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Column

涼しさの増してきた11月1日、植田爽介(うえた そうすけ)さんの初個展が開催されている北千住のアートセンター「BUoY」へ行ってきました。 北千住駅の仲町口から線路に沿うように住宅地を南にしばらく進んで行くと、太い道路に面したところにBUoYの入り口がありました。基本的には演劇に使われている施設とのことで、扉のない入り口を入ってすぐの階段のところに演劇は地下、植田さんの個展は階段上、と案内がありました。 2階に上がるところからまず一般的な白壁の展示ギャラリーとはおおよそ異なる様相を呈した建物の内部に衝撃を受けます。 扉で仕切られずに繋がった広い1つの空間。なかなかに広く開放的です。 大きく3つのエリアに分けることができ、そのうち一つはカフェのスペースとなっています。作品を見て回る前に空間の面白さで気持ちが昂ってしまいました。 こちらのスペースは元々ボウリング場だったそうで、壁や床にその要素を残しつつ、普段は演劇の練習場などに使っているそうです。上の写真の右側、カラフルな作品の並ぶエリアの床の線はボウリングのレーンの跡だそう。 私が植田さんの作品について他の作家にない魅力を感じている重要な点は、その色感の美しさ、視覚的強さです。視覚的美しさに加え、思考の量、練られたコンセプトの強度も持ち合わせ、評価されて然るべきアーティストの1人だと考えています。そうした点で植田さんらしさを感じて目を引いた右側のカラフルなエリアが気になりましたが、作品の展開に順序があるそうなので向かって左側の部屋から見てゆきます。 開いていましたが、恐らく扉。面白い。 向かって左の部屋に入ります。作品の鑑賞に至る前に、近付くまでの周囲の環境が良い意味で非常に気になる。なんだか冒険感があります。 『刻の忘れ物 (Still Life)』(2018年) 綺麗に並列されている向かって左のものは立体作品、右はその立体作品を撮影したイメージをリトグラフで平面に刷ったものです。 世界最大級のトカゲであり絶滅危惧種でもあるコモドオオトカゲの生態への関心から、次いで大きいとされるミズオオトカゲの皮を入手して、それらの生息する東南アジアの島々を彷彿とさせるような配置に電子部品を縫い付けた作品とのことです。 ピンク色の皮の色がリトグラフの方ではより毒々しく。手足が欠け磔にされたかのような姿には何だか痛々しさや悲しさを感じます。冒頭で見えた隣の広いエリアにはこちらのトカゲの版を用いてカラフルに展開した作品群がありますが、パッと見のイメージが格好良くてあまり気にならないそちらの作品群の裏側の出発点にこうした重さや毒々しさが隠されていることが皮肉のようで格好良いですね。 こちらの部屋の全体はこのような様子。次はトカゲの作品の向かいにある白い作品へ。 『Just the way your are(L), (R)』(2017年) 白い正方形のフワフワの毛の中に電子基板が埋め込まれている。私がスピッツのCDの中で唯一手元に持っているベストアルバムのジャケットを思い出しました。植田さんはスロヴァキアへ留学に行かれていますが、その中で立ち寄った街の上空図に沿って基盤が配置してあるそうです。こちらはウサギ9匹分の毛皮を繋ぎ合わせてあるそう。 次はこちらの部屋の一番奥、今回の個展のメインビジュアルにもなっている大きな熊の毛皮の作品が置かれているエリアに入ります。 作品を中心に、部屋の左右の壁に平面の展示があります。植田さんの所属する大学院でシカゴ大学との交換レジデンスプログラムがあり、シカゴに赴いた経験をベースにした作品です。熊に向かって右手の写真は香川県で成果展を行った時のものだそうです。 『Chicago Maps (on the origin of the country)』(2018年) 身体感覚的に作品を捉えると、痛みを感じる表現です。動物の皮膚に基板が縫い付けられている。既に死んでいる生き物の毛皮は人類が数多の製品に使ってきたものですし、もうただの物質と言えばそうなのですが、感覚を開いて鑑賞すると痛覚に来るものがあるように感じます。 人間文化がテクノロジーを得ると共に奪ってきた動物たちの命への悲哀のようなものが、植田さんの作品表現の裏側にはあるのかもしれない。と、コンセプト文でも言及されない要素を想像しますが、果たして真実はどうなのでしょう。 シカゴを訪れた経験、その都市の成り立ちについてのリサーチを元にした作品。シカゴという名前は先住民の言葉で「強き者」を意味するというニュアンス、そしてシカゴを開拓した創始者の毛皮商人の存在から、素材としてクマを選んだそうです。 日本には熊皮を鞣している工場が無いとのことで、日本のヒグマの皮をアメリカで鞣し、日本に逆輸入したものを使用。シカゴの地図をプロジェクションで投影し、建物の配置の通りに電子基板を配置。この作品についてはシカゴの高層ビルの高さの比率も正確に投影して基板を付けているそうです。 制作風景。 裏側の様子。毛皮の裏側はシカゴの都市の地中としてイメージして作られているそうです。基本的にボルトとナットで留め、場所によっては皮が厚くボルトが通らないため、針と糸を用いて縫い付けてあります。 建物の高さを投影してあるとのことで、横から撮った図。なんとなく、砂煙に巻かれた都市の景色のように見えます。 印象的だったエピソードはこちらの部分について。基本的にシカゴの都市を理屈的に正確に投影した作品ですが、シカゴで一番大きな噴水を見た時の植田さんの感動という個人的な体験・感覚をカラフルな配線に投影したのだそうです。理知的で感覚や感情の見えにくい植田さんの制作スタイルの中の、控え目な感動の表現に何だか可愛らしさを感じました。 こうして電子部品を用いた作品をじっくり見た後だと、この建物の床に固着したネジも何だか関連付いて見えてくるのが面白い。 