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Column

    アジアで活動する現代美術家、 山本愛子が全6回に渡り、旬なアジアのアートコラムをお届けします。   第4回「記憶という糸、歴史という布」   私はいま台北宝蔵巌国際芸術村いる。ここに来て早1ヶ月半。灼熱の太陽、虫の音が止むのは夕立のときのみというほど、生命の活気が日々全身に染みわたるような土地だ。台北国際芸術村のレジデンスプログラムの一貫で、私はここに3ヶ月間スタジオ兼住居を提供していただいている。9月の台北での個展に向け、滞在制作折り返し地点というところだ。   宝蔵巌国際芸術村 Treasure Hill Artist Village   ここ数ヶ月、私は「記憶」にまつわる旅をしている。というのは、現在私は展示に向けて「記憶のタペストリー」を作っていて、それにまつわるリサーチや素材集めを行っている。また、先月初めまでは「記憶の痕跡」というテーマの授業を中国美術学院で行っていた。   中国美術学院での授業の様子   授業内容は、簡単にいうと布と染めを使って皆で遊んで学ぶというもの。染色をしていると、環境をよく観察するようになる。授業のある日、晴れたり曇ったりと不安定な天候の日があった。皆で雲の動きを見つめ「次の雲が去ったら15分くらいは晴れそうだね」などと会話をし、そのタイミングを見計らい布を日光に晒しにいく。他者と一緒にじっと雲を見つめるというシンプルな行為。大人になるといつしか「普段やらないこと」になっているのではないだろうか。   雨の日は、雨の日にできることする   光の記憶、大地の記憶、空気の記憶。自然の力で染めた布は、それら記憶の痕跡。自然現象と触れ合いながら制作をするという尊い時間を他者と共有できたことに、授業の価値があったのだなと思う。   成果展「記憶の海」搬入の様子   そして今、私のいる宝蔵巌国際芸術村。この芸術村はかつて、日本統治時代に日本軍の軍事施設だった場所である。戦後、台湾にやって来た国民党軍がそのまま軍事施設として利用。70 年代、軍の撤収後も老兵や退役軍人が住み着いた。80 年代に存続の危機があったが反対運動が続き、2004 年に正式に歴史的建築物として登録、集落の保存が決定。2010 年に住民と芸術家が共存する国際芸術村になり、今に至っている。   宝蔵巌国際芸術村 Treasure Hill Artist Village   今日こうして平和な環境の中で制作活動ができていることに重みを感じる場所だ。今が大きなうねりの果ての最先端ということを実感し、これからのためには今何ができるだろう、ということを自然と考えされられる。私以外に10名ほどの国内外アーティストが滞在し、期間中にトークや交流会が盛んに行われている。   台北国際芸術村 滞在アーティスのトーク等が定期的に行われている     先週、台湾原住民タイヤル族の住む清泉部落に行ってきた。タイヤル族は麻織物が有名で、その制作過程のリサーチを目的に訪れた。車窓から美しい山々が見えてくると、自分の心身が喜んで呼吸しているのを感じる。   清泉部落   タイヤル族の部落で出会った同年代くらいの女性が、私が日本人だとわかると、鳩ぽっぽを急に歌い出した。え、なんで知ってるの?と聞くと、よく祖母が歌ってくれたからだそう。年配のタイヤル族の方には日本語が流暢な方が多く、私を見ると嬉しそうに日本語で話しかけてくれるのです。   タイヤル族と共に、布を羽織らせてもらった   布を織り、ご飯を食べ、ギター1本を囲い歌ったりと、何とも素敵な時間を過ごした翌日、帰り際に山郷にある民族記念館に訪れた。そこには日本人による慰安婦などの負の歴史も残っていた。 今日という日までに、一体どれだけの人が理不尽に傷つき悲しんだのだろう。アジアの美しい暮らしに触れるたび思うのは、そこには負の影が表裏一体ということだ。           部落から台北へ戻る道中、特急列車でひとりぼんやりと、美しい山奥でパッタンパッタンと布を織っていたタイヤル族のおばあちゃんを思い出す。そしてふと、 個人の記憶が糸だとしたら、その糸で織り成した布が共通の歴史なのかなぁ、などと考えた。 おばあちゃんは「織りの基本になる糸の成り立ちを知ることが最も大切」と言って、植物が糸になるそのプロセスを私たちに一番念入りに教えてくれた。タイヤル族は、カラムシの茎から麻糸を作る。    カラムシの茎を刈るタイヤル族のおばあちゃん   私たちは山を分け入り、野草のカラムシが生えているところまで歩いていった。 炎天下の山懐で、カラムシの葉っぱをちぎって食べてごらん、すりつぶして肌に塗ってごらん、とタイヤル族が私たちに教えてくれた。言われるままにやってみると、葉は薄味だけど、ちょっと粘り気があって噛み応えがあった。カラムシは糸にもなるし、食物にもなるし、虫除けや塗り薬にもなる。糸になる前の植物は、様々な可能性を秘めている。     個人の記憶が糸だとしたら、糸になる以前の植物自体が個人そのものなのだろうか。 今を生きるあなたや私も、野草のカラムシなのかも、と妄想した。     生成される糸の質感は、カラムシの茎の長さや太さによって様々だ。それは、風土がどのようにその茎に影響をもたらしたか、という背景である。 様々な風土の記憶を持つ無数の糸が織り重なり一枚の布が出来上がる。布を構成する一本一本の糸を見つめ、その糸がかつて植物だった頃のこと、当時の土の匂いや燦々とした陽光を感じとることは、まさに歴史を紐解く行為だ。   うろ覚えの鳩ぽっぽを笑顔で歌ってくれる目の前の彼女に対し、なぜ歌えるんだろう?という好奇心を向けたとき。理由を知り、彼女の祖母の歌声が重なって聴こえるような気がしたとき。この糸はかつてどんな植物だったんだろう、どんな大地に生まれたのだろう、と想いを馳せたとき。遠いと思っていた歴史が、ぐっと近づき自分事になってくる。         筆者プロフィール 山本愛子 Aiko YAMAMOTO 作家 ウェブサイト http://aikoyamamoto.net 1991年 神奈川県生 2017年 東京藝術大学先端芸術表現科大学院修了 2018年から現在、ポーラ美術財団在外研修員として杭州に滞在中。

