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Column

時間のかたち 見崎彰広 新作展 こんにちは。清水です。 今回は、一風変わった版画・鉛筆ドローイング作家の見崎彰広さんをご紹介したいと思います。   8月4日、日本橋の不忍画廊へ「時間のかたち 見崎彰広 新作展」を見に行ってきました。 見崎彰広さんは東京芸大の日本画専攻を卒業された後、リトグラフという手法の版画作品と、鉛筆によるドローイング作品とを並行して制作されています。 私が美術予備校、ふなばし美術学院の日本画科に所属していた頃、見崎さんは日本画科の学生講師をされていました。   他にあまり類を見ない独特の作風がとても面白いので、1人でも多くの方にぜひ見ていただきたい。 黒。はっきりとした黒が印象的かと思います。 基本的にモノトーンなので、人によっては地味だな、暗いな、と感じられるかもしれません。しかしその制作スタイルやスタンスがなんとも面白い。 私が今回の展示でまず感心して釘付けになってしまったのがこちらの作品。 何に惚れ惚れしてしまったのかというと…こちらの作品、なんと鉛筆のみで描かれているんです。 デジタルイラストレーションなんかではクリック1つで塗れてしまうような黒のベタ塗りですが、この漆黒の面を手作業で鉛筆でこのクオリティに仕上げている仕事の精度の高さ、ストイックさに思わず笑みがこぼれてしまいます。 絵の端のキレも素晴らしいです。さすがにここはマスキング(紙の地のまま綺麗に残したいところをテープや紙を貼って保護しておく処理)を行っているそう。 天使がモチーフのこちらの作品も鉛筆によるドローイング。どんな手つきで描かれているのか想像がつかない点描のようなホワッとしたタッチで、中央の天使が光っているように見えます。   こちらの一連の鉛筆ドローイングについて、黒い面の精度があまりに高いので「(黒いところの作業は)気が狂いそうですね」とお話ししたところ、見崎さんとしては中央のモチーフ部分に最も神経を使う、とのことでした。こうして画面の多くを色面で構成していると鑑賞者の見るべきところはモチーフ描写の部分だけになるからだそうです。なるほど。 黒い部分は鉛筆の動きを縦向きに統一することで、基本的に上からあたる光でタッチの筋が見えにくいように工夫されているそう。 惚れ惚れします、ホント。 展示の告知の際に見崎さんがこちらの『シュート』という作品を引用して「昔バスケ部だった方、ぜひ見にいらして下さい。私ひとりでディフェンスしております。」と書かれていたのが印象的で面白かったです。作品も魅力的ですが、見崎さん自身が落ち着いていてユーモラスで話していてとても面白い方です。 小学生頃から誰しもが慣れ親しむような、鉛筆という何ら特別ではない道具で表現をしていきたいと考えていらっしゃるそう。とあるテレビゲームでいうところの初期装備の武器、木の棒でずっと冒険を進めていくような感覚。そんなところに鉛筆表現の面白さを感じているそうです。 言ってしまえばただの鉛筆が、技術次第でここまでのクオリティの表現になる。面白いですね…。   ここまでご紹介した額装なしの木製パネルの作品は全て鉛筆ドローイングですが、ここからは版画作品のご紹介。記事の冒頭の方の写真のものも、額がある作品はリトグラフの版画作品です。 リトグラフについて簡単にご紹介します。 版画には凸版画、凹版画など使用する版の構造によっていくつか種類がありますが、リトグラフは「平版画」と呼ばれる版種です。木の板を削って残った出っ張りにインクをつける木版画のような凸版、銅板に傷をつけた凹みにインクをつめる銅版画のような凹版、ステンシルのように穴の開いた版の上から塗ったインクを下に落とすシルクスクリーンなどの孔版、とありますが、平版は版に立体的な手は加えず、簡単に言えば水と油が互いをはじき合う性質を利用した版画技法です。 元々は石板を用いたことがリトグラフという名前の語源となっています。