので、奏者はそれを学ぶ。古琴の楽器自体は、奏者にとって買い物にすぎない。楽譜と楽器は別々の分野にある。」それを聞いた彼女は、楽譜と同様に楽器自体も学びたいという想いになり、独学で古琴の制作をはじめた。   手仕事は美しい。彼女の美しく無愛想な手が生み出した古琴の音色。その音に惚れこむ奏者達が山頂の辺鄙なスタジオまで買いつけにくる。独学でここまで作れるの?と私が驚くと「本を読んで手を動かした」とサラッと言う彼女。「絵を描くことも楽器を作ることも自分にとって同じこと、ただ好きなものを作っている。」   「神奇秘譜」と表紙に書かれた不思議な本を見せてくれた。なんとこれが古琴の楽譜!漢数字が弦の番号を示していて、そのほかが手の動きなどを表しているそうだ。曾淼さんによれば、古琴の楽譜には五線譜のようなテンポやリズムが無いらしい。奏者がこの譜をどう読むかに委ねられる部分が多く、同じ楽譜でも演奏は十人十色ということだ。確かに読めないなりにも五線譜とは全く異なる構造であることは伝わる。眺めているだけでかっこいいが、やはり読めなければ音は聴こえてこない。彼女にはこれが読めて、音が聴こえているんだなあ。   ある冬の朝、スタジオで曾淼さんの演奏を聴かせていただいたことがある。山頂の白塔岭スタジオは静寂に包まれていて、凛と冷えた空気のなか古琴の音が響きわたる。一曲は15分ほど、その大半が余韻なのだ。弦が弾かれ音が空間に消えゆくまで、まるで絹糸という動物の鳴き声を聴いていたような感覚。余韻の最後まで音の行方を感じとろうとすると分かることがあった。音が空気を振動させているということ。その振動に明確な区切りはないこと。西洋の12音階のように区切って音程は語れない。フォルテやピアニッシモのように音量を規定することもできない。リズムを一定に刻むこともない。生の音が空気と共に鳴いている、と言い表せば良いのだろうか。東洋の音に対する感覚は言語を超えた先、沈黙の領域にあるのだろう。素人ながら私はそんな芸術の時に触れた気がした。   絵と古琴。色も、音も、その手を介せば彼女の化身となる。好きなことに向き合う手、帰り際にはいつも旬の果物をお土産に、私の手の上にポンとのせてくれるのだ。     潘子申 1984年浙江省台州生まれ 2007年中国美術学院油絵科卒業 2014年中国美術学院インターメディア科修了 WEB記事 https://mp.weixin.qq.com/s/ALqcqiGOv504I-DSM9yP0g   大水曾淼 1984年江西省生まれ 2007年中国美術学院油絵科卒業 2005年から浙派郑云氏の元で古琴を学びはじめ、2015年より独学で古琴を制作。   あとがき 中国=騒がしいというイメージを持っている方が多い気がします。しかし静かな中国もある。ここでの私生活はとても穏やかです。今回ご紹介した2人のアーティストもそんな静かな世界の住人で、いつも優しい雰囲気に包まれています。中国古来の薬学や楽器といった自国の文化を自身の仕事の中で黙々と探求している姿はかっこよく、学ぶことたくさん。 このコラムでは、私自身の超個人的なフィルターを通して見える世界、私が出会った芸術を、一緒に味わえればと思っています。ひとり静かな時にでもまたお付き合いくださいませ。   筆者プロフィール 山本愛子 Aiko YAMAMOTO 作家 ウェブサイト http://aikoyamamoto.net 1991年 神奈川県生 2017年 東京藝術大学先端芸術表現科大学院修了 2018年から現在、中国美術学院新媒体芸術科研究生、ポーラ美術財団在外研修員として杭州に滞在中。

  中国、杭州に滞在する現代美術家、山本愛子が全6回に渡り、旬なアジアのアートコラムをお届けします。     香港に着いた。私がなぜここに来たかといえば「アジア最大級のアートバーゼル」というものが一体どんなものなのか、とりあえず行ってみようと思い立っただけなのだ。滞在中の杭州から飛行機でたった2時間、映画を一本見終わる前に着いてしまった。空港から直接会場に来てオープンまであと数分。急いできたので景色もよく見てない。というか香港のこと何も知らない、調べてない。着いてみて身を以て知る。根無し草の私は、自分で動いて見て聞いて感じることで言葉に血を通わす。「行かなくても美手帖とかSNSで雰囲気わかるし、お金持ちが集うような場所に作家自身がわざわざ行く必要がない。」昨日の私に言えるこの冷えた言葉を捨てるべく、水分をたっぷり含んだ粘土のように何も固まっていない状態のうちに色々と経験しよう!わくわく!そんなことを考えていたらバーゼルは澄まし顔でオープン。マップを見るとすごい量。242ブース!1ブース2分でも日が暮れる。     流れる風景のように膨大な量の作品を見ていると、私は作る側であるから作品の気持ちを考える。もし私の作品がこの大海原に一つ浮かんでいたら、と。人々は軽やかに回遊する。珍しいクラゲに目を奪われ、キラッと光る小魚にあら可愛いとよそ見して、遠くそびえ立つ山々にあちらに行こうと舵を切り、注意散漫な脇見運転をしながら、ある夫人はシャンパンを片手に風景をお楽しみのご様子だ。何というか、そんなことは予想してここに来たわけだし、と私もめげずにボロ船を漕ぐ。目ではなく心を奪ってくれるものは無いかと、そんな期待でパドルを手にする気持ちだけはトレジャーハンター。私の心を奪う何かに出会いたい。運命を感じる作品はないでしょうか。     不思議だな。こんなにたくさんの作品に囲まれているのに、なぜ見つからないんだろう。まるで行き交う渋谷スクランブルのど真ん中、恋人に出会えずひとり空を見上げて途方にくれてしまっているような。皆の目を奪う作品はたくさんある。インパクトがあったり、有名な作品だったり。しかし心を奪う作品はきっと人それぞれ違う。そしてそれはなかなか見つからない。目を奪う作品とは「今どこにいる?」と聞かれこの会場で待ち合わせにできるものでもある。