平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 さて、誠に勝手ながら下記の通り休業させていただきます。 ご迷惑をお掛けいたしました、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。   【夏季休業期間について】 2019年8月10日(土)~ 2019年8月18日(日) 営業開始は8月19日(月)からとなります。

    中国 杭州に滞在する現代美術家、 山本愛子が全6回に渡り、旬なアジアのアートコラムをお届けします。   芸術の季節 - 南京・杭州にて   月1を目処にコラムを執筆する話だったが、6月分を更新できておらず、怒涛の月日が過ぎ去っていたのだと気づく。中国の5月末~6月は展覧会シーズンだ。ものすごい数の展覧会やアートイベントがあちこちで一気にオープンする。私もこの時期にいくつかの展覧会やプロジェクトに関わったので、前半/後半に分けて記事にする。前半では、この時期に私が参加した3つの展覧会を通して中国アートシーンの一片をご紹介できればと思います。 24時間美術館(南京) まず、5月末にオープンした南京24時間美術館での展覧会“罗曼蒂克的写法”について紹介したい。(現在も展示中、10月30日まで)。去年末から水面下で進めていたものだ。杭州で出会ったキュレーターの宋振熙(Song Zhen Xi)氏からのお誘い。近年、彼の名を見ないことがないほど、中国で精力的に活動している若手キュレーターである。彼は一体何人いるんだという仕事っぷり、聡明でチャーミング、そして一児の父でもある。戦っている人だなあと思う。 アーティスト達と話すキュレーターの宋振熙(Song Zhen Xi)氏(右) 宋振熙氏の企画展 “罗曼蒂克的写法”(和訳:ロマンスのえがき方)、彼がセレクトした5名のアーティストが個展形式で展示をする。一般的な美術館とは異なり、広場にガラス張りの建物が点在していて、いつでも市民にオープンに向けられているのが特徴だ。展示オープニングではパーティーで交流を楽しみ日暮れからツアーを開催した。 古师承(Gu Shicheng)《RICH SHOP》 富と名声を虚しいロマンスと捉えた「RICH SHOP」24H営業のコンビニエンスストアをイメージした空間でハイブランドを皮肉ったパロディ商品を販売している。   王玮珏(Wang Wei Jie)《够了 - Enough》 全て羊毛でできており、ニードルを刺し続け羊毛を縮絨させるという労働(暴力的な)によって制作されている。この写真だと見えないのだけど奥にダブルベットがあり、ひも状のものがへその緒で、その先に赤子が浮いてるという空間。   王海龙(Wang Hao Long)《DVD的爱》   刘影(Liu Ying)《蝴蝶飞不过沧海》    山本愛子《幻影風景》 私は「現実を見据えた奥にある幻想」というコンセプトで、日々の騒がしさでかき消されてしまう自然現象に感覚を向けることを鑑賞者に促した。そこから見えてくる原始的な風景を、今回の展示では”幻影風景"と呼んだ。   象山芸術公社で行われた第1回浙江国際青少年アートウィーク会場の様子 南京と同時期にオープンしたのが、杭州で初めての芸術祭「第1回浙江国際青少年アートウィーク」だ。中国美術学院の卒業制作展と若手作家による芸術祭がミックスしたようなイメージである。五四運動の100周年記念企画で、3000名以上のアーティストと美大生が参加した。大規模すぎてどこから紹介したら良いかわからないので、私と同じ展示会場で私の好きな作品、そして鑑賞者からも人気があった2名のアーティストの作品を紹介する。 刘帅(Liu Shuai)《無愛想な演奏1 / Unaffectionate performance1》   刘帅(Liu Shuai)《無愛想な演奏1 / Unaffectionate performance1》 摩擦と振動によって音が鳴るキリギリスの羽。各キリギリスに大きさや重さの異なる銅箔を装着することで音のピッチを変えている。共鳴する習性があるため、展示会場では不規則に彼らのコーラスを聴くことができる。     刘帅(Liu Shuai)《無愛想な演奏2 / Unaffectionate performance2》 電気ウナギが金属の棒に触れた時、体内の電流によって音が生じる仕組みになっている。     刘帅(Liu Shuai)《大槐安国 - 消化から生産まで / Huai’an State - from Digestion

  株式会社MeltingPotは日本から世界的な現代美術家の輩出を目指し、エイベックス株式会社と協業開始致しました。 これに伴う第一回目のイベントを7月25日(木)~27日(土)、表参道にて開催致します。 --- MeltingPotリリースPDF MP_20190701 イベント特設ページ expose2019.com avex news