気になっていたカラフルなエリアへ。奥の壁には植田さんの作品画像のスライドショーがプロジェクションされています。 手前の6作品は、先ほどのトカゲの作品のリトグラフの版を様々な色展開で刷ったもの。版は合計3つあるそうですが、2つだけ使ったり1つだけ使ったりと手法を変えることでバリエーションを出しています。展示されていない他のパターンも見せていただけました。 植田さん自身は右から二つ目の鮮やかな黄色を使ったイメージが好きだそうで、そちらは売約も付いたとのこと。 版を作ればこうして色味や重ね方を変えることでいくらでも作品に変化を付けることができ、予想と違う出方をすることもある。版画の最大の面白さはそこにあると考えています。 プロジェクションの壁の左手前の壁に貼られた縦長の作品。 こちらはヤギの皮に黒の単色のインクでイメージを刷っています。 続いて向かいの壁の大きな作品。 『Trace Element (Pig)』(2017年) 今回の個展の中で一番衝撃を受けたのはこちらの作品でした。 過去絶滅の危機に瀕したハンガリー原産のマンガリッツァという品種の豚は、人が食すようになったことで飼育が盛んになり頭数が回復したのだそうです。調べてみると、現在ではハンガリーの「食べられる国宝」として様々なメディアで取り上げられている様子。 スロヴァキア留学中にマンガリッツァ豚と出会い、その実態に興味を持ち作品の題材にされました。この豚の特徴である巻き毛を取り分けて様々な場所に配置し、腐敗する様子を写真に撮って版を作り、なんとその毛から抽出した色でイメージを刷ったのだそうです。 こんなにも鮮やかでカラフルな色は、当然のように人工のインクで刷っているものだと思い込んでいました。にわかに信じられません。毛を置く場所で、環境の影響で、こんなにも多様な色が生み出されるのですね…。 今回の植田さんの個展には山縣青矢さんの手によるコンセプト文が添えられています。その中に植田さんの愛読書であるマーク・トウェインの『人間とは何か』にある人間機械論、外部の環境が人間の行動を決定している、とする考えが紹介されていました。 人も豚も、環境によって生かされている。抗えない無意識の部分は多分にあると思います。それでも、それを知った上で、植田さんは自分の力で世界を捉え直そうと試みている。そうした姿勢を見て取ることができました。 植田さんご本人と共に。 最後に。プロジェクションで展開されていた画像もどれも格好良くて見ていただきたいものばかりでしたが、あまりに枚数が多くなってしまうため、植田さんの紹介写真をプロジェクション前で撮ろうとした過程で面白かったものを少しご紹介。 鮮明なイメージが衣服の柄のようにはっきり投影されていくのがとても面白い。来場した方もここに立つことで面白い写真をいくらでも撮って無限に楽しめる、エンターテイメントのような展示空間の演出が非日常的で良いですね。 (清水悠子)   植田爽介さん オフィシャルウェブサイトはこちら https://sosukeueta-art.jimdo.com/biography/jp/ 【今後の展示情報】2019年3月まで毎月展示の予定が決まっているそうです。是非ご覧になってみてください。 シブヤスタイル vol.12 2018年11月27日~12月9日 西部渋谷店 B館(東京) Sequence 10 2018年12月18日~24日 高松市美術館2階 一般展示室(香川) 第62回 東京藝術大学 卒業・修了制作展 2019年1月28日~2月3日 東京藝術大学(東京) Group Exhibition 2019年2月8日~3月3日 EUKARYOTE(東京) KUMA EXHIBITION 2019 2019年3月22日~24日 Spiral Garden & Hall(東京)

平素は格別のお引き立てを賜り厚くお礼申し上げます。 年末年始休暇の期間を以下の通りとさせていただきます。     ■年末年始休業期間 2018年12月29日(土)から2019年1月6日(日)まで 2019年1月7日(月)通常営業とさせていただきます。 本年中のご愛顧に心より御礼申し上げますとともに、来年も変わらぬお引立てのほど、宜しくお願い申し上げます。

11月4日(日)は、『中央区まるごとミュージアム2018』にて、定員10名のささやかなアートツアーを行いました。中央区まるごとミュージアムは、中央区文化・生涯学習振興課文化振興係の後援により年に1度ひらかれ、今回が11回目の開催となります。 MeltingPotとして、初めての参加でしたが、広報に力を入れてくださって、10名の方にご参加いただきました。 当日歩くルートと、ルート内の作品について各自がメモを取れる資料を配布させていただき、中央区役所から出発、有楽町、八重洲、と歩き日本橋で解散と、20程度の作品に解説を加えながら2時間ゆったりと歩きました。   出発してすぐの亀井橋公園。井手則雄による『トリオ』。素材はセメントっぽいね、定期清掃している気配はないけど、なんか修復した後はあるぞ、など話しています。 元電通本社、その後電通テック本社となり、現在は売却されているコンクリ建築の一画。建造物は丹下健三による設計で、丹下健三の他の作品をお見せしながらの解説。諸事情あって、本来つくりあげたかった建築とは異なる形だったようなので。 名犬チロリ、セラピードッグだそうです。犬繋がりで、渋谷ハチ公の話もさせていただきました。先代は戦争へ行かれたので、今のハチ公は2代目です。 夜には光る岡本太郎。絶対もとの作品ではない(と思われる)針金のようなとげとげが上部に付いているのを参加者の方が発見されました。鳩除け・・?元の作品と形状が多少変わっているのは、屋外彫刻あるあるです。 美術館に購入された作品と異なり、屋外彫刻は、そのまちの記念事業であったり、民間企業のおもいによって設置されたりと、社会と連動したストーリーが背景にある点が面白いです。美術だけでなく、まちづくりの視点からも味わうことができ、包括的な知識を得ることができるので、少しでも参加者に方々にとって楽しいひと時となれたならば良かったのではないかと思います。 また来年度、さらに進化させて『中央区まるごとミュージアム』参加するかもしれません。その際にはどうぞよろしくお願いいたします。   主催:株式会社MeltingPot 後援:中央区文化・生涯学習振興課文化振興係