「村上隆のおっきい花があるところにいるよ~」「なんか一番ネオンがすごいブースのとこ」という感じに。共通言語になりやすい作品は話題に乗りやすい。そして売れやすい。かどうは売り側じゃ無いので分からない。     いくつかの心惹かれるものに出会うことはできた。それらには共通点があった。私が心惹かれた作品の共通点、脆いもの。古紙、布きれ、いわゆる「襤褸」や、糸や針金、か細く自立するもの。素材に限らず、何やら細密に懸命に何かを記しているけれど、それが解読不明か意味深長なもの。謎を謎のままに肯定するもの。どこかの民族刺繍やらがオブジェにまとわりガラクタのような振る舞いだったり、メカニックな技術を駆使しているにも関わらず意味不明な働きをしていたり。私はそうした美しい暗号に出会った時、自分の心が喜ぶのを感じた。一見脆い暗号の奥に燃えたぎる強さ、作家自身の感性がじわじわと伝わってくる。待ち合わせ場所にはされない、どこかとりのこされた雰囲気のものたち。私はそんな素朴極まりなくオーラあるもの達に惹かれたのだった。     睨みが静かに光る。夜の茂みに一瞬ギラリと野生の眼。この野生は、注目を浴びてやろうという野心とは別のベクトルで呼び鈴を鳴らす。静かな鈴の音は、確かな警告でもある。作者の意図では無いとしても、私はこの作品たちを(正確に言えば作品の「部分」たちを)鏡として、私自身の居場所を聴くことができる。これは私が今回アートバーゼルに来て最も良かったと思える収穫の一つだ。自分は何が好きなのか、何を察知できるのか、何に心を通じ合えるのか。改めて分かるのならば、こんな鑑賞スタイルもあって良いでしょう。     人間は集合体になると野獣のよう。ガッツリ獲物を捉えに勝負をかける作品群の中、むしろ鈴でもって熊を寄せ付けぬこの素朴なものたち。同じ鈴を持っているもの同士だけが、リン リン リン と、秋の虫が互いの居場所を確認するように、それに心を交わし警告を理解する。野獣はその音構わず歴史を刻む。繊細なガラスの道を踏んづけ、足の裏から血が流れてもバリバリと大雑把に割り進む。そして生まれたガラスの破片たち、歴史の刻みカス。その一つひとつの怒り、悲しみ、美しさに心を通わすことができるのは、ちっぽけな個人の特権かもしれない。儚く鋭利な光、皮肉にも野獣の歴史無くして破片も存在しえないけれど。     こうして私は、アートの文脈を大無視して、アートバーゼルという大海原で鈴の音を頼りにガラスの破片拾いを楽しんだ。これでいいのだ!私は野獣ハンターではないのだから。自身の中に新たな言葉をコレクションし、バーゼルを後にひとり香港の夜景に迷い込む。小道、急坂、傷ついたアクリル板の窓越に吊るされた豚肉。排気口から蒸気。紅色の繁体字を下品にテカる金色がふちどり、冴えない小道をイカツく浪漫に仕上げてる。野良とペットを変幻する猫。目が合った。 ゴンゴンゴンと背後から私を追い越す二階建てバス。真っ赤なタクシー群が聴き慣れぬ信号機にひっかかり二手に分かれ、新旧入り混じるマテリアルの奥へと消えていく。明日は友達に会う。グーグルマップ片手にまだまだ吸い込まれそうな迷路の先。今夜の格安ドミトリーを目指し、リンリンと情熱がほとばしり、キラキラ掴めない破片と歩く。     ーあとがきー 4泊で香港アートバーゼルと周辺のギャラリーやアートスペースを色々歩き観てきました。4泊分の日記の文字数が収集つかなかったため、このコラムでは初日3月27日の日記から抜粋して編集しています。香港アートバーゼルに関しては多くのレビューが公開されるであろうと思い、ここでは周知の情報的なものは記述しませんでした。あくまでも作家目線の超個人的フィルターを通した世界から、自由なアートの楽しみ方、アートと日常が繋がっていること、香港初日の臨場感が伝わったらいいなと第1回目のコラムをお届けしました!次回は、私が滞在中の中国杭州で借りているアトリエ周辺についてです。よかったら次回もお付き合いください。   山本愛子 Aiko YAMAMOTO 作家 ウェブサイト http://aikoyamamoto.net 1991年 神奈川県生 2017年 東京藝術大学先端芸術表現科大学院修了 2018年から現在、中国美術学院新媒体芸術科研究生、ポーラ美術財団在外研修員として杭州に滞在中。

作家インタビュー第11弾は、やましたあつこさん。2018年に東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業、2019年1月に行われていた個展「君を名前で僕を呼んで」を見に行ったあと、アトリエにてインタビューに応じていただきました。 https://atat000x.wixsite.com/siatsuko/statement https://www.instagram.com/siatsuko/    河口:やましたさんにとって美術、制作することとはなんでしょうか。 やました:わたしは結構生活に密着してるというか、なんか絵を描く時ってこう、描くぞみたいな感じで描いて、終わった!って仕事みたいに描いてる人が多いと思うんですけど、私はON/OFFとかはなくてずーっと、ずーっと描いてる。   ―:今も、お話ししながらずっと描かれていますものね。ポートフォリオに呼吸するように描くって書いてあった気がします。 やました:そうそう、生活することの一部っていう感じ。絵が小さい頃から好きだったんで。昔は重い腰あげて描く、みたいなところあったんですけど、今は全然そういうのもなくて、ご飯食べるみたいな感じで、絵を描く。   ―:昔って? やました:大学生の時とかはそんな感じでしたね。(作風が変わり)今の絵になりはじめたあたりからアーティスト活動を始めているっていう感覚で、その時くらいからはずっと絵描いてる。 展示だしたりとかコンペだしたりとかもしていて、卒業制作の時にずーっと描いていたんですよ。こんなに毎日描くくせに。 