現代ではアルミ板にクレヨンや油性ボールペンなどの油性の画材で絵を描き、色々加工を加えたあと版に水を塗ると、水がはじかれた油性の描画部分にだけローラーで油性インクを乗せることができ、それを紙に押し当てることでイメージを刷ることができます。他の版画と異なり、彫ったりする版画特有の技術を必要とせずに絵描きが絵を描いたそのままのタッチを版画にすることができます。 カラフルに多色のインクも使うことができるリトグラフですが、見崎さんは黒のみを使って鉛筆ドローイングと見た目の印象が近しい作品を制作されています。   私がご紹介したいのはこちらの雪景色の作品。 雪が降り積もる窓辺のイメージで、可愛らしい画面です。こちら、色んな角度からじっと観察してみると、黒く見えるインクの中に少しだけ種類の違いがあるのが見えました。 写真で伝わるでしょうか。右上の光が当たっている部分をよく見ると、外側の窓枠の黒は青っぽく光を反射し、窓の中の黒は照りの少ない赤っぽい?漆黒で、その2種類の黒に境目があることが分かります。 黒いインクを置く前に工夫を加えてあるそうです。物質の作品ならではの生で見た質感の深さ、そんな細かな工夫を発見できたことが嬉しかったり楽しかったり。   シンプルな白黒の画面だからこそ、その内容にはとてもこだわって丁寧に制作されているのが印象的です。シンプルだけれど一つ一つの作品に重みと充実感があります。 黒の中にこんなにもいろんな表情があるんですね…。愛着を感じられます。 ボローニャ国際絵本原画展に入選もされている見崎さんは詩とドローイングで構成した小さな本も制作・販売されていて、そちらもちょっと切ない雰囲気が魅力的です。 今後の活動もとても楽しみです。 (清水悠子)   ーーーーーーーーーー 見崎さんは現在、9月25日まで兵庫県のグループ展に参加されているそうです。お近くに行かれる方はぜひチェックしてみてくださいね。   G.araiの絵本原画展 「物語のかけら」 2018年9月20日(木)~9月25日(火) 11:00~18:00(最終日17:00) ギャラリーアライ www.gallery-arai.com/

熊谷市・熊谷市教育委員会協力のもと、10月27日(土)に熊谷市屋外彫刻おそうじ体験を開催します。 ちょっと敷居の高い芸術品、美術館だと絶対に触れてはいけません。でも、それで興味を持つってむずかしい。触りながら硬さ、大きさ、個体別のさび具合を確認する、作者の細やかな気遣いに気付く。彫刻作品は触ることで見るよりも多くのことを知ることができます。おそうじを通して、彫刻作品を身近に感じ、自分の住むまちの財産として捉えていっていただけるようになれば幸いです。 おそうじ体験のお申込みは、こちらを印刷のうえ、FAXでお送りいただくか、メールにてお申し込みください。 おそうじ後は星渓園に移動し、当日を振り返ります。希望者はお茶会体験もできます。  

6月のアートコラムでは、欧州美術財団(TEFAF)のレポートを引用しながら世界のアートマーケットについて概要を見た。その際に日本についての記述の少なさを述べたが、今回はTEFAFレポート同様バブル期についてであるが、日本について数ページに渡って興味深い記述されていたので、Art BaselとUBSによる「The Art Market 2018」を見てみる。アートマーケットレポートは各団体のウェブサイトから誰でもダウンロードすることができるので、読んでみると面白いかもしれない。TEFAFの方がアートについて詳細に、バーゼルの方がアートと経済を絡めて読みやすいアウトプットの仕方をしている印象である。 TEFAF Art Basel   さて、アートコレクターと言った時にみなさんはどういった人を想像するだろうか。巷には数千円から購入できるアートもあるわけであるが(そしてそれらが後に大きな価値を持つことも稀にある)、コレクターともなると、なんとなく、とんでもない桁の金額をアートを投入していそうである。彼らは何を目的に、どのようなアート作品を購入しているのだろうか。 