10月27日には、熊谷市にて、熊谷市・熊谷市教育委員会との協働で屋外彫刻に掃除を通して触れるイベントを開催しました。 熊谷市を流れる星川に沿って設置されている彫刻たち6体を参加者の皆さんと一緒にスポンジで掃除しながら巡りました。地元の方は日頃から目にしている野外彫刻ですが、風雨にさらされ汚れていってもつい放置されてしまいがちです。そんな彫刻たちをお掃除しつつ実際に手で触れることで作品と親しんでもらおうと行ったイベント。 小学生の団体も参加してくれてとても賑やかな雰囲気でした。グループが入れ替わりつつ60人近くが参加してくれました。 皆さん台に乗ってとても積極的に掃除してくれて、彫刻の知識を勉強するのとは違う体を動かす取り組みを楽しんでもらえたようでした。 作品によっては隙間に泥が溜まっていたりとかなり掃除し甲斐があるものもありました。地域のモニュメントとして設置された後のこうした屋外作品を定期的にお手入れをして劣化を防ぐことも文化を守る大切な取り組みです。今後も自治体の方々と協力してこのようなイベントを継続していきたいと思います。 主催:株式会社MeltingPot 協力:熊谷市・熊谷市教育委員会

平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 このたび、営業拠点を移転させて頂く事になりました。   これを機に、気持ちを新たに、より一層社業に専心する所存でございます。 改めて日頃のご愛顧にお礼申し上げるとともに、今後とも変わらぬお付き合いのほどお願い致します。   【移転先住所】 東京都港区南青山三丁目1番30号エイベックスビル2階 ※電話番号は変更ございません   【業務開始日】 2018年11月1日 ※旧大塚住所は11月いっぱい書類の転送をしております。

『三越×藝大 夏の芸術祭2018』 古賀真弥 こんにちは。清水です。 夏の暑さも落ち着き寒さを感じ始めるこの頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。   今回は、8月に日本橋三越で行われていた「MITSUKOSHI×東京藝術大学 夏の芸術祭2018」を訪ねた際のレポートをお届けします。 こうした百貨店タイプの美術展示は日本画や工芸などの誰しもが受け取りやすく美しい”美術”らしいものが好まれている印象があります。誰も見たことがないような斬新な“アート“的なものは販売が難しいためか、比較的少なめなイメージです。   何人か印象的だった作家さんをご紹介したあと、個人的に私の琴線に強く触れた彫金作家さんをぜひご紹介したいと思います。   まずはこちらの作家さん。   パッと見てああ面白いな、と感じました。書道のようなタッチで文字を使っていて、なおかつ絵としてイメージを形作ろうとしていることが分かります。 美大生などの若い作家の作品をたくさん見ていると、大体の作品はどこかで見たことのあるタイプに分類することができてしまいます。歴史上様々なことが成されてきた美術の世界において、唯一無二の新たな作家性を見つけ出すことはなかなかに難しい。 しかし、こちらの下村奈那さんの作品は私がどこでもあまり見かけたことのないタイプでした。確実に書道とは違うのですが、単色の墨で描かれた図像は文字的です。 「星を題材にした書の作品」とキャプションには説明書きがありましたが、いわゆる書道の形式でないのが楽しいですね。中国星座についての知見を制作に活かされている方のようです。   続いて面白いな、と思ったのがこちら。 分かりやすく面白い。先端芸術表現科の大学院出身の折原智江さんの作品。説明不要で楽しいですね。使ってしまうのはもったいない。   続いてはこちら先端芸術表現科の博士号取得、知念ありささん。壁の高い位置に展示されていましたが、熱量というか密度というか、放置できない強さに惹かれました。 花火をモチーフに、釘に糸を引っかけてゆく繰り返しの動作で記憶の断片を具現化した作品だそうです。   お次はアート的雰囲気のあるこちら。 ガラス棒の先端の球形部分に周りの世界が上下逆転して映り込んで見えます。 特定の角度から見ると、球の部分に色が見える仕組みになっている様子。作品タイトルは3本それぞれ別の色名になっていました。私はその角度を見つけられませんでしたが、それでもシンプルな見た目で色々と想像することができて面白かったです。   そして最後に、いよいよここからは私が一番惹かれた作家さんのご紹介。見た瞬間の色の感覚に引き込まれました。 写真では伝わりにくいですが、銅に着色を施した優しい鮮やかさが私にとってはどの作品よりも美しく感じられました。 工芸科、彫金を修了され現在東京芸大で助手をされている古賀真弥さん。 工芸科の作家さんの作品は、こうした販売を目的においた場では特に手に取りやすいアクセサリーや陶芸作品をよく見かける、というイメージがありました。そんな中、古賀さんの作品は使用が目的ではなく展示しておくためのオブジェ的で、ある意味彫刻科の立体作品のような立ち位置に感じました。   最初に特に気になったのはこちらの作品。 一瞬本当に水が湛えてあるかのように見えました。雨の日本庭園に置かれているのが似合う…そんな景色が浮かびます。水の重さを感じる。 次に目が行ったこちら、2点連作の水色とピンクの取り合わせがとても綺麗です。モチーフのチョイスが繊細で女性的にも感じられます。