朝9時に起きて、12時に学校ついて、12時から12時まで12時間描いていて、12時になったら終電だ!って走って帰って3時くらいに寝て、9時に起きて、っていう生活をずーっとやっていた。そうしてる時に ”絵を描く”ってこういうことだなって。 前は絵を描くぞ!って距離があった。段階踏まないと描けなかったから、絵と自分の距離があったなと思っていたんですけど、その頃から、ぴったり絵と私の距離は縮まってきたというか。そういう風に思う。今は生活の一部、”描いてる”。   ―:私、やましたさんの絵って、辛さがないから好きなんですよ。それで、その後でポートフォリオ送っていただいて、見たらコンセプト文に「邪魔のない世界」って書いてあって、でも日常って邪魔ばっかじゃないですか。 やました:邪魔ばっかですね、本当に。   ―:さきほどおっしゃったように自分と絵の距離は縮まったとして、日常と空想の境って色々な邪魔が入って、大きな溝がある時に、その日常と空想の世界の溝はどう処理されているんですか? やました:考えたことはなかったんですけど、確かに邪魔は多いし、ずっと幸せっていうわけにはいかないので、なんだろう、何考えてんだろ。   ―:絵を描くことは、それを考えないための行為ではない? やました:行為ではないですね、邪魔のない世界っていうのは、話の中の二人がずっと一緒にいて、想い合える、性別も関係ない。それは人間にとって結構最高なことなんじゃないか、と思っていて。自分の小さい頃の幸せのイメージみたいなのもありますよね。ふたりの世界は邪魔はない。 空想は昔からしていて、いつでもどこでも時間があるとしたりしてる、それに慣れているから日常と空想の溝ってないかも。現実でショックなこととかももちろんあるけど、なんだろ、そういう事から絵が私を守ってくれているんだよね。 今の私にとっては二人を描いてることがわりと幸せだったりするんで、絵を描くことが一番好きだし、私の幸せと(空想の)二人の幸せはちょっと違ったりする。   ―:描くことでその世界を作りあげているのか、あると思っているものを描き起こしているのか、どちらですか? やました:前者ですね。創りあげてますね、完全に。空想することが好きだったんで。それが現実にあるとはあまり思ってなくて。 絵を描く時に「何が自分に一番近いんだ?」とか「何が一番描きたいんだ?」っていうことを大学入ったばかりの時によく考えていて、当時は本当の意味で楽しく描けていたわけではなかったんですよ。でも芸大に通っていたし課題もあるし絵を描くのは好きだから描いていた、そうしたら大学2年生の頃にネタが尽きてスッカラカンになって、じゃあ本当に描きたいものって何だろう。それがこれ(今のコンセプト)だったんですよ。でも恥ずかしくて。 自分の物語というか空想・妄想を描いて見せるなんて恥ずかしくて、自分の1番真ん中にあるものだし攻撃されたくないって思ってた。それを見せた時に他の人が悪い反応をしたらショックで無理だなっていうのがあって、それが怖くて出せなかった。描こうとも思ってなかった。 でもスッカラカンだし、描きたいものを描いてみよう!見せなきゃいいんだ!ってコソコソ家でイーゼル立てて描いてみた。そしたら楽しくって、全然上手く描けないけどとにかく楽しかった。まだその頃は後ろめたさがあったけど、楽しいが勝ってて。 見せないつもりで描いたのに、たまたまグループ展示があったから勢いで出したら、わりとみんな面白いねと言ってくれて「大丈夫なんだ。これ描いていいんだ」って衝撃だった。この空想以外だとなんもないから、他に描きたいものもない、自分に一番近いものじゃないと嘘になっちゃうから、嘘は描きたくないと思って、本当のこと描きたいから、これにしよう、と。 それまでは普通に家族とか当時付き合ってた恋人を描いていたりして、それが一番近いかな、みたいな。自分を形成する周りの人だから、と思って描いていたんですけど、有限じゃないですか。有限だから尽きちゃうんですよね。目の前に居てくれないと描けないし、やっぱり他人だから何を考えてるのか全部は分からない。描くのが限界あるなと思って、じゃあ何が全部分かるんだろう、何だったら、私が全部分かって描けるんだろう、何を考えてて、どんな性格で、こういう時はこんな事を感じて、そういう事がわかるもの、あとどうしたら楽しく描けるのかをずっと悩んでいたんですよ。 そんな時、こういう絵を描いて。自分に近いから描いていられるし、飽きない。日々受け取ったことを何か消化して形になって出してるので、無限に描ける。 本当に好きなものを描く。これを(今のコンセプトで)描き始めたら全部変わった。絵が私をいろんなところに連れていってくれる。いろんな人がリアクションをくれるようになったし、友達も増えたと思う。コンペも通るようになって、教授とかもいいねと言ってくれるようになった、個展もやってみよう!って、それで作品も売れたり。大学2年生の時にこの出来事があったのはすごくタイミングが良かったんだと思う。   ―:群馬青年ビエンナーレ(美術コンペ)の設営で、前日までドキドキしていたけど、絵が楽しそうにしてくれている、とおっしゃってましたけど、それこそまさに分身っていう感じなんですね。 やました:そうですね、分身。おしゃべりしてる感覚に近い。絵を描いてるときも、キャンパスを地塗りして作ったりしているときも、おしゃべりして描いてるみたいな感じ。 展示の設営は緊張するんですよ。いっぱい描いているし、しかもその場で展示する作品も決めるので、描いた作品を全部持ってきて、一回床に並べてから一個ずつ組み合わせて設営していくから計画的じゃないんですね。 だから終わるか分からないし、組み合わせが合わなかったりして設営できなかったらどうしようっていう不安はあって、展示する前は心配になるんですけど。 でも、作品が並ぶと、作品の方から大丈夫だよ!みたいな。飾られて嬉しいなぁ、いい景色だしこっちは大丈夫だよ。って。 あれ?