Art Baselのレポートによると、 富裕層の35%はアートコレクターとして活動的であり、そのうち93%が500万未満のアートを最も頻繁に購入し、1%未満が1億円以上の作品を購入する。またコレクターのうち32%のみのコレクターが、購入したアートワークの価格が高騰することによるリターンを期待すると応え、86%のコレクターがコレクションの中から作品を売ったことがないと回答した とある。 富裕層の定義についてはレポートで明記されていないものの、近年のアートの価格高騰を見るに、投機目的の人が多いのだろうと想像していたが、リターンを期待する人が3割程度というのは、予想以上に低かった。数千万円以上の作品は投機目的に購入されることも多いと聞いたことがあるが、アートを所有すること、それ自体に価値を置く人が多いのだろう。そして大規模なコレクターであるほど、コレクションを多くの人に見てもらうために美術館に貸し出したり、自ら美術館を建設してコレクションを公開する。 そんなアートコレクターはどのようなアートを購入するのだろうか。過去の巨匠の作品の価格は安定して高価であるが、Art Baselのレポートによると、過去2年間、購入されたアート作品の85%がアメリカ出身の、もしくはアメリカ国内で活動するアーティストのもので、84%が生きているアーティストのものであった。 これと対照的であったのが、バブル期の日本である。レポート原文をそのまま引用すると、私自身があたかも日本を批判するようであるが、そうではない。現在国際的に日本がこういった評価をされてしまっていることは残念だが、これを事実と認識した上で今後どうしていくか、という点を考えていきたいのである。 ここからは原文(つたない訳は河口)をそのまま載せる。 1990年には、日本がアジア圏では最もアートを購入する国であり、同時にイギリス、アメリカを抜いて世界のアート輸入量の30%を占めるアート輸入最大国となった。この時点での中国(香港を含む)の輸入量は1%未満であった。しかし、これは相当に内向きな流れであった。というのも、当時の日本のアート輸出量は世界の0.1%に満たなかったからである。 1980年代の悪名高いアートマーケットバブルは、その後10年ほどに渡る印象派絵画を中心とした日本の強い購買によってさらに悪化した。 ・・・ 日本人の余剰資金は、ハイリスクな資金調達とともに、時には美術資産を使った違法な取引や慣行など、新規購入者の一部による不十分な知識によってもたらされた。その結果、アート価格は急激に上昇し、往々にして平凡な作品に莫大な額が払われた。 (当時の日本の一部の企業は、借り入れ、貸付、場合によってはマネーロンダリング、現金脱税の隠蔽に、評価が曖昧であるアートを使用していたとの報告がされている。) 後半の部分は、多くの日本企業が名画をオークションで競り落とし、バブル崩壊とともにそれらを手放したことが批判されたことは多くの人の知るところである。 日本人が印象派を非常に好むのは、今でも美術館の大規模巡回展示を見れば分かる話であるが、近年のアートコレクターが現存するアーティストを好んで購入することや、これらレポートを読んだうえで思い出すのは、MoMAの「我々は歴史に無関心であり、歴史は我々の活動の副産物であるという前提から始まっている」というMoMAが自らの果たすべき役割についての言葉である。   このように過去の出来事について散々に書かれている日本である。少々尻切れとんぼだが、これからのアート界における日本の立ち位置について、希望を込めて次回のアートコラムに書きたいと思う。