デザイン的に全く対になっているわけでもないのがまたセンスが良く、2つを見比べて違いを楽しむことができます。ピンクの淡さがとても上品。   お次はこちら。 真ん中の空洞に、また水が湛えてあるかのように樹脂が流し込まれています。海中の洞窟のように見える。中の葉っぱは大部分がレースのように透かして作られているため、暗がりの中でも映えるようになっています。水槽を覗いているような気持ちでじっと眺めることができる作品でした。 続いて向かって左側に置かれた作品に目を向けます。 はっきりとした水色が印象的なこちらの作品。真ん中の樹脂部分が多層の曇りガラスのようになっていて、また異なった雰囲気の抜けを作っています。 最後はこちら、平面的な形が他の作品と別の趣になっています。細い線で重ねられた円たちが雨打つ水面の波紋に見えます。次々と水滴が落ちて波紋が発生しては打ち消されていく様子が動画のように想像できました。   私がお金を貯めて古賀さんの作品を購入できるようになる日まで、絶対に制作を続けていてほしい…と願うほど心を掴まれました。 思えば、私がこれまでの人生で自分でお金を出して買いたいと思って買ってきた作品は何故か絵画ではなくガラス工芸や陶磁器でした。学生の身分で1点に1~2万円出したレベルでしたが、色や光沢の質感が美しくて感動した工芸品にお金を出して自分の日々の中に持ち帰ることに、喜び以外の何も感じませんでした。絵を見るのが好きだけれど、何故買いたいのは工芸作品なのだろう。   古賀さんのホームページもご紹介。 http://msykoga.com/ 作品が繊細で美しすぎてなんだか泣きそうになりました。曲線、色彩、植物…。2012年、2014年の作品が特にたまらなく好きです。   古賀さんの制作を応援するためにも、家にきちんと置き場所をつくってぜひ作品を購入させていただきたいと思いました。   (清水悠子)

作家リレーインタビュー第7弾は、松尾ほなみさんから紹介いただいた、長田沙央梨さんです。 長田沙央梨ウェブサイト:https://www.saorinagata.net/ 長田さんは、アクセサリーデザインの専門学校を卒業後、愛知県立芸術大学の彫刻専攻、東京芸術大学大学院の彫刻専攻を修了し、現在は愛知県立芸術大学で彫刻専攻の教育研究指導員をされています。 普段は名古屋を拠点に活動されていますが、ちょうど東京に展示を見に来る予定があったということで、時間を割いていただき、インタビューさせていただきました。事前に作品を直に拝見することはできなかったので、ポートフォリオを送っていただき、HPや過去展示の論評を見ながらのインタビューとなりました。   河口:今日は貴重なお時間割いていただいてありがとうございます。早速ですがインタビューに入りたいと思います。近年の制作のテーマについてお聞かせいただけますか。 長田:植物や動物のリズム、形の形態の面白さに魅力を感じています。私は平面作品と立体作品を行き来しているので、彫刻で表したい形の面白さと同時に、色のリズムも最近は重要なテーマとなってきています。 身近な風景の中にある植物、動物、そういったものの中から面白いと思った形を選び取って、自分の中で心地よいリズムに変換していくことで作品を生んでいく。それがテーマといえるか分からないですが、気を遣っている部分です。   ―:「心地いい」というのは、ひとつキーワードになっているのかなと思います。それは自分自身が選び取るものだけではなく、見る人に対しても感じて欲しい部分ですか? 長田:そうですね。攻撃性や社会性といった重いテーマは私の中には全くなくて、初めて私の作品を見る人が、空気が和らいでいくような、透明感のあるような、くもりがない、安らぎのある空気感を作りたいと思います。   ―:ポートフォリオを送っていただいて、展示空間構成をすごく考えられていると感じました。作品同士が会話しているといいますか。作品は、一個単位で物事を考えているのでしょうか。あるいは、ひとつの世界感をつくるための付属物として考えてらっしゃるのですか。 作品として自立するということはもちろんなので、個別にも考えます。しかし作品同士がどう響き合って、そのまわりの空気がどう動いていくか、空間が私にとっては大事になってきます。ですから、会場の下見は欠かせないですし、その会場に合う作品にしたいので、毎回ほぼ新作になってしまうんですよね。なかなか過去作が出てこないです。ホワイトキューブ、茶室、民家、いろんな場所で展示をやってきましたが、ごたいついた空間、生活環のある空間こそやりがいがあると感じています。そういうところで挑戦させてもらって、難しくはあるけれども、日常にすっと溶け込んでいくような空間を作りたいという気持ちがあります。ホワイトキューブはやりやすいけれど、非日常的な空間が出来上がってしまっているので、日常に近い空間でいかに作品を作るかということが最近の私の興味のあるところです。   ―:なるほど。そうなった場合、少し話は現実的なところに向かいますが、作品を買いたい人がいた場合どのようにするのでしょうか。「その場」のための作品ということに非常に重きを置かれている中で作品は売り物になるのでしょうか。あるいは、ここで永久展示するものとして考えていらっしゃるのか。 買いたいという方もいらっしゃって、中には譲った作品もありますが、やはりその場所で見て欲しいという気持ちが強いです。実際に、制作した現地でそのまま引き取っていただいた作品もあります。 全く違う場所で展示したいから購入させてほしい、と言われた場合は、その方がどういった風に私の作品を捉えてくれているかをお話しさせていただいています。おこがましいようですが、ひとつ返事で、売ります、という風にはいかないです。欲しいと言ってくださる気持ちは本当にありがたいので、その方と会話をして、作品を理解してくださる方であればいいところに飾ってくれるだろうと思って作品を託しています。   ―:学部時代は松かさの片鱗で工業製品を部分的に覆う作品を作っていらしゃったようですね。近年の作品とは随分傾向が異なるように感じるのですが、どのような経過をたどって今の作品があるのでしょうか。 長田:松かさは学部卒業時に大きい作品を出して、修了制作でも大きい鳥を作成したのが最後の作品です。 松かさを使って制作していたのは、愛知県芸の環境が大きいです。そこら辺に松かさが落ちていて、雨が降ると傘を閉じて、晴れると開いたりするんですよ。それは空気の乾燥度合で繊維がひっぱられて変化しているんですけど、呼吸しているように思えて、その植物のエネルギーに興味が湧いてきて、題材として使えないかと考えたんです。「棲みつくpine cone」というタイトルを最初つけたんですが、蜘蛛とか虫が石の下に住み着いているように、一度人の手を離れた道具や既製品に、生命力のあるものが住み着いているイメージでした。その後、「鳥の羽根は魚の鱗が進化したもの」という話を聞き、松かさの鱗片で鳥を作ってみたいなぁと思い、最終的には松かさだけを素材として使用して、鳥という具体化されたモチーフを作る方へと向かっていきました。 近年の作品ということに関しては、とにかく何か変えたかったんですね。同じ場所にいると、これでいいだろう、という風に落ち着いてしまう気がして。ものづくりの出発点として、私はジュエリーを最初専門学校で学んでいて、身近な植物や動物をモチーフにしていました。またそういうことをやりたい気持ちを持ちつつも、彫刻を学ぶとなかなかそこに戻れない自分がいて、どうしたら、がらっと気持ちを変えて制作できるか、と思って、愛知でこもっていた環境から、一変して大学院は東京芸大の彫刻科へと進みました。学校を変えて、仲間も変えて、今の作品はそこから、です。   ―:環境の変化というのは大きな転機だったんですね。 長田:はい、また転機となった作品という意味では、その時期に「ぶぶんのかたち」という陶器の作品を作り始めたんです。 ―:なぜ陶という素材へ転換されたのですか。 長田:それまで大学で木彫、石彫、金属、それから松ぼっくり(笑)など、様々な素材に触れてきました。石や木には、それ自体に生命力がもともとある。それらで立体作品を作るというのは、カービング、削っていく作業なんです。それよりも量をつけていって形が生まれてくる方がイメージしやすいですね。肉をつけていくような感覚に近くて、作っていくごとに生命力を感じられるというか。手で触れている、というのは重要で、あったかい素材なんですよね。 また、それまで専門学校や大学学部では、素材の色を活かすことをしてきて色を使うことを我慢している面もありました。陶で形成したものに、釉薬で色を塗るという作業を通して、形に加えて色の組み合わせが作品に加わり、心地よいリズム作る、という自分がやりたかったことに作品が繋がっていきました。 「ぶぶんのかたち」は小さな作品ですが、形・色・に加えてサイズという要素も加わり、日常の中で見つけた面白い形を抽象化させる作業でした。専門学生時代ジュエリーの作品で具体的なものを作成していたのを、学部時代はコンセプトの強い作品を作成していて、そこから「ぶぶんのかたち」の制作を通して一度作品を抽象化させる行為を通して、今、もう一度今の植物が主にモチーフとなる具体作品だけれども単純な形に置き換える、という作風になりました。 素材という点では、油彩も扱うようになりました。平面作品も作っていて、最初はアクリルだったんですが、この2年くらいで油彩を始めるようになりました。油の質感ってメディウムとして自立してきて、彫刻している感覚に近いんです。盛り上げるとか、筆のストロークで表情が残ってくる、というのがしっくりきて、粘土に触るような感覚に近い。手跡が分かって魅力的な素材だと思います。   ―:これまでに話の中では出てきましたが、美大入学前は専門学校でアクセサリーデザインを学ばれていますね。どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 長田:専門学生でジュエリーをやっていたころは、ジュエリーデザイナーになりたいなという夢を持っていました。でも専門学校の授業で、石膏像や鳥の剥製を描いたり、デッサンをやった時に、それが美術系のはじめての勉強で、すごく楽しかったんです。デッサンをもっとしてみたい、というのが最初のきっかけで、就職するより、もっと美術の本格的なことを基礎から学びたいと思い、美大へ行くことにしました。そこから彫刻を選んだのは、ジュエリーも小さい彫刻なんです。蝋を削って、型を業者の人に鋳造してもらって金属で戻ってくる。掘ったり削ったりする作業が彫刻的でその感覚がすごく楽しいと思っていたので、いろんな立体作品に触れることがしてみたいと思ったからです。   ―:美大でも工芸科はあるけど、そこを選ばずに彫刻という選択をしたのは、アクセサリーを作っている時から、ジュエリーを彫刻作品として捉えていた、ということなんですね。 長田:はい、あとは、私はスポーツが大好きで、彫刻ってすごく大変なんです。美術予備校に見学に行ったときに、彫刻の学生が腕まくりして額にタオルまいたりしている、それがかっこよくて、私もあんな風に過ごしたいという憧れもありました(笑) ジュエリー制作では、もちろん体力は必要なんですが、ひとつの机で終わる作業をしていたので、全身を使って、というのがすごく新鮮でキラキラ見えたんです。   ―:アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか? 長田:皆川明さんというファッションデザイナーです。ミナぺルホネン(http://www.mina-perhonen.jp/)というブランドを作られている方で、その服に出会ったのが18くらいの時でした。到底買えるような値段ではなかったんですが、古着屋で見つけて、ちょっと値が張ったけど買いました。 