私すごい心配したのにこいつらすごい楽しそーみたいな。心配して損した。でも毎回そんな感じ笑   ―:木だけの絵とか星だけの絵があったり、あとは最近ですかね、木の角の生えている子がいたり。その辺の生命の違いってあんまり意識してない? あんまりないですね。描いてるものっていうよりは、描きたいのは、人が感じる心の動きみたいなのが描きたくて、好きだから寂しいとか、好きだから幸せだけど、なんか虚しいとか、そういう感情の動きとかを描きたくて二人を描いている。だから女の子でも男の子でもない。女の子にみんな見えるけど、性別はあんまり意識してなくて、だってそっち(感情の動き)が重要だから。 絵具と喋ってるっていう感覚があったり、この二人とも会話はできるし。物語をなぞって描いていて、その中のシーンで星があったり、木があったり。   ―:すべての作品をまとってる雰囲気が柔らかくて、愛情深くて、優しいです。 やました:やっぱ好きだからですかね。描くのも、物語も。前は画面的に強い作品を作っていたんですけど、そうじゃなくて内面的・内容的な方が私は大事。   ―:赤と青って最近は違ってきてるとは言え、ストレオタイプ的に男女を示すじゃないですか。何で赤と青で描くんですか? やました:なんでだろう、私も分からないんですよね。単純に赤は好き、青も好き。そういうシンプルな理由かな。空想の中で出てきた時にすでにそうだった。   ―:それらって必ず絵として表れるんですか?物語として文章として出てきたりは? やました:文章として出てくることはあるけど、絶対に見せない笑 すごい言われるんですよ、そういうの見せないのか、とか言われるんですけど、私の話を聞いてくれっていうことじゃなくて、個人個人で感じて欲しいから、私はこういう話を書いてますって提示しちゃうとそれになっちゃって、それ以上考えなくなるなと思っていて、それは死んでから見つけてください笑   ―:燃やしてから死んだ方がいいんじゃない?笑 ちょっとしたステートメントの文章も比較的詩的なイメージがあって、そこは繋がりあるの? ステートメントは作っているけれど、でもそのステートメントを読んでも話の全貌はあんまり分からなくないですか。ふたりの関係だったり、私が客観的に見てる二人みたいな感じなので、そこは見てもらっていいかなと思う範囲でステートメントは書いてる。   ―:こんな二人だけの世界って羨ましい。 やました:羨ましいですよね。   ―:すごい羨ましい。洋服も着ずに、ただ生命として生きてるのが羨ましい。さて、次の質問に移りますが、転機となった作品があれば教えてください。 やました:みんな褒められたいとかあるじゃないですか、絵がいいねって言われたいとか。でもそういう邪念って考えれば考えるほど絵が悪くなる。人目を気にして絵を描いてると、全然楽しくないし、結局自分の描きたい絵じゃないんですよ。で、なんか絵が描けなくなる。何を描きたいかわかんない、みたいな。そういう気づきをもらった作品。 これがほんとに最初のころで、先程話したやつですね。スッカラカンになって、どうしよう、先生に褒められたいけど何を描きたいかわかんないしって、ちょうど2年生が終わる春休みで長期休みだったから、もう好きなことしようと見せる気なく描き始めた。その時の絵。 それ以前は、予備校・大学と課題を出されてそれに応えることを繰り返しているうちに、自分の描きたいものがわかんなくなっちゃって。焦ってましたよね。芸大入って、入ったら放任。みんな期待して入学すると思うんですけど、芸大に。実際は全然そういうのじゃなくて、自分で探さなきゃいけないし、入ったからって何かあるんじゃなくて、考えなきゃいけないし悩まなきゃいけないし。めちゃくちゃ焦ってましたね。   ―:作家として有名になることがいろんな人に見てもらう手段だから、私は作家になるならやっぱりある程度見てもらえる立場にいくべきだと思うんですが、でも、ほんとにピュアさを求めるなら、職業作家にならない方がいいという選択もある。そこは悩まずに絶対作家と思ってたんですか? やました:絶対作家。好きなことをして生きていきたいから、後者だと絵を描くために何か他のことをして稼がないといけないじゃないですか。作家になりたいし、自分が思ったこと、自分が生きてた事を残したい。描いて作品じゃなくて、人の手に渡って作品だと思ってるから。売れなかったりしたら、それはただの絵で作品じゃないから。 絵が売れたら嬉しいし、見てもらっていいねと言われたら嬉しい、それはいい事だと思うし、ピュアかピュアじゃないかは、本人次第だと思う。   ―:やましたさんは、見る人には好きに見てもらえれば、っていうスタンスだと思うんですが、今日も私が色々思ったこと言ってたら、うんうんそういうの聞くの楽しいからどうぞって。でもほんとに勝手なこと言われていいんですか。 やました:見てもらうのは自由だし感じてもらうのは自由だし、それを強要するのは違うと思うけど。嫌いだと思われても別にいい、ネガティブな事を言われてもそれはその人の意見だし。私は自分の作品の1番の味方だから、いいですねと言われればそれは嬉しい。 絵を通して何かを気づかせたいっていうのはないけど、美術予備校で先生やってるから、そういう子たちに自分は絵を描いていて、個展したり、コラボでこういう絵の仕事もらったりしてるよって活動してるのを見せたいんですよ。みんな不安なんですよ。美大は行きたいけど、アーティストになるためにはどうすればいいかわからない。美大入ってからってすごく謎じゃないですか。みんな一度入ってから絶望すると思うんだけど。そういうのを無くしたいというか、自分の生徒には見せたくて、絵で食っていけるんだぞって作品っていうのは売れるんだぞって。半分くらいはバイトだけど、半分は絵で稼いでるから、まだまだだけど、そういうのを見せたい。 私の先輩はそういうの教えてくれなかったし、卒業したら何してるのか分からないっていうパターンが多くて、それも怖かったし。