作家インタビュー第12弾は、奥誠之さん。宮川慶子さんからの紹介です。 https://www.okuart.com/ 2014年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業、2018年東京藝術大学大学院美術研究科卒業、2016年までは主にインスタレーション作品を展開し、2017年より絵画を中心に制作されています。 河口:あなたにとって、美術、制作することとは何でしょうか。 奥:自分の制作と、美術っていうところはたぶん結構分けてるところはあって、美術は専門的に大学に入って勉強して、知識があるっていう立場でいたいなと思って、で、制作の方はむしろ知識を捨ててるような状況で、自分の感覚とか原体験に基づいていくような行為としてやっていて、それを実際展示して人に見せる時に、それが何なのか、とか、何の価値があるか、みたいなことを話しつつ、その中で知識が生きてくるかなぁと思っていて、 ー:とすると、美術は、絵を描く技術ではなくて、言葉としての武器として使っているというイメージですか。 奥:そうですね、美術史とか、制作にしても、大学の時は課題があって作らされたりとかしていて、こういう表現があるとか、技術的な面も歴史的な面も知識で僕らはやってるところがあって、そこは趣味でやってる人と自分(大学で美術を学ぶ人)の大きな違いだなと思っていて。せっかく勉強してきたから、人前ではそういう態度でいたい。制作としての美術と言葉としての美術は、分けてますね。だから。 ー:制作も最近の絵は原体験に戻ってるということで、奥さんの制作活動や展示の形態も美術史にのっかって作ってるものではないと思うのですが。敢えて、意識的にやっている? 奥:意識的にやってますね。なんか、美術史にのっかれる人は友人にいるし、僕は知識をめちゃめちゃ持っているわけではないんですけど、美術史に興味を持っている方ではあるのでそういう人間が敢えて違うマーケットに挑むとか、もっと分かりやすく伝えるという役割になってもいいかな。 ブランクラス(2009年に芸術を発信する場として横浜にてスタート)で詩の朗読とか、おしゃべりスポットをやっていて、広くアート学んでいない人に対して行為をしたい。 ここ最近はずっとそうで、たとえば展示会場で来た人にお茶を出したらその人はそれを飲む時間だけは滞在するじゃないですか。その時間でじっくり作品を見てもらったりお話したり、簡単なことだけど、そういうこととか、気を静める場づくりを意識していて。 ー:ブランクラスとかってある程度美術/文化に教養なり想いを持ってる人が来ると思うんですけど、奥さんのやりたいことを聞くと、じゃあもっと幅広く社会に分かりやすく伝えることで、行った、あるいは今後行いたいと思っていることってあるのでしょうか? 奥:今、マルシェ流行ってるじゃないですか。そこで絵を売っている人がいて、その人と知り合ってぼくも絵もマルシェで絵を売る活動を始めました。その人の旦那さんがマルシェの主催をしている人で、大きな商業施設の空きスペースでマルシェを開催してるんです。僕もそこに混ぜてもらって子供と絵を描くワークショップをやったり絵を売ったり。マルシェだと本当に通りすがりの人に対してアプローチできるので、今後もこう言った活動は大切にしていこうと思ってます。 ー:そういう風に考えるようになったのってどうしてなんですか。 奥:それはムサビを出た2014年から数年の間に自分がいた環境が影響しています。ムサビを卒業した頃からOTAFINEARTSっていうすごく大きなギャラリーでアルバイトをしてました。そこは僕にとって夢の世界というか、大きなお金が動いてて、そのおかげで所属アーティストの作品も大きく展開できてっていう。 自分はこういう場で活躍するアーティストになりたいと思ってたから、戦略を練るわけじゃないですか。どうしたらこの人たちみたいになれるか?みたいな。ただ戦略を練っていけばいくほど、なんか、普通に街を歩いてる人と話が通じなくなる感覚になったんですよね。例えば飲み屋で隣に座った人と話して「ぼく美大生なんです」って話になったとして、「何やってるの?」「油絵科にいて…。」みたいな会話がある。でも「じゃあ絵描けるんだね」って話になると、僕、その頃絵やってなかったんで。「インスタレーションでこういうことしてて」ってことを話したいけど、隣に座って話してる人はインスタレーションっていう言葉をそもそも知らない、みたいな。 そういう場面に多く出くわして、今自分がやってることって、誰の何のためにやってるんだろうっていうのがだんだん募ってきて、それが2014年から2016年までずっとモヤモヤしてた。たぶん吹っ切れたのが2017年で、アトリエを友達の家に仮住まいというか借りることになったのが大きかった。それまであんまりアトリエとか使わなかったんですけど、アトリエ持ったからもう全部絵に変えようっていうのになったのが2017年。 ギャラリーでバイトして、どれだけの人がアートを見てるかっていうか、アートに価値を見込んでちゃんとそれに対してお金を払うじゃないですかギャラリーだったら。それはどういう人で、何人くらいで、というのがぼんやり頭の中で見えてきて、足りないと思って。ギャラリーの人達とか作家はほんと素晴らしいからそこに対してどうってことじゃなくて僕はアートに価値を見込む人の母数が足りないなと思ったから増やす方向にまわろうと。それが後々絵を描いて絵を選択したこととか絵のサイズとか絵の値段とかに繋がっていて。 ー:どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 奥:それは結構小さい頃から絵を描くの好きだし、っていう典型的なタイプだと思うんですけど、母親が海外志向というか、クラシックとか印象派が好きで芸術に理解があった。中学生かなんかの時に母親がイギリスに仕事でいって、僕はじめて海外つれていかれて、母親仕事だから、朝ナショナルミュージアムに僕をおいて、夜帰ってくるんですよ。8時間くらい僕美術館にいなきゃいけなくて。それが、嫌とかまったくなくて、むしろずっといれる。