ミナペルホネンで一番好きなのが店舗です。お店の構成の仕方がほんとに素敵で、見せ方ひとつひとつ、照明ひとつとっても芸術的。ラックもすべて手作りだったりとか、商品である服と同じような感覚で店舗も隅々まで構成されていて、それがため息がでるほどすごいなと常々思っています。 生活というものをすごく考えていて、どうしたら心地のいい空間でお客さんが作品(商品)を見てくれるか、ということにすごく配慮されていて、店舗ごとによって全然内装は違うけれど、すべての店舗で追及されています。お店だけ見に行って、元気をもらいに行ったりします。   そこから影響を受けている私としては、簡単な作品でありたい、と思います。展示に何度も足を運んでくださり、作品を好きだと言ってくださる方々の中には、ファッションが好きだったり、何かしらこだわりのある人が多くいらっしゃるので、私のこだわりを汲んでもらっているとは感じています。 私は美術がすごく好きで、現代美術も西洋美術も、日本美術も東洋美術もどの時代のどの分野も、それぞれ非常に魅力的に感じます。そういう意味で私自身も、ニュートラルでいたいと思っています。自分がやれることと自分が見ていいな、と思うことって違っていて、自分がやれることは、マジョリティとマイノリティーの中間。アートという枠にはめずに広く見た時の、現代美術のように楽しむためにはある程度の知識を必要とするマイノリティーなもの、それからジュエリーといったメジャーで分かりやいもの、両方勉強してきた身としては、真ん中にいたいと思います。 たとえ見る人の2割だったとしても気付いてくれる人は私のこだわりを汲み取ってくれる、一方で、子供たちやお年寄りの方、美術のことを何も知らない人も、素直に無邪気に楽しんでくれる、というのが目標地点なので、そこに近づきたいです。   ―:現在は、ジュエリーから彫刻、絵画と様々な形で作品を展開されています。それぞれどのように使い分けているのでしょうか。 長田:同じ比率で考えています。立体を引き立たせるための絵画でもないし、絵画を引き立たせるための立体でもない。お互いが自立していてほしいですし、同じ空間で、同じ比率で感じて欲しいです。 自分が彫刻家なのかは分からないですね、美術家ではあるけれども。 空間をつくる。それが一番にあって、それに必要なことがたまたま立体だろうとレリーフだろうと平面だろうと、それはたまたまそれが良かったというだけのことです。私の作品を見た人が平面と捉えるのか、立体と捉えるのか、人によって違うと思うけど、自由に考えてもらえればいいと思います。   ―:ジュエリーとなると、途端に用途のあるものになると思うんですが。それについてはいかがですか? 長田:そうですね、用途のある、商業的なものを最初学んでそこからスパっと立ち退いて、今は用途の無いものを作っています。最近はアクセサリーは作っていないです。 ジュエリーは値段設定がきっちり見えてくるんです。だから作りやすいし、売りやすい。でも自分がものを作るのは、そういうところとは離れていて、自分の心地よさ、自分が見たいものに対しての制作過程の楽しさ、周りから自由に評価いただけること、それらがモチベーションに繋がったりするので、今は値段のことは考えていたくないです。あとから、欲しいと言われたら値段はつけるけれど、今は別々ものとして考えてやっています。 とはいっても、作家としてやってくには作品でお金を得ていくことは必要なので、もっと柔軟に商業的な意味あいを持たせてもいいとは思うんですが。まだそこに気持ちがいかないので、今は商業的な考えは遮断しています。でもきっと自分の中で、どちらもやりたくなる時期が、そのうち自然とやってくるのだと思います。(笑)   ―:今後どのような作品展開を考えていらっしゃいますか。もしくは今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 長田:「自分が見たいもの」に近づくということ。見たい風景があって、なにかが一緒にいてくれている気がするという気配、怖い意味ではなくて、ユーモラスな存在。モチーフが日常にいてくれているような、ホッとするような感覚を表現しようとしています。 彫刻を勉強し始めた頃は、制作における好きなものと、オシャレ等の楽しみに対する好きが分断していたのが最近は近づいてきている感じがします。日常がスムーズに流れて、作っていても違和感がなくなってきました。いい流れできていると思うので、作品制作はこのまま、続いていけたらいいのかなという気がしています。 今も研究指導員という立場で大学にはいますが、大学から卒業した今、自分の作品を見返していくと、アクセサリーを作っていた頃がなんのしがらみもなく評価も気にしていなくて、そこにもう一度戻ってきている感じがあります。最近の作品は溶接など、専門学校時代に使っていた技法も組み合わせて使っています。一巡りして原点に戻ってこられた感じがするので、これから自分の見たいものを具体的に作品として増やしていくことが、まずはやっていきたいことです。 ―:いろいろなことを学んできていらっしゃるので、これからの作品は、より面白く展開していきそうです。今回は日程上作品見てからのインタビューが出来ませんでしたが、名古屋も東京から近いので、是非展示の際に伺いたいと思います。本日はありがとうございました。  