みんな何処に吸い込まれていってるんだろう?!って。   ―:それはほんとにそう。あの人は今?!状態は美大あるあるですよね。 やました:それをそうじゃないんだ。って見せたいんですよ、私は。 責任感じゃないけど、なんで頑張れるか、去年はコンペ出しまくって、卒制なのに個展もやって他の展示も出して、なんでそんなに動いてるの?って言われたけど、なんでっていうと絵を買ってくれた人たちに恩返ししたいし、生徒には、希望を見せたい。 こういうやり方があるんだ。とか分かるじゃないですか。個展とか展示をしたら活動しているんだなって、賞を取ったら自分が買った絵が少なからず評価されているって絵を買ってくれた人も嬉しいじゃないですか。そういうことで、なお頑張れる。基本頑張りたい。それは最近思っている。前は本当に誰も私のこと知らないから、とにかくがむしゃらにやってたけど、頑張る理由は前より少し変わったというか増えたというか。 相談されるんですよ、生徒に。私は私がわかる範囲で全部答えるけど、予備校って絵を教えてもらって「作家になるにはどうしたらいいんですか」って先生に聞いたら、先生はアーティストじゃない人だから答えられない。とりあえず描けよ、って言われる、それって不思議だし嫌じゃないですか。   ―:いい。先生が頑張ってるってすごい重要だと思う。どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 やました:物心ついたころから。それ以外にない。いいんですか、こんなんで。笑   ―:すごくいいじゃないですか。笑 好きから始まって、いろいろ葛藤あったかもしれないけど、好きのまま、それも呼吸をするように自然に好きで今いることが素晴らしいなと。 やました:好きですねー、絵がなくなったらつまんない。絵がなくなったら人生どうしようとかじゃないけど、なくなったら普通に人生つまんないと思う。   ―:自分は人間がすごい好き、人類って何だろうってところからそもそもは始まって、美術に来たんですけど、美術を通していろんなものを見ることができていて、美術やってなかったら何やってたんだろって思いますよ。 やました:ニートじゃないですか。   ―:ほんとそれ。ところで、アートに限定せず影響を受けたクリエイターはいますか。 やました:あんまりいないかも。好きな作家とかはいますよ。でも、影響を受けたっていうほどの影響はどうかな。 自分が生活していく中で、いろいろ影響を受けて今の自分や作品があると思うので、コレというのはあんまりないかな。映画見たりとか海外行ったりとか、日常の体験が強い、そういうのじゃないと。 映画は『ぼくのエリ200歳の少女』とか。個展の展示名も映画の題名使ったりするし。ぼくのエリは人間とバンパイアだけど、同性同士とか、ちょっと違う人の恋愛、その中で生まれる感情の動きとか好き。   ―:最後になりますが、今後作家としてどのような活動の展開の仕方を考えていらっしゃいますか。今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 やました:有名なアーティストにはなりたい、それはずっと目標。個展も展示もしたいし、やったことない場所でも展示がしてみたいし、商品のパッケージデザインとか陶器の絵付けとかやったけど、本の表紙もやってみたい。 みんなが思うアーティストって絵一本とかかもしれないけど、私はいろんなことやってみたくて、作品として展示とか個展もやりたいし、プロダクトデザインもやってみたいと思ってて、そういうのできたらいいな。自分を知ってもらうきっかけとしてそういうことはやりたい。実際の作品を見てもらうのが一番だから、最終的に作品を見に来てもらいたいな。 今年語学留学したいと思ってて、海外去年5か国くらい回って、英語の重要さ感じて、短期でも行きたいなと思ってる。そしたら海外もレジデンスも行けるかなって、そんなこと考えたりしてます。

作家インタビュー第10弾は、永井天陽さんです。 https://www.solayanagai.com/ 河口:初めて永井さんを紹介いただいて(去年一緒に仕事した作家さんの運転手として挨拶したのが最初の出会い)から、ずっと作品が気になっていました。リレーではないですが、せっかくお時間をいただくのなら、グッと近づきたいなと思っていたので、インタビュー応じていただけて嬉しいです。 早速ですが、近年の制作のテーマについて教えてください。 永井:何だろうなって考えてて、作品が出そろってきて、ひいて見たときに共通項があるのは事実です。素材の形やイメージを消したり補ったりしながら、存在・認識への問いかけをしています。またすごい大きいテーマでいうと、見たことのないものを作りたいという思いが強いです。瞬時には把握しきれないもの、形態を作りたい。 ステートメントとしてあげているのは、 ~~~ 日常の中にあたりまえのようにあるもの。 出来事、行為、ルール、名前、生まれることや死ぬことなど。 私はそれらの見方や在り方を少しズラして、もう一度自分の目で確かめてみたい。 物事の境界や輪郭に向かって、石を投げるような具合で。 ~~~ 2014年に青森県立美術館で展示した時に書いたもので、そのまま使っています。 物事やちょっとした“しこり“に向かってポンっと石を投げてみて、その反応や跳ね返りからそのもの自体を探ってみたい、というような感覚があってこのような言葉を使っています。   河口:今でも、こればベースにあるということ? 永井:そう、結局こういうことをしているんだな、と思います。素材は変わっても。ちょっとしたところから人をハッとさせたいなと。 例えば息の仕方を考えるとか、別にそんなこと向き合わなくても自然と息は吸えるし、答えはわからなくても息は吐けます。でも実はすごく恐怖を含んでいて、考えだすと眠れない、宇宙ってなんだろう、死ってなんだろう、みたいな、そういうところと美術って密に関わっていると感じます。