で、退屈しないし、自分で物事考えられる、向き合える時間で、だから絵を見るのとか一枚に1時間かけても飽きないとかいうのは、子供のころからわりとそういう感じでしたね。 ー:アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか。 奥:ここ最近でいうとほんとに音楽と絵本にめちゃめちゃ影響受けてて、絵本は「ささめやゆき」さんっていう人がいて、その人の絵をみたときに、上野に子ども図書館あるじゃないですか。芸大の近くに。そこに行って、見てたら、僕が絵を描いて、現代アートの中で絵をやろうとしているのと全然違う伸びやかさがあって、こんな形描けるんだな、って。僕はすごい狭い中で絵画について考えてたなと思って。そういうことがひとつ絵本からの影響。 音楽は、例えばaikoとか、大学になってから聴きだしたんですけど、最高じゃんみたいな。「交差点」とか、そういうワードが出てきて。折坂悠太、この方は2017年に僕が絵描きだすときに知ったんですけど、薬局のカエルとか、はすむかいのピアノの音とか、そこら辺にあるもの達のことを言ってて、それにすごく刺激を受けた。現代アートって、なんか社会のことがすごく難しく表現されている気がして。もっと身近な「交差点」とか「薬局のカエル」とか、アートで見ないな、と思って、そういう表現をしたいなと思ったときに、この辺の人達が気になりだした。 ー:現代アートがトップから降りてくるっていう感覚なら、奥さんのされていること、やりたいことって共感を呼んで、膨らましていくというか、そういうイメージですかね。 奥:本当、僕は共感だなと思っていて、自分のやっていること。 インスタレーションをやっていたときは、文脈とかコンセプトとか、ある程度言葉で構築したことをベースに、作るときにそれを飛躍させるみたいな意識でやってたんですけど、絵を描き出してからは言葉にできないことをしてるって意識が強くなった。言葉未然の声みたいなものが一筆一筆に乗っかって、一筆ごとに声を発してるようなことなんじゃないかって。 ー:言葉で言えないことって恥ずかしかったり、言葉にするのが憚られたりで言えないことなのか、あるいはそもそも自分自身が言語化できないものなのか。 奥:たぶん両方あって、僕、人付き合い的には広い人間なんですけど、あんまり自分の素を出せてないというか、なんだろうな嘘ついてる感覚もあって、絵描く時だけが、あぁ帰ってきた~みたいな笑。2,30枚一緒に絵を描くから、計算がゼロの状態で書いていて、それを面白がっているような状態で、そこで見つけていくというのはあるかも。 ー:ちょっと嫌な質問かもしれないですけど、価値を広げていく、今、純粋なところで絵を描いているかもしれないけれど、それってどこかしらのマーケットにはまっていく、もしくは作っていくことになるじゃないですか。それって、現代アートじゃないとすると、どういうところを狙っていってるんですか。 奥:そうなんですよねー。それがわかってなくて、まだ。やっぱり現代アートとか、美術館にあるものたちにつながってほしいなという気持ちはあるんです。ただより広く普及させるには絵本がいいかなとなんとなく思っていて。僕の絵は絵具が混ざっていたり物質感があったり、画像に落とせないところがあるんですけど、たとえば荒井良二とか、かなり絵具感あるんですけど絵本として印刷されてて。僕は絵具のまま、形としてなってない状態のまま、人に渡るとなると、結構絵本かなぁと思って、いつかの楽しみ、数十年後の楽しみでいいんですけど、ひとつ絵本はあるんですけど、 ー:奥さんの絵ってひとつの絵の中にもストーリーがありそうだなぁと思っていて、その一枚の絵だけじゃなくて、連作として何か語りたいとか、伝える物語って想定しているんですか? 奥:今のところは全くなくて、何か誰か文章を提供してくれたらすぐに取り掛かれる気はするんですが、自分の絵はほんとにいっぱい並べた中で、こっちは緑こっちは青とかってやっていて、別々なものが描かれていくから、絵本みたいに毎ページ同じものが出てきてっていう状態にはならないものなんですけど、でも、時々で考えて感じて描いてきた絵が、半年単位とか一回個展するまでに全体のテーマみたくなっている気はします。例えば「ドゥーワップに悲しみをみる」、っていう展示の前は、ほんと働いてなくて、犬とばっかりいたんですよ。 犬とずっと散歩して、大学博士受けて落ちて、まさか落ちるとはって感じだったから途方に暮れていて、3か月くらいは全く何もしないで、犬と実家にいて、犬に餌あげて遊ばせて、ただ撫でてる、これが一番幸せだなーとか思ったけど、先に犬が死ぬよなーとか考えてて、そういう中で描いた絵は結果として共通の気持ちが入っているような気がします。犬とコミュニケーションしてるときが一番絵を描いてるときに近い、自分の素だなって。それくらい、言葉がいらなくて触れられるものが好きなのかもしれないですね、今思えば。 ー:絵自体は完全なる抽象じゃなくて、意外とものじゃないですか。そこってぱっと絵具を塗っているにしても、考えてはいる? 奥:たぶん感情みたいなものを具現化するための人、犬とかになると思うんですよね。人も見た人描いてるとかは全くないし、犬も飼ってる犬種を描いてるわけでもないし。 インスタレーションの時は、歴史のことをやっていて、それを学びたい気持ちは今でも変わらないんですけど、今はそういうところから介護とか障害とかそういう本を読むようになってきて、過去の大きな出来事じゃない、身近なとこの助け合いとかになってきたんですけど、それが絵にも表れてきている。 インスタレーションで歴史について考え出したきっかけは、ムサビ(武蔵野美術大学)のとなりって朝鮮大学校があるんですよ。僕がいたころから交流展みたいなのをやりだして、そこに誘われて3回目くらいに出展したんですよ。