8月4、5日の土日に大子アーティスト・イン・レジデンス(以下、通称DAIR)のオープニングイベントが開催されました。 DAIRは町が寄附を受け所有していた古民家を改装したものです。4日には、DAIRの設計を担当した㈱バスクデザインの笠島俊一さん、そして今回プロジェクトの運営面で関わっている弊社河口、それから本プロジェクトの実施に関わってくださる方々のトークリレーがありました。 笠島さんのトークでは、過去から現代までの巨匠のアトリエの資料を見ながら、アーティストが自由な発想で使えると同時に、地域に開かれた場になるよう設計するにあたって工夫された点や、増改築を繰り返した古民家をまとまりのあるひとつの空間に仕上げるにあたって苦労した点を伺いました。 2階の廊下が簀子になっている独特の作り、1階2階をロールのように均一な高さで建築基準いっぱいまで設けられている窓、それぞれにもともとの家の作りを考慮した上での設計です。ここに記すのはもったいない話なので、ぜひ大子町まで遊びに来てください。 続いて河口のトークでは、今回のレジデンスで意識していること、また地域でアートを行うにあたって地元の方々にお願いしたいこと等、軽く30分程でお話しさせていただきました。滞在作家は1-3か月を基本に滞在し、自身の制作活動とともに地域との交流を行います。アートとは何か、と一言で語ることは難しいですが、偏りなく様々なメディアを扱う作家に滞在してもらうことで、今後地元住民の方々には、アートの様々な側面を見ていただき、多くの発見をもたらすことができればと思っています。 あまり運営側の話をするよりは、滞在している作家に自らの活動を語ってもらう方が良いだろうということで、15分ずつの持ち時間で滞在中のお二人にバトンタッチさせていただきました。滞在作家に関しては、滞在期間終了後に各作家ごとにアーカイブ記事を作成しますので、簡単に写真で当日の様子を振り返ります。 7月21日から滞在している山本愛子さんは、これまでの滞在期間の過ごし方、滞在中のプランなどについてお話ししました。今回オープニングイベントを迎えるにあたって制作中の作品を空間をうまく使って展示してくれ、華やかな会場作りにも一役買ってくれました。 7月31日から滞在している小久江峻さんは、すでに積極的に自身の作品のひとつである紙芝居公演を町内で行っており、作品を用いながら自身の活動を紹介し、最後はこれも自身で制作した楽曲をギターで演奏し、トークを締めてくれました。 その後休憩を挟んだオープニングセレモニーではまちづくり課の方、それから町議会、茨城県北芸術祭振興局、大子アートコミュニティの方からのご挨拶がありました。このプロジェクトを実施するにあたって、様々な方のご尽力があることに感謝します。 親睦会では大子の特産品が並び、和気あいあいとした中で普段お話しできない住民の方々、近隣の役場の方、アート関係者の方とお話しでき、子供たちもたらふく食べているようで良かったです。難しいことを抜きに関わり合えるのは良いことです。   5日のオープンアトリエでは、小久江さんが東京に戻っていることもあり、昨年3月に50名ほどで大変賑わった山本さんの藍染め体験「まじゅつや」を規模を縮小させて行い、それでも短い時間に20名ほどの方が入れ替わり立ち代わり藍染め体験をしていかれました。地元の高校生も来て、カレーを振舞ってくれ、大変賑やかな1日となりました。 さて、盛況となった2日間ですが、日本には空家の増加が大きな課題としてあります。今回のレジデンスが、空家を活用した町の文化の拠点作りのモデルケースになるよう、アーティスト、地元の方、両者にとって実りあるものにすることを、運営に携わるものとして、身を引き締めて引き続き取り組んでまいりたいと思います。 今後もDAIRを起点に様々なイベント、展示が開催されていきます。告知は随時フェイスブックページでありますので、特産品の多い大子町に遊びがてら、DAIRの様子も覗いて行っていただけましたら幸いです。