息の仕方を考えるような身近さ、気楽さ、少しのばかばかしさを残しつつ、制作・作品に変換していきたい。たぶんそうやって「カタルシス(排出・浄化)の方法を考えること」が美術だと思うんです。 また、すごく感覚的な話になっちゃうけど、美術だったら新しい世界を垣間見ることができるんじゃないか、新しい世界を探る術が美術なんじゃないか、という夢を持っているようなところがあって。たぶん今、私たちが生きて存在しているこことはちょっぴり違う世界ってあって、そこを感じる、覗くことができる方法が美術だろう、って思っている。空想的すぎる考えかもしれませんが。美術の可能性はずっと信じていたいし、夢見ていたい。   ―:こうやってお話しさせてもらっていると、美術をどう捉えるか自体が、作家それぞれの制作に対する姿勢に通じていると思います。いつも最初に「近年の制作のテーマ」を聞いているのですが、皆さん口を揃えたように「テーマ」ではないんですけど・・って話し始めるんですよ。もっと適切な質問の仕方があるんじゃないかと悩んでいるんですが、どう思います? 永井:「あなたにとって、美術/制作活動とは何ですか」っていう質問の方がしっくりくるかもしれませんね。先ほどもお話しした通り、私にとっての美術は「カタルシスの方法を考えること」だと思います。それと美術は長く続く感動かなと。細く長く続いて、その間にいろんなものの見え方が変わる。影響範囲が広い。 生活のちょっとした疑問とか、考えだすとキリがないし、答えって何もないかもしれないけど、それを考えることで、生活に対するみずみずしさが増えたりする。それはひとつ美術がもたらすものだと思うんです。良くも悪くも視点が増えて、世界を疑って生きていけるような気がします。   ―:永井さんの作品って既製品を使っているものも多くあって一見簡単なように見える、でも実はその背景、制作工程がものすごく複雑だったりしますよね。それも狙ってるところだったりするんですか? 永井:最初は狙ってはいなくて、結果的にそうなってしまったんです。でもだんだんとこの在り方って、ありだなって…。笑 手間数を見せない、過程を想像しきれない、形はキッチュで笑っちゃうようなものであったとしても、多くの工程を踏んでいることで、複雑さが裏に含まれてるような表現になるんじゃないかなと。   ―:制作過程で他分野の方と一緒に作られていますよね? 永井:はい、ここ数年いかに自分が出来ないことがあるか、っていうのを目の当たりにすることが多くて…、こんなにできないことがたくさんあるなら、もっと専門的な知識を持っている人に協力してもらって造る方がいいじゃないか、とだんだん割り切るようになりました。すごく作りやすくなりました。 例えばホームセンターで手に取った素材、この素材いいな、作品で使ってみたいな、と思った時に、自分自身に扱えるかどうかで考えちゃってたところがあるんです。けど、そこを自分でやる前提でなくて、誰かの力を借りたらできるかもしれないぞ、と。その選択肢を持っておくことで、素材への新鮮さを失わず作りたいものを模索することができると思います。それでも自分でやれることはやるし、これは専門家に頼んだ方がスムーズだと思う時はそうする。振り分けています。 自分の作品プランをプラスチック加工会社や、石屋とかに持っていったりするんですけど、ありがたいことに興味を持って受け入れ協力してもらえることが多くてびっくりしました。てっきりもっと怪しまれるものだと身構えていたので…。そういう反応を随時受け取れるのは、作ったものをいろんな人に見てもらうのと同じくらいに刺激があるしモチベーションに繋がります。   ―:その方が作品としての精度も高まる。 永井:そう感じます。 規模が大きくなったら面白そうだなと思っていて、ざっくりした夢だけど、ラボ化できたら。何かがある度に連絡とって、違った分野の人たちで一緒に難しいことにその都度チャレンジできたら面白そうっていう漠然とした夢があります。   ―:永井さんの作品って、これってどうなってるんだろう、っていう違和感だったり、知った時の驚きだったり、遊び心にこちらがくすっとしてしまうような面白さがあります。作品のインスピレーションはどうやって得ているんですか? 永井:ポっと浮かぶひらめきや思いつきは結構大事にしています。思いつきって、美術界にいると、否定的なニュアンスが含まれるというか、あんまり良い印象ないと思うんですけど、たかが思いつき程度のものでも、その程度を自覚しつつ形にしたら面白いじゃないかと。形にしようとしてみる、ということはしようとしています。こういう作品にするぞ、っていうよりは、ちょっとした現象からキーワードを拾ったりもします。 素材はいつもアトリエにストックがあって、手が何か動かしたい時に、置いてあるものを気楽に手に取れるように、ちょっとしたところから制作を始められるようにしています。 ―:転機となった作品があれば教えてください。 永井:こちらです。大学2年の時の授業の課題で、アトリエに3日間椅子を置いて、授業中ただ座るだけで何も考えようとしない、でも思ったことはメモにとることを続けて、その3日間が終わった4日目に2人の先生が持ってきた、ふたつのメディアを使って、3日間のメモを元に同時に同等の作品を作る、という授業でした。 ネコのトイレの砂の上でプロペラが回っている。普通に考えると、モーターがプロペラを動かしていると思うけれど、実はモーターが固定されていないので、プロペラがモーターを動かしている逆の関係性になっている。そうやって動いているからちょっとずつ痕跡がずれていく。すごく直接的な作品にはなってしまったけれど、秩序があるなかで、ふと秩序が乱れているところがある、なにかしらのちょっとしたズレにここで気付いて言語化することができたかなと思っています。 美大は入ったけど、課題をやっていって、サボるようなこともしないし、普通にやってある程度いいものはできているように思うけど、そこから作家としての自分の作品ってどう生まれるのか分からなくて。