で、4,5回目がムサビと朝鮮大を橋で繋ぐ、みたいなことをやって、結構話題になったんですけど、そこで、在日の彼らとディスカッションをしていると、彼らはアイデンティティについて常に考えていたんですね。で、僕はそういったことが美術の表現にあまり直結していなかったりするし、ぼんやりしていて、じゃあぼんやりしていることの特異性をこうやって表していると思うんですけど、僕はなんでこんなに無知なんだと思って、自分の家族のことだったら身近だし、家族の過去を調べてみようってことで始めたんですよ。 でも家族の歴史を見ていくと、自分が権威の側、支配する側にルーツがあって、その末端に東京の裕福な家庭に育った今の自分がいるということが見えてきて、そこに対する負い目が強くなってきた。その負い目をモチベーションにするのは違う気がして、もっと自分が当事者として今思っていることを発信したいと思ってきたところで表現が絵に変わっていった。 :今までのお話を伺っていると敵を作りたくない? 奥:そうなんです、絶対数年やってくとボロが出る、というか失敗するっていうのはめっちゃ分かってるんですけど。 現代アートで何に違和感があるかっていうと、飛躍するステップがあって。視点が急に変わるということがアートではやっぱり面白いなって思うし、その展開のさせ方は美大で習う技術でできるようになる。でもその技術だけで、社会的な問題や過去の大きくて悲惨な出来事を扱って作品を作れるかというとそうじゃないと思う。過去の出来事に接する際の文献の調べ方とか社会的な問題の当事者へのインタビューの仕方とかそういうところは美大では教わってないから、そこの技術が僕にはなくて、歴史や他者を扱うときの限界が見えてきた。 たとえば大学で社会学を専攻してたら常に被験者とかインタビューされる側の話を大学で学んでいるとか、先生のフィールドワークに同行してそこで見たリサーチの技術を自分の研究に活かすとか、そういったステップがあるはずなので、そうやって他者と関われたらいいんだけど、ずっと絵を描いてきた人が、今の主流はそっちだからといって、いきなりそういったテーマを扱うのは怖い。 ー:ちゃんと批判があったときに勝てるだけの理論武装ができてないと、っていうのはありますよね。 奥:そうそう、だから学校でそういうことが教われるっていう状況にも早くなって欲しいな。 他には作品が残ることとかは、本当にいろいろ考えて、ゴーギャンは昔タヒチにいたんですけど、タヒチにゴーギャンの作品は一点もないんですよね、オリジナルは。フランスとかにあって、億単位でやり取りされていく。でも、ゴーギャンがいたおかげで、観光地として結構有名な島になって、ゴーギャン美術館っていう、ゴーギャン作品のレプリカの美術館もできた。これって何なんだってパラオ行った時思って。(注:2016年、家族史のリサーチの一環で南洋庁に勤めていた曾祖父のことを調べるためにパラオに2ヶ月滞在した。) 最近の美術館って植民地にした場所から収奪したものを返していくっていう動きがあるんですけど、そのゴーギャンの例にしても、そのままタヒチに残っていたとしたら保管はきかないし、保管のプロもいない。それで作品が消えていっても良かったのかもしれない。でも作品が残っているおかげで僕はゴーギャンを知ることができたし感動することができた。それを引いて見れば、タヒチと縁もゆかりもない人たちが作品を愛でて、そこに大きなお金が動いて、そしてそこはかつての戦争で勝った国でという構造がある…。それをどうしたいっていうわけじゃないんですけど、その関係性って面白くて。 ー:面白いですよね。ほんとうにそれは答えもないところだけど、需要と供給の関係性の中になければ、物事に価値って何もない。 奥:でも、貨幣価値じゃないところでの価値、そういうところがこれから重要なんじゃないかなと思っていて、そこで何かしたい。 ー:貨幣価値じゃないところ、っていうとそれこそ奥さんがやろうとされている人とか共感なんじゃないですか。 奥:そうですね。物を見て、それを好きって思うこととか。 僕は絵を勝手に芸大の修了展で売って、5000円から10000円って値段をつけてて、僕は2,3年ぶりに絵を描いていたし、そんなに大きな値段も付けられないと思って、で、買ってくれた人たちとの関係性って今でも続いていて、結果的に1年半とか2年で、48枚くらい作品が売れたんですけど、そこも残るとかについて考えるきっかけになって、 今まではアーティストへの道が一本あったら、美術館に所蔵されたらアーティストとして名が残るだろうと思っていたんですけど、前に僕の絵を高校生の女の子とかが買ってくれたり、お父さんもお母さんも買ってくれて、その高校生の女の子が死ぬまで大切にしてくれたら、トータルで100年とか残る可能性ってあるなと思って、自分が人に作品を渡してみて初めてその残る、残らないとか、歴史とかいうものの価値観が変わってきたんですよ。 それが自分の作品だけではなく、横にもじわーっと広がっていくことが目標なんですけど、その辺が難しい。こうしたことを考えている人と出会いたくて、出会えてもいるし、けどまだ足りないというか。現代アートのトップギャラリーだけがアートじゃないし、銀座の画壇だけが美術じゃないわけで、でも先生たちはそこの人たちだから、どうしてもそこが目指すレールになる部分は出てくるけど、イラストレーターとか絵本作家とかもっと色んな形でアートなり美術が存在できる場所はあるはずで、油絵科の教授にそういう人も入ってくれたら美術教育の段階でもっと学生の今後の選択肢が増えるような気がする。 ー:最後の質問になりますが、今後、作家としてどのような活動の展開を考えていらっしゃいますか。今後の展望や今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 奥:マルシェで絵を売る活動とかを僕はアウェイ戦って意識でやってるんです。