やましたあつこ 林もえ 5月の個展レポート 5月26日に、以前にお邪魔した浅草橋のマキイマサルファインアーツへやましたあつこさんの個展「In the flower garden」を見に行ってきました。2階では同時開催の林もえさんの個展「眺めのよい部屋」が開催されていました。5月のまるごとほぼ一ヶ月間を使った個展で、期間があるため同じ方が幾度か足を運んでくださったとやましたさんは話していました。 マキイマサルファインアーツのホームページ http://www.makiimasaru.com/mmfa/ 浅草橋駅から近く、相変わらずアクセスがよいのが嬉しいところです。   まずは1階のやましたあつこさんの「In the flower garden」から。 やましたさんは自身の内側にある物語のイメージを多数の軽やかな絵に起こし、展示空間全体の白い壁にバランスよく点在させて場所そのものを心地よい絵にしてしまう…そんなスタイルで制作されているアーティストです。 やましたさんの作品は、白い背景に赤い髪と青い髪の女の子が登場する物語の風景がよく描かれます。赤い花が描かれているのも近頃よく見かけます。 今回の展示では画面全体を色で埋めている作品と、菱形の模様のようなモチーフが新たに登場しているのが印象的でした。 こちらは私が一番好きだった作品。写真よりももっとすごく色が綺麗で、深みがありました。やましたさん本人が言うには、苦しかった絵、だそうです。だから重みがあって好きだったのかもしれない。 そして展示空間の一番奥に、今回の展示の一番の目玉だと思われる巨大なキャンバス作品がありました。白い網目を描いているのか黄土色の菱形の集合を描いているのかどちらともとれるような不思議な画面で、他の小作品とはテイストが違っています。具体的なシーンでも無さそうですが、絵の四辺の菱形の色味が違っていて額縁代わりの縁取りのようでもあり、絵の中にちょっとだけ奥行きをつくるための床や壁や天井を描いているようにも感じられました。菱形の向きが絵の四辺に沿っているからかな。不思議。 こうした大きな作品が1つでもドーンと存在していると、やっぱり展示空間の充実度合いが違う。狭さの制約がある日常生活の空間から離れた自由さ、夢を感じられるように思います。 こちらは絵と配置とが良いな…と思った部分。花を咥えた女の子の軽やかさ、ちょっと得意げな表情が可愛らしい。 今回はポストカードや作品集、マグカップなどのグッズが充実していました。作品を手軽に日常に取り入れてもらいやすい試み。良いですね。   続いて、2階で行われている林もえさんの個展「眺めのよい部屋」の様子です。 まず感じたのは「整っているな」という印象でした。 市販の張りキャンバスのような真四角の定型のキャンバスの形をあえて崩したようなスタイルの作家さんを見かけることがちらほらあるのですが、そうした作品では例えば布をも立体素材のようにしてふんわりと膨らみをつけて張ったり、布を斜めに張ったり、布の端を木枠の裏に折り込まずにはみ出させたりすることがあります。キャンバスを立体作品のように考え、空間への配置の仕方も工夫して、絵の内容を見やすいように人の視線の高さに置くという展示セオリーを気にせずリズムや動きをつけていることもあります。 林さんの作品は、絵を描くベースとして定型である白い下塗りがされていない生の布を使い、布の端の耳をはみ出した形が基礎となっていました。 1階で見たやましたさんが作品の形や配置に動きをつけるタイプだったこともあり、林さんの作品をパッと見た瞬間にはまず似たような「定型への問い」を持っている作家さんなのだと感じました。 しかし、そう考えてみると、耳のはみ出し方の幅がとてもきれいに整っている。絵の配置の高さも基本的に整えられている。大きなアクションの派手さやインパクトで見せるのではない林さんなりのやり方で、それでも素材には問いとこだわりを持ち、きちんと丁寧に制作されているのだな、そんな風に好感を持てました。 画材屋で買えるようなキャンバス布は、基本的に麻布に白い塗料を塗ってあり、すぐに油絵具やアクリル絵具で絵が描きやすいようになっています。生の布にそのまま絵具を塗ると油分や水分がすぐに吸い込まれて滲んで広がってしまったり、絵具を構成している素材が布を傷めてしまって数十年数百年も絵が同じ状態を保てなくなったりします。