自分が作家性を獲得できる気が全然しなくて…。課題から外れて、一作家として何かを作るとなった時に、何も作れないんじゃないか、そもそも作家にはなれないのではっていう恐怖があったから、必死でした。その程度は違えど、今でも怖さは感じてしまいます。   ―:次の質問に移りますが、どこから美術に興味を持たれたのでしょうか? 永井:実家がまあまあ田舎で、幼い頃テレビが映りづらかったんですよ。アナログテレビの上にアンテナがあるんですけど、(ちびまる子ちゃんの家のテレビみたいな…) 映らない時にはアンテナの場所を変えたり、外に出してみたり…と、いろんなアクションをしないと見たいアニメとか、紅白とかが見れない。だからアンテナを持ってテレビが見える範囲で手を伸ばしたり、あとは弟にやらせたりして。笑 とにかく、いろんな努力をしたんです、テレビを見るために。その思い出ってすごく強くて。当時の私としては、飛んでる電波をいかに捕まえるかっていう意識でアンテナを振り回していて、見えないものを捕まえたい欲、どこに3ch飛んでるんだろうとか、セーラームーンはここか!?とか幼いながらに考えていました。もちろん当時は言葉にして考えられてはいなかったですけど、見えないものに興味を持っていたことは、今思い返すとあったなと思っています。 はじめにお話しした、息の仕方の話にもつながりますが、恐怖とか見えないものに対する関心って思い返すと度々あったなと感じます。大学に入って作品をつくるときもそういう感覚を思い起こしながら作っている時があって、関係しているのかもしれないと気付きました。その程度のことともいえるけど、その延長にあるものとして美術がある。声を大にしていうことじゃないんだけど、それでもいいから形にする。形にしてみたい。 あとは、父がリトグラフの作家で、絶対に影響はあるだろうなと思っています。父の作品は、抽象的な作品なので、どうしてそういう作品を作れるんだろう、という疑問はすごくありました。どこからその形が浮かんでくるのか。何をどう選択しているのか。ものを上手く描くよりは抽象的な方に自分の意識が変わっていく段階にすごく興味がありました。   ―:永井さんの作品は、考えようとして見なければ、そのキャッチ―な見た目の方に流されてしまうけど、人に謎解きをさせるような面白さがありますよね。 壁一面に設置されたurntoシリーズも、子どもが「かわいい~」といいながら見ていて、カプセルの中に鳥の剥製が入ってるけど、「かわいい」っていう感想でいいのか、とか。笑 そもそも、urntoとはどのような意味なのでしょう? 永井:”urn”は英語で骨壷という意味です。そこに”to”をつけることで「骨壷へ」というような意味を込めている(文法的にはおかしいんですが…)のと、あとは『ウルン、と』という涙が目に溜まって行く様を表す音を込めた造語です。作品の見た目のポップさと対比するタイトルをこっそりつけたいと思ってこのように名付けました。普段から作品のタイトルには、その作品と同じ質、同じ関係になるように、言葉を素材として制作するように名付けています。   ー:作品自体のもつビジュアルを抽象に移していくことは考えるのですか? 永井:抽象的なことも合わせててやりたいなと思います。完全にふりかえるんじゃなくて、常に作品には幅を持たせたいなと考えています。自分の作品の棘があるような部分は、気づく人は匂いで分かってくれたらいいかな、というような感覚です。   ―:アートに限定せず、影響を受けたクリエイターはいますか。 永井:影響を受けたといえば、ジャコメッティは確実に影響を受けています。美術高校受験の時に一個展覧会を見てくる、という試験があって、川村記念美術館のジャコメッティ展を見て、その時はじめてきちんと彫刻を「観た」っていう実感を持った、ショッキングな出会いでした。これが彫刻なのか、と。その時に彫刻をやろうとは思わなかったけど、面白くて分からない分野だなぁと、どこかひっかかっていました。 戸谷成雄さんの作品を「引込線」で見たこともムサビ(武蔵野美術大学)を受けるきっかけになりました。 それ以外に好きなアーティストっていうと数えきれないくらいいるんですが、、Handywipman Saputra、Urs Fischer、Richard Serra、最近は渡辺英司さん、Felicity Hammond、Rachel de Joode、Susy Oliveira・・・などのアーティストが気になっています。 セザンヌやムンクなども好きです。ムンクの少女の絵には強烈な影がついているんですけど、これはなんだろう、なんでこういう影を描くんだろう、そういうところから惹かれたりする。 ―:気になる作品というのは、どういう影響の仕方なのでしょう。 永井:その作家がどういった経緯で何を見て、どんな作品を作っているのかとか、素材とか形も何をどうチョイスしているのか見てしまいます。あとは、すごい単純なんですけど、こういう見せ方いいなぁとか…、作品を見ていると家に帰って私も作りたい…、そんな気持ちになります。 昨年末、上海行ってきて、ルイーズ・ブルジョワ(六本木のある巨大な蜘蛛のオブジェの作者)の作品に圧倒されました。いかに自分が狭い範囲で考えているかを突き付けられた感じがして。展示のキュレーションがどうこうじゃなくてモノに惹きつけられる。今まであまり大きいサイズのものは作ってきていないんですが、躊躇なくやれる時にやりたいなと思って、チャンスがきたら掴めるように、常にやるぞ、と思っておこうと。 あとは詩も好きで、特別詳しいわけではないけれど、古本屋に行ったら目にとまった詩集をよく読みます。長谷川裕嗣の「いないはずの犬」という詩集や、中村千尾の「日付のない日記」という作品が好きです。「日付のない日記」の中に出てくる“口をあけたような青い空も泣いた”という一節が特に心に残っていて…。