今までアートや美術鑑賞に馴染みがなかった人に作品を見せて買ってもらうまでいくっていうのはかなり難しいとは思うんですけど、僕や誰かの作品をきっかけにその人の今後の生活が少し変わっていくみたいな可能性は捨てきれなくて、そういうことは今後もやっていくと思います。 直近の発表は三軒茶屋にある生活工房という場所で行われる「プライベート・コレクション展」という展覧会に作品が出ます。この展覧会は、個人宅にある美術作品の展示風景を写真作品として発表してきた藤井龍さんというアーティストの活動に焦点を当てたもので、今回の展覧会のために募集をかけて集まった個人宅にある美術作品20点と、藤井さんが撮った写真、作品所有者のインタビュー映像が展示されるそうです。 藤井さんの活動は、勝手に自分と近いことを考えてるんじゃないかと思って前から興味があったのですが、僕の絵を買ってくれた人がこの展示に僕の絵を出してくれました。展覧会自体の企画には全く関わってないので普通に一鑑賞者として楽しみにしてます。 ----- fig.1 ヤップ島で使われている石貨という石の貨幣は、それが使われてきた来歴によって価値が決まるという。初個展「南洋のライ」(2014年)では、石貨とそれを日本に持ち込んだ曾祖父との関係を扱い、価値と物語の関係を考えた。 fig.2 2017年にアトリエを借りてから絵の制作を再開した。再開後すぐの作品とアトリエ。 fig.3 2017年、OTA FINE ARTSでアルバイトをしているスタッフによるグループ展「Assistants」で発表した作品。国立競技場と家族の関係を扱った。 fig.4 「ピアニスト」2019年 fig.5 2018年、blanClassでのイベントで行った絵の展示「ドゥーワップに悲しみをみる」 fig.6 今年5月、吉祥寺パルコのマルシェに出店し、グループ展「PART: 生活の一部(?)」を開催。計31点の作品が売れた。

    中国 杭州に滞在する現代美術家、 山本愛子が全6回に渡り、旬なアジアのアートコラムをお届けします。     静かな中国 - 杭州の芸術家 杭州に来てもうすぐ9ヶ月目に突入する。世界遺産の西湖を中心に広がっているこの街。中国7大古都の1つで、多くの文化財が現存する風情ある土地だ。私と湖との初対面は日暮れ時だった。水面は音もなくたふたふと揺れ、夕焼け空をうつしたゼリーのような光沢がぬらぬらとしている。海や川のような流動感はまるでない。この静寂閑雅な光景が、人に言葉を紡がせるのだろう。詩人や芸術家に愛された湖というのにも納得がいく。   私の制作スタジオは西湖一帯から南にバスで小一時間ほど下った土地。「白塔岭(バイターリン)」というビルの一室だ。山頂に位置しており、私は中古電動バイクの充電を日々気にしながらガーっと登って通っている。左右に見える二棟の全室が、現在13名ほどのアーティスト達で埋まっている。空きビルだったところに、この1~2年の間でアーティスト達が一気に移動してきたらしい。その前までは市内中心地にスタジオが密集したスポットがあったのだが、家賃の高騰と共に今は全員撤退。「最近のブームはこの辺だよ、まだ家賃が安いから広いスペースが使える」と地元のアーティストが教えてくれる。どの地でもアーティストは穴場の開拓が上手いなぁと思う次第。 それではこの白塔岭スタジオを少しのぞいてみましょう。   一室で絵を描いているのは、潘子申(パン・ズーシェン)さん。彼女の作業場は、何やら小さなもの達でにぎわっている。棚にはスケッチブックが山積みになり、その上には不思議な形のオブジェがちょこんと重石に。何かの機械を分解したパーツが机に散らばる。小箱達に詰まっている漢方薬。点在する陶磁器、小岩、流木。空きビンに野草のドライフラワー。部屋というより小さな庭に来たような気分だ。   巨大な山脈か、あるいは骨のようにも見える何かを描いている。彼女はこれを「身体の地図」だと私に話してくれた。   《作为承载的身体》2016年 人骨と共に描かれているのは薬草だ。なんとなしに描いているわけではなく、薬草の効能と身体の箇所の関係に基づいて描かれているというので驚いた。なんと神秘的な身体の地図!中国医学の神とも言われる人物「神農」からも創作の着想を得ているそうである。神農は、農業、薬草、医療に尽くした人物。伝説によれば神農の体は頭部と四肢を除き透明で、内臓が外からはっきりと見え、その自らの身体で薬草と毒草を検証した。もし毒があれば内臓が黒くなるので、そこから毒が影響を与える部位を見極めたという。   《松果在你的眼睛,海马在你心》2016年 私はこの作品たちがとても好きだ。なぜだろう。一つはおそらく、絵であり図であるところが良いのだろう。絵の魅力が右脳を喜ばせ、図の説得力が左脳に思考を始めさせるような、そんな感性と理性を兼ね備えている。「漢方薬の歴史の中で、薬の効能は歴史ごとに異なって語られてきた。例えば、万年茸が死人を蘇生することができるとまで言われる時代もあった。」と潘子申さんは言う。肉体と精神の自己回復。病は気からという言葉が今もあるように、薬草の効能と人間の「気」や「意識」が混じり合うことで、古来の人は身体を回復させてきたのかもしれない。古来の伝説というものは大抵が摩訶不思議に聞こえるが、科学が進歩した現在だって人間の精神と身体は相も変わらず神秘に包まれている。人は人についての全てを知ることができない。未知を探求する人間自体が何より未知の存在なのだ。彼女の作品は、現代人が忘れかけている未知の存在への畏敬の念を自然と呼びかけるようだ。   描く姿をしばらく見させてもらって気づいたことがある。彼女は、描く時間と同じくらい描かない時間をもつ。