作家リレーインタビュー第6弾は、福井伸実さんから紹介いただきました、藤川さきさんです。 藤川さんは2013年に多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。国内の展覧会や海外のアートフェア等で作品を発表する他、イラストレーターとしても活動されています。 藤川さきウェブサイト   今回は、清澄白河のondo STAY&EXHIBITION(以下ondo)で開催されていた「未知のためのエスキース」展を見に行ってからのインタビューとなりました。 【展示風景】 そして、今回もアトリエにお邪魔させていただきました。 河口:はじめまして。藤川さんは、過去に多くの展示をされているので、そのステートメントやメディア露出した際の発言等目を通させていただきました。今日は、改めて藤川さんの言葉で作品についてお聞きしたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。 藤川:よろしくお願いします。   ―:まず、近年の制作のテーマについて教えてください。 藤川:テーマというよりは、作品制作に対する姿勢になりますが、いかに人と関わりながら自分の好きなことをやっていくか、ということを大切にしています。自分が出したものが人の目にどう映っているか。 例えこっちがタイトルやステートメントで方向づけしても、自分が考えていたことと全然違う意味で捉える人がいたり、解釈の仕方が違うじゃないですか。その時々で人の反応がみんな違うっていうのが結構面白くて、自分が今まで生きてきた中で新しいものを取り入れて変わってきた、というのと同じ状況が人に起きているのを見るのが楽しくて、そこからまた何かを得て、作品を作っていく、人の反応からまた新しい作品ができる。その循環を楽しんでいます。   ―:人の反応によって自分自身が変化させられる? 藤川:はい。私はもともとただ絵がすごく好きっていう理由だけで美術の道をスタートしました。描くことが好きで、それの意味付けを意外と考えてこなかったんです。大学3年時に村上隆さん主催のGEISAIに出展する機会をいただいたことが作家として自覚的に活動し始めた時期ですが、描いたものを展示できるのは嬉しいし、絵を描くのが好きだから、という理由だけで展示をやっていたこともあって、展示の内容とか決まってないし、自分ひとりのなかで完結できる内容を考えていました。世の中と関わる手段ではなく、ただ楽しかった。 でも、卒業してから、同じことを繰り返していていると、飽きちゃうんです。私の中の楽しさは描くことで頭の中が更新されていって、また新しいことを描きたくなるという状況になることで、それが理想的な環境だと思っています。そうすると、ひとりよがりなことを描いているのは、絵の楽しさとしても行き詰ってくる。 いつも中心にあるのは、楽しいかどうか。自分にとって、自分が更新されていく嬉しさがあるかどうか。その元から変わらない、「ものを作るのが好きであること」を中心にちょっとずつ広がっているのがここ最近です。   ―:今回の展示について、すみません、実は展示名を「未来のためのエスキース」だと勘違いしたまま作品を見ていたんです。それで帰りの電車でフライヤーを改めて眺めていたら、あれ、「未知のためのエスキース」だぞ、と。それで、藤川さんにとって未知ってなんなんだろう?と思って。未知は未知でしかないのかもしれませんが。 藤川:それは、未来でもあるといえばあるんですけど、更新されていくことがメインテーマです。 この展示がそもそも、ondoの方で一冊本を作ってくれることになっていたんです。その本を書くために今回80枚くらいドローイングを描いて、最終的にどんなものが見えてくるか、どんなものが作りたくなるか、それが未知だったんです。全部のドローイングを描いたうえで、最終的にできあがったのが、80号の作品です(展示風景写真2枚目)。最初の段階では、まったく何ができるか分かっていなくて、それがひとつ未知の対象だったんです。 1日1枚以上という決まりで強制的にドローイングを描いていたので、日々何が起きるか分からない、小さい出来事も大きい出来事も含めて世の中の変わっていく、いろんなパーツが集まって更新されていくことを展示全体を通して表現したかったんです。   ―:そうなんですね。あえての質問をさせていただきますが、「未知」ってありえるんでしょうか。例えば何か実験する人も先に仮定をしてからそれを検証していくじゃないですか。ほんとうの未知、何も分からないことに向かっていくことなんてできないんじゃないですか?もともと答えや道筋は持って制作にあたられていたのではないですか? 藤川:それはそうかもしれません。今を継続しながら前へ進んでいくこと。見たことのない方向に進んでいく。絵を描くための機会として、ドローイングを通して生まれでたパーツをどう解釈して最終的に絵として出すか。毎日つらくてもドローイングを描いているとほとんど無意識のようなものも生まれるんですよ。それらを一個に集約するときにどういう絵になるか。分からないけど見てみたいからやってみよう。そういう意味での未知でした。ある意味ギャラリー側も賭けの遊びにのってくれたんです。 最終的に出来上がった絵のタイトルが「教えてくれなくてもいいから生きさせて」でした。そのタイトルがある意味、当初未知として捉えていたことへの答えでした。 毎日、自分が世の中に関わること、何で人は落ち込んで、誰が人の「正しい」気分を壊すのか、生活ってカオスじゃないですか。そういった部分も含めて、生活を作っている強さみたいな、人は生きていて、日々更新されていって、という状況を一枚の絵に強さとして描きたいと思いました。   ―:藤川さんの作品のタイトルって、切実なものが多くあったりするけれど、作品自体は暗くはないじゃないですか。人物からも切実な感情を感じないですし。そこに関して意識されている部分はあるのですか? 藤川:人はパーツなので、パーツの仕事をしてもらいたいんです。人に限らず絵に登場するモチーフ全てですが。それが笑っていた方がいい場合は笑わせますが、人物の笑顔や、怒りの表情ってすごく強いんですよ。人が笑ってる絵になっちゃう。絵の中の登場者は皆、劇のひとつの役割に過ぎなくて、主題に沿って演じさせているんです。   ―:あぁ、「劇」という言葉は藤川さんの作品を見るのに非常に納得感があります。おもしろい。 