布の目地が邪魔で細かい絵が描きにくかったりする、そんな問題もこれまでの絵画の歴史の中で開発されてきた地塗りの塗料が解決してくれます。 林さんの作品は生の恐らく綿布に近い布をきちんと張った上で、あえてその絵具の滲み、筆と布の質感を生かしたり、ほんのり透ける布の軽やかさも制作に使われている、そんな印象を受けました。 こちらの右の作品は、ほんのりと木枠が透けて見えます。連続するように同じサイズの2作品が近い距離にくっついて並べられていましたが、左の絵が白い色で画面をワーッと塗りこめているのに対し、右の絵の透けた軽やかさが際立って見えて良いな、と思います。 家がモチーフになっているこちらの小さな作品は色味が多くて可愛らしい印象でした。 こちらは林さんのポートフォリオの作品なのですが、個人的にものすごくグッと来たのでご紹介。どんな場所でも見かける生活風景。生きていれば大して気にならなくなる日常風景。シャンプーや洗顔料って時にはパッケージに惹かれたり、買うときは色々感じたりもするのですが、家の定位置に置いて数日たてばもう見慣れた生活風景になってしまいますよね。私はパッと見た時のこの絵の綺麗さに加えてそんなことを考えてしまい、そんな暮らしの一角を切り取った視点にとても惹かれました。素材がパラフィン紙に油彩となっていますが、そちらも透ける素材ですし、是非とも実物を展示で拝見したかったな、と思いました。 居心地がよくつい長居してしまうような空間のお2人の展示を見に来て、私はここのところ悩みや不安事でなんだか苦しかった胸のつかえがとれたようでした。「呼吸ができた」、そんな感じがしました。 とても良いタイミングで見に行くことができ、改めて絵の力…実物のある空間で生で作品を見て、何か感じたり考えたりすることの癒しを実感することができました。その場所に行って、見ること。インターネット上で作品画像だけを見ることの何倍もの得られる体験があるし、絵はやっぱりただの色データや情報ではない、人の体の五感と共にあるのだな…と感じることができました。 自分の五感と心の声と対話する、そんな穏やかな時間を過ごせるような絵画の展示空間に、皆さんもぜひ足を運んでみてくださいね。 (清水悠子) 【今後の展示情報】 林もえさんTwitter 10月に大阪で展示があるそうです。   やましたあつこさんTwitter 現在、銀座にあるWALK IN BAR MODにてちょこっと作品展示中だそうです。↓ https://twitter.com/siatsuko/status/1012215992129241088?s=21 また、来年1月には今回展示のあったマキイマサルファインアーツにて、個展が開かれるそうです。  

さて、前回のアートコラムでは、世界のアートマーケットをざっくりと見た。そして、日本のアートマーケットは小さい、というなんともネガティブな形で終わってしまった。しかし、これからの日本のアートという点に関しては、筆者はポジティブに見ている。 そこで、ここから数回に渡って、アート作品の売買という枠からは一旦離れて、日本国内の美術市場について検討してみたい。 日本で美術が取り扱われているのは、 ・芸術祭(自治体) ・モニュメント購入(自治体) ・美術館(行政/自治体/民間) ・企業のアートワーク購入、コラボ活用 ・ギャラリー といったところだろうか。 今回のコラムでは芸術祭に関して簡単にデータを整理してみよう。ここでいう芸術祭とは、各自治体が秋に行う市民の発表の場としての文化祭とは異なり、外部からアーティストを招聘し、芸術振興に加えて開催地への人の積極的な流入や認知を目的として行うものを指すこととする。日本ほど大規模かつ多様な芸術祭が行われている国は他にない。 これらの中でも、国内外に向けた現代美術都市としての発信と、地域の魅力発信を主軸とするものがあるが、そこは分類せず、いくつかの大規模な芸術祭の予算と来場者数を取り上げてみよう。各芸術祭はこれまでの開催数も異なるがここでは大体の規模感を把握していただくために、最も近年開催されたものの数字のみを挙げる。