キャンバスに手をそえたり、絵を見つめたり、空中で手をゆっくりと動かしたりと呼吸のようだ。独特の時の流れのなか、小さな刺繍を好む彼女の服が揺れる。物静かに微笑む表情がそれによく似合う。キャンバスの上で医学も美術も区切りがなくなっていき、ただ彼女らしさがそこにある。   さて、その隣のスタジオからは、彫刻刀の音と共に木屑の良い香り。大水曾淼(ダーシュイ・ツェンミャオ)さんが木を彫っている。このスタジオが、本当にセンスに溢れているのだ。置いてあるもの一つ一つにこだわりが見える。ここで彼女が作っているのは中国古来の楽器、古琴(クーチン)。3000年以上の歴史を持つ、中国人が古くから愛好した音楽遺産。私は中国に来るまで古琴を見たこともなかったけれど、日本の箏よりシンプルな印象。日本の箏は13弦に対し、古琴は7弦の絹糸で作られる。   曾淼さんは中国美術学院で油絵科を卒業している。美大で絵を学んでいた彼女がどうして今、古琴を作っているのか?単純な疑問が湧き単刀直入にそれを尋ねてみた。まあまあ、と彼女は漆黒の小さな陶磁器を木のテーブルの上に並べ、中国茶をゆっくりと淹れてくれた。体内に染みわたる。きっかけは学部生の頃に古琴の演奏を習い始めたこと。その当時に先生が仰った言葉がある。「古琴の楽譜は古代のもので、奏者はそれを学ぶ。古琴の楽器自体は、奏者にとって買い物にすぎない。楽譜と楽器は別々の分野にある。」それを聞いた彼女は、楽譜と同様に楽器自体も学びたいという想いになり、独学で古琴の制作をはじめた。   手仕事は美しい。彼女の美しく無愛想な手が生み出した古琴の音色。その音に惚れこむ奏者達が山頂の辺鄙なスタジオまで買いつけにくる。独学でここまで作れるの?と私が驚くと「本を読んで手を動かした」とサラッと言う彼女。「絵を描くことも楽器を作ることも自分にとって同じこと、ただ好きなものを作っている。」   「神奇秘譜」と表紙に書かれた不思議な本を見せてくれた。なんとこれが古琴の楽譜!漢数字が弦の番号を示していて、そのほかが手の動きなどを表しているそうだ。曾淼さんによれば、古琴の楽譜には五線譜のようなテンポやリズムが無いらしい。奏者がこの譜をどう読むかに委ねられる部分が多く、同じ楽譜でも演奏は十人十色ということだ。確かに読めないなりにも五線譜とは全く異なる構造であることは伝わる。眺めているだけでかっこいいが、やはり読めなければ音は聴こえてこない。彼女にはこれが読めて、音が聴こえているんだなあ。   ある冬の朝、スタジオで曾淼さんの演奏を聴かせていただいたことがある。山頂の白塔岭スタジオは静寂に包まれていて、凛と冷えた空気のなか古琴の音が響きわたる。一曲は15分ほど、その大半が余韻なのだ。弦が弾かれ音が空間に消えゆくまで、まるで絹糸という動物の鳴き声を聴いていたような感覚。余韻の最後まで音の行方を感じとろうとすると分かることがあった。音が空気を振動させているということ。その振動に明確な区切りはないこと。西洋の12音階のように区切って音程は語れない。フォルテやピアニッシモのように音量を規定することもできない。リズムを一定に刻むこともない。生の音が空気と共に鳴いている、と言い表せば良いのだろうか。東洋の音に対する感覚は言語を超えた先、沈黙の領域にあるのだろう。素人ながら私はそんな芸術の時に触れた気がした。   絵と古琴。色も、音も、その手を介せば彼女の化身となる。好きなことに向き合う手、帰り際にはいつも旬の果物をお土産に、私の手の上にポンとのせてくれるのだ。     潘子申 1984年浙江省台州生まれ 2007年中国美術学院油絵科卒業 2014年中国美術学院インターメディア科修了 WEB記事 https://mp.weixin.qq.com/s/ALqcqiGOv504I-DSM9yP0g   大水曾淼 1984年江西省生まれ 2007年中国美術学院油絵科卒業 2005年から浙派郑云氏の元で古琴を学びはじめ、2015年より独学で古琴を制作。   あとがき 中国=騒がしいというイメージを持っている方が多い気がします。しかし静かな中国もある。ここでの私生活はとても穏やかです。今回ご紹介した2人のアーティストもそんな静かな世界の住人で、いつも優しい雰囲気に包まれています。中国古来の薬学や楽器といった自国の文化を自身の仕事の中で黙々と探求している姿はかっこよく、学ぶことたくさん。 このコラムでは、私自身の超個人的なフィルターを通して見える世界、私が出会った芸術を、一緒に味わえればと思っています。ひとり静かな時にでもまたお付き合いくださいませ。   筆者プロフィール 山本愛子 Aiko YAMAMOTO 作家 ウェブサイト http://aikoyamamoto.net 1991年 神奈川県生 2017年 東京藝術大学先端芸術表現科大学院修了 2018年から現在、中国美術学院新媒体芸術科研究生、ポーラ美術財団在外研修員として杭州に滞在中。

  中国、杭州に滞在する現代美術家、山本愛子が全6回に渡り、旬なアジアのアートコラムをお届けします。     香港に着いた。私がなぜここに来たかといえば「アジア最大級のアートバーゼル」というものが一体どんなものなのか、とりあえず行ってみようと思い立っただけなのだ。滞在中の杭州から飛行機でたった2時間、映画を一本見終わる前に着いてしまった。空港から直接会場に来てオープンまであと数分。急いできたので景色もよく見てない。というか香港のこと何も知らない、調べてない。着いてみて身を以て知る。根無し草の私は、自分で動いて見て聞いて感じることで言葉に血を通わす。「行かなくても美手帖とかSNSで雰囲気わかるし、お金持ちが集うような場所に作家自身がわざわざ行く必要がない。」昨日の私に言えるこの冷えた言葉を捨てるべく、水分をたっぷり含んだ粘土のように何も固まっていない状態のうちに色々と経験しよう!