ところで、話を、もう少しコンセプトの方に戻していくと、自分が「更新」されていく、という言葉を非常に強調されているように思います。外部と関わることで自分の概念が覆されていく、という循環の中で作品を制作されているということですが、外からの刺激としては何の影響が一番大きいのでしょうか? 藤川:ネットを使う世代なので、今しかない、これから廃れていくかもしれないような、それこそツイッターとかSNSが好きです。こぼれ出たような感情の強いもの、人の生活にもうちょっと迫ったような、心境、環境が及ぼしている変化を見るのが好きなんです。 twitterで100人をフォローしているとしたら、ここからみた100人の現代を見れているわけじゃないですか。それって積み重ねていくと、世界に近くなる。 人の色んな部分を見ることが好きで、私、あんまり言ったことないですが、ツイッターアカウント10個以上持ってるんですよ。言ってしまえば根暗な趣味なんですが、誰かの考えてる公式情報も大事にだけれども、そこに至るまで何が起因してそこに至っているのかをすごく調べたくなる。自分が変わるきっかけにもなるだろうなと思うと興味があってめちゃくちゃみます。   ―:へー、すごい。私は逆でツイッター全然使えないんですよね。自分の私的な痕跡を読まれるのも嫌いだし、だから人のも見たくないんです。ツイッターは情報量が多いというか、更新度が高いからリアルタイムで追いつけないですし。 藤川:私はリアルタイムを追うことが単純に好きなんです。ネット上にはおどろおどろしい感情がいっぱいあるじゃないですか。それがいい悪いではなくて、単純にウォッチすることが面白いです。見れば見るほど、凝縮された世界になってるから。絵を描くときも、様々な要素で散らばっている世界を一枚の絵に凝縮するので、要素が散らばっている状況を見るのが好きで制作のヒントになるんです。そういったものをヒントに世界を再構築して作品としてアウトプットし、人の反応を実験的に見る。人が関わる循環を自分の中で作れて納得できている状況の方が制作に対しても健康的になれるんです。   ―:インタビューの冒頭で、ひとりよがりな制作から人の反応を受けて人と関わりながら自身が更新されていく形へと変化した、という話がありましたが、具体的にその転機となるようなことはあったのですか? 藤川:ふたつあって、ひとつはd-laboミッドタウンというイベントスペースで行った砂絵パフォーマンスです。もうひとつは、作家としての転機でondoで行った展示ですね。 d-laboは大学卒業2年目くらいの時期に自分の作品について90分話す時間をいただいたのですが、そのうち30分を使って、お客さんの言葉に応えてその場で砂絵を作っていくパフォーマンスをしたんです。そうすると、当たり前ですが、確実に自分が作りたい、作ろうと思っていた方向は壊される。他人との関わりの中で自分が否が応でも変化されるっていう状況を初めて体験して、作品に対する考え方は変わりました。 ondoでの展示は、作家としての振舞い方、作家としての人格の形成に深く関わっていると感じています。初めて個展をやらせていただいたのが去年の夏で、今回の「未知のためのエスキース」展もそうですが、毎回展示の前にしっかりミーティングをするんです。展示を行うことの意味、今自分が最も大切に考えていることが明確に話せるようになりました。   ―:そうなんですね、ネット上に出ている記事や展示コンセプトから、制作は日常の生活からヒントを得ているという印象を受けましたが、アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか? 藤川:絵として目に美味しい作家としては、超メジャーですがエゴン・シーレ、それから小山登美夫ギャラリー所属の長井朋子さん、マルレーネ・デュマス、エイドリアン・ジーニーが好きです。 一方で、絵から遠ざかることが必要、本質的には絵の前にいることだけが絵を描いている時間ではないと考えていて、音楽を聴いたり、本を読んだり、博物館へ行く、いろんな情報に触れる時間も大切にしています。もちろん作品は描くことでしか生まれないんですが、そうやって全然関係ないことをしてるときに、頭の部分を育てていると考えると、実質絵を描いているというか、絵を描いてるよりも描いていると感じています。   ―:藤川さんは大変多作で、これまでの流れから日々制作していく中で新たに自分自身を更新しながら制作を続けていかれるのだろうと想像しますが、今後の展開について何か考えていらっしゃることはありますか。 藤川:絵は主体になると思います。まだやってないことがいっぱいありますから。ただ、絵を描きたいのではなく、作りたいものから逆算していくので、その表現手法は多様になっていくと思いますし、今も石、鏡、粘土、様々な素材で実験しています。映像が必要ならば、映像を扱うようになるのかもしれません。 ただ、言えるのは、否が応でも人は人の作った社会に住んでいますし、私は人の作っている世界に興味があるので、日々更新されていくものを追いながら、自分のなかでかみ砕いて、それを作品にしたりすることで、見た人がどう反応して、自分、それから見てくださった人自身がどう更新されていくか、そこを大事にしながら制作を続けていきたいと思います。   ―:お話しを伺っていて、ものすごく技術的な工夫をされているし、実際に作品を見ると絵のタッチが非常に面白くて、奥深いんですよね。ネットで最初に作品を見た時との印象の違いが大きく、驚きました。これから見られる方は、ぜひ現物を見ていただけたら、嬉しいです。  実は、記事にまとめるにあたって残念ながらお話の大部分を削ってしまいましたが、インタビュー自体は3時間近くも楽しくお話しさせていただきました。 本当にありがとうございました。

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