あとは国語の授業とかで読んだ経験がある方も多いと思いますが、高村光太郎のレモン哀歌。レモンを「がりり」と噛む、っていう、この表現すごいな。このさりげない音でリアリティを出す、心境が伝わる。 小説だと、吉本ばなな。彼女の作品は主人公が女性でうまく生きれてないようなところがあるんですけど、なんかその女性っぽさが妙なんですよね。無職だったりとか、軽くひきこもってる状態の話だったりとか、それがそんなに痛々しく書かれてない妙。「キッチン」はふと、手にとって読み返しています。   ―:そう思うと、日常の中にある非日常というか、本当に些細なところに魅力だったり違和感のあるものに惹かれていて、永井さんの考える美術が生活にもたらすものであったり、作品制作におけるコンセプトに通ずるものがありますね。 最後の質問になりますが、今後、作家としてどのような活動の展開の仕方を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 永井:先日先輩の作家さんが作品の作りだめをしていると話していて、それはいいなと思って。私も考え作る時間、数を増やしたいです。どれだけ作れるかは不安ですが…。じっくり作る時間をとりたいなっていうのが今年の身近なやりたいこと。 あとは作家を続けることが一番目標というか。ある程度人に見てもらって、作品を買っていただいたり、文章を書いてもらう機会とかも増えてきていて、続けるのも責任だなと思っています。続けたいし、他にやりたいこともない。散歩したり自転車に乗ったり、釣りとか登山とかも好きですが趣味ってわけでもないし、美術以外にやりたいこと、大好きなことがそんなにない、なんか消極的な感じになっちゃうけど、例えばスポーツとか好きだけど一日かけてはやりたくない。   ―:一日って。笑 私、一日はスポーツ漬けやりたいけど。 永井:特定の何かにのめりこめるわけじゃないから、趣味がないって、結構良かったかな。 あとは短期の滞在でも、旅でもいいので海外に行きたい。日本で活動する面白さも残しつつ、制作やリサーチのためにも気になったら躊躇なく行ってみたいし、そうでなくても、生まれ育った場所とは全く異なる土地での生活自体に興味があります。そうしていつかもっと大きなことをしてみたい。 ビエンナーレとかそういう場面で、いろんな人や技術を巻き込んで制作・展示してみたい。まだまだ現実味がないというか、漠然とはしていますが、一つ夢としてこういうことは言っておこうと…。日常で小さく回転しないように。  

2月23、24日の二日間にわたって、館林市にて武蔵野美術大学の黒川弘毅教授を講師にお招きし、彫刻講座が行われました。 1日目は群馬県立館林美術館にて彫刻に関する講義がありました。屋外彫刻(out-door sculpture)とより狭義に使われる野外彫刻(open-air sculpture)の違い、公共の場に設置される彫刻の題材、素材の時代ごとの変遷。設置された各地域の彫刻の状態、そこから見える保全活動の重要性について。 2日目は、前日の講義を受けて、館林市彫刻の小径に設置された3体の彫刻を実際に清掃しました。 最初に黒川先生から清掃の仕方および道具の説明。今回は洗浄からワックスがけまで行いました。 実際の清掃に入ります。彫刻作品は普段触らないので、盛り上がります。今回清掃したのはすべて女性像でしたが、女性像が流行ったのは90年代。戦後は新しい時代を作るという機運から男性像が作られることが多く、今世紀に入ってからはジェンダーの観点から公共の場に裸体、着衣含め女性像を設置することはほぼありません。欧米では特にこの動きは強いようです。 環境に良く、虫も殺さない洗剤を使用し、洗浄した後はワックスでピカピカに磨いていきます。 「今まで歩いてたら(彫刻が)あるなぁって感じだったけど、なんか大切な感じがしてくるよねぇ」と感じてほしかったことをそのままに参加者の方々が口々に言ってくださるのが嬉しいです。また、間近で見ると、様々な色の錆があり、これは何だろうと次々と沸く疑問に黒川先生が答えてくださいます。   この時期特有のからっ風も全くなく、14名の参加者とともに良い陽気の中で終えることができました。 館林市は90年代から黒川先生が専門的な調査に入っており、非常に良い状態で彫刻が保たれています。各地には様々なパブリックアートがあり、今後も増えていくと思われますが、市民の方々を巻き込んでいくことによって、一度設置された後も地域に愛されていくものとなりますように。 共催:群馬県館林市教育委員会・群馬県立館林美術館 / 企画・制作:株式会社MeltingPot

2019年3月2日~17日に開催される芸術祭、「大子まちなかアートウィーク2019」のディレクションを担当させていただいています。 現地で活動しているアーティストに加え、2018年7月より企画運営をしています大子アーティスト・イン・レジデンス作家を加え、茨城県大子町で開催される2度目の芸術祭になります。商店街空き店舗や野外での作品展示、ワークショップと同時に、期間中開催されるイベントも数多くありますので、観光ついでにいらしてください。 詳細情報は町のサイトより

2月23、24日に館林市にて、彫刻講座及び清掃体験があります。 2018年度はこれまで東京都中央区、埼玉県越谷市にて野外彫刻関連のイベントを開催させていただきました。今年度最後は、館林市です。2日間のイベントの初日は武蔵野美術大学彫刻科教授、黒川弘毅先生の講義、2日目に野外での彫刻清掃があります。 年齢、定員制限ありませんので、お気軽にご参加ください。申し込みは館林市文化会館 TEL:0276-74-4111。 共催:群馬県館林市教育委員会・群馬県立館林美術館 企画・制作:株式会社MeltingPot

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