わくわく!そんなことを考えていたらバーゼルは澄まし顔でオープン。マップを見るとすごい量。242ブース!1ブース2分でも日が暮れる。     流れる風景のように膨大な量の作品を見ていると、私は作る側であるから作品の気持ちを考える。もし私の作品がこの大海原に一つ浮かんでいたら、と。人々は軽やかに回遊する。珍しいクラゲに目を奪われ、キラッと光る小魚にあら可愛いとよそ見して、遠くそびえ立つ山々にあちらに行こうと舵を切り、注意散漫な脇見運転をしながら、ある夫人はシャンパンを片手に風景をお楽しみのご様子だ。何というか、そんなことは予想してここに来たわけだし、と私もめげずにボロ船を漕ぐ。目ではなく心を奪ってくれるものは無いかと、そんな期待でパドルを手にする気持ちだけはトレジャーハンター。私の心を奪う何かに出会いたい。運命を感じる作品はないでしょうか。     不思議だな。こんなにたくさんの作品に囲まれているのに、なぜ見つからないんだろう。まるで行き交う渋谷スクランブルのど真ん中、恋人に出会えずひとり空を見上げて途方にくれてしまっているような。皆の目を奪う作品はたくさんある。インパクトがあったり、有名な作品だったり。しかし心を奪う作品はきっと人それぞれ違う。そしてそれはなかなか見つからない。目を奪う作品とは「今どこにいる?」と聞かれこの会場で待ち合わせにできるものでもある。「村上隆のおっきい花があるところにいるよ~」「なんか一番ネオンがすごいブースのとこ」という感じに。共通言語になりやすい作品は話題に乗りやすい。そして売れやすい。かどうは売り側じゃ無いので分からない。     いくつかの心惹かれるものに出会うことはできた。それらには共通点があった。私が心惹かれた作品の共通点、脆いもの。古紙、布きれ、いわゆる「襤褸」や、糸や針金、か細く自立するもの。素材に限らず、何やら細密に懸命に何かを記しているけれど、それが解読不明か意味深長なもの。謎を謎のままに肯定するもの。どこかの民族刺繍やらがオブジェにまとわりガラクタのような振る舞いだったり、メカニックな技術を駆使しているにも関わらず意味不明な働きをしていたり。私はそうした美しい暗号に出会った時、自分の心が喜ぶのを感じた。一見脆い暗号の奥に燃えたぎる強さ、作家自身の感性がじわじわと伝わってくる。待ち合わせ場所にはされない、どこかとりのこされた雰囲気のものたち。私はそんな素朴極まりなくオーラあるもの達に惹かれたのだった。     睨みが静かに光る。夜の茂みに一瞬ギラリと野生の眼。この野生は、注目を浴びてやろうという野心とは別のベクトルで呼び鈴を鳴らす。静かな鈴の音は、確かな警告でもある。作者の意図では無いとしても、私はこの作品たちを(正確に言えば作品の「部分」たちを)鏡として、私自身の居場所を聴くことができる。これは私が今回アートバーゼルに来て最も良かったと思える収穫の一つだ。自分は何が好きなのか、何を察知できるのか、何に心を通じ合えるのか。改めて分かるのならば、こんな鑑賞スタイルもあって良いでしょう。     人間は集合体になると野獣のよう。ガッツリ獲物を捉えに勝負をかける作品群の中、むしろ鈴でもって熊を寄せ付けぬこの素朴なものたち。同じ鈴を持っているもの同士だけが、リン リン リン と、秋の虫が互いの居場所を確認するように、それに心を交わし警告を理解する。野獣はその音構わず歴史を刻む。繊細なガラスの道を踏んづけ、足の裏から血が流れてもバリバリと大雑把に割り進む。そして生まれたガラスの破片たち、歴史の刻みカス。その一つひとつの怒り、悲しみ、美しさに心を通わすことができるのは、ちっぽけな個人の特権かもしれない。儚く鋭利な光、皮肉にも野獣の歴史無くして破片も存在しえないけれど。     こうして私は、アートの文脈を大無視して、アートバーゼルという大海原で鈴の音を頼りにガラスの破片拾いを楽しんだ。これでいいのだ!私は野獣ハンターではないのだから。自身の中に新たな言葉をコレクションし、バーゼルを後にひとり香港の夜景に迷い込む。小道、急坂、傷ついたアクリル板の窓越に吊るされた豚肉。排気口から蒸気。紅色の繁体字を下品にテカる金色がふちどり、冴えない小道をイカツく浪漫に仕上げてる。野良とペットを変幻する猫。目が合った。 ゴンゴンゴンと背後から私を追い越す二階建てバス。真っ赤なタクシー群が聴き慣れぬ信号機にひっかかり二手に分かれ、新旧入り混じるマテリアルの奥へと消えていく。明日は友達に会う。グーグルマップ片手にまだまだ吸い込まれそうな迷路の先。今夜の格安ドミトリーを目指し、リンリンと情熱がほとばしり、キラキラ掴めない破片と歩く。     ーあとがきー 4泊で香港アートバーゼルと周辺のギャラリーやアートスペースを色々歩き観てきました。4泊分の日記の文字数が収集つかなかったため、このコラムでは初日3月27日の日記から抜粋して編集しています。香港アートバーゼルに関しては多くのレビューが公開されるであろうと思い、ここでは周知の情報的なものは記述しませんでした。あくまでも作家目線の超個人的フィルターを通した世界から、自由なアートの楽しみ方、アートと日常が繋がっていること、香港初日の臨場感が伝わったらいいなと第1回目のコラムをお届けしました!次回は、私が滞在中の中国杭州で借りているアトリエ周辺についてです。よかったら次回もお付き合いください。   山本愛子 Aiko YAMAMOTO 作家 ウェブサイト http://aikoyamamoto.net 1991年 神奈川県生 2017年 東京藝術大学先端芸術表現科大学院修了 2018年から現在、中国美術学院新媒体芸術科研究生、ポーラ美術財団在外研修員として杭州に滞在中。

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