詳細が気になる方は各HPの開催報告書に細かく記されているので、そちらを見ていただければと思う。中之条ビエンナーレが気になるところだが、報告書を発見することができなかった。 予算(千円) 実施日数(日) 来場者数(人) 瀬戸内国際芸術祭 1,238,000 108 1,040,050 あいちトリエンナーレ 1,155,081 74 601,635 ヨコハマトリエンナーレ 956,968 88 259,032 さいたまトリエンナーレ 522,287 79 361,127 茨城県北芸術祭 478,956 65 776,481 新潟妻有大地の芸術祭 382,593 50 510,690 芸術祭によく足を運ぶ人でなければ、アートの催しにこれだけの予算と人が動員されているのか、と驚くかもしれない。芸術祭は直近でも毎年のように新しく生まれているし、予算額数百万円規模の小規模芸術祭も合わせると、その数は50はくだらないだろう。 各地で芸術祭が増加する要因はどこにあるのだろうか。このことは逆に近年中止が続いている自治体イベントから考えてみたい。ニュースでも取り上げられていたことから、多くの人が知っていることと思うが、夏の風物詩、花火大会である。有名どころの花火大会に行ったことのある人なら分かると思うが、行列を亀のような速度で進んでいるうちに、花火の打ち上げが始まる。中止の原因は来場者不足ではなく、逆に見物客が集まりすぎて警備費がかさんでいることや、マナー違反対策のため資金不足である。警備費が花火費とほぼ同額いった花火大会もあるほどだ。 これらの資金不足の一部を有料席を増設することで補っている花火大会もあるが、あるレポートによると(引用元を消してしまったので見つけ次第更新する)ほとんどの来場者が有料席は利用しないと答え、花火大会当日の予算は「1,000円未満」がトップであった。 ここで芸術祭の話に戻ると、芸術祭はチケットを購入して作品を見て回ることが前提となっている。要は美術館と同様入場料というものが存在するのだ。野外に置かれている作品も多くあり、チケットを購入せずに作品を見る人がいる事も課題になっているものの、来場者のカウントはチケット購入者からされており、かつチケットも2000円前後のものが多い。花火大会は1日かつ短時間で終了するのに対し、多くの芸術祭は1日では回り切れない規模となっている。必然的に一人あたりが落としていく金額も大きくなる。これらのことから、近年の芸術祭ブームの火付け役となったとも言われる越後妻有大地の芸術祭の成功例から、各地自治体もより経済効果の高い芸術祭へ移行しているものと思われる。最も、文化は一朝一夕でなるものではなく、そこには多大な労力が費やされているのであるが。 さて、今回はざっくりと芸術祭の規模感についてみてみた。簡単に数値を取り上げたものであるが、前述した越後妻有大地の芸術祭は7月29日から9月17日まで開催されている。新潟市で同時期に開催されている水と土の芸術祭とともに、お盆休みに行ってみてはいかがだろうか。新潟市美術館では水と土の芸術祭の関連企画も行われている。 乱立する芸術祭には賛否両論ある。しかし実際に行ってみてギャラリーのホワイトキューブ、展示のために整理された美術館とは異なる、自然豊かな地での展示を感じてみれば、アートの新たな可能性に気付くのではないだろうか。    

平素は格別のお引き立てを賜り厚くお礼申し上げます。弊社のお盆休みについてお知らせ致します。 誠に勝手ながらお盆休みは、8月11日(土)~19日(日)の9日間をお休みとさせていただきます。 休み期間中のお問い合わせに関しては、休み明け20日(月)から順次返答させていただきます。今後ともよろしくお願い致します。

7月下旬より、茨城県大子町で古民家を改装したアーティスト・イン・レジデンスが始まります。 大子町は、第一回県北芸術祭が開催されたことを受けて、昨年度よりアートを活かしたまちづくり事業を進めてきました。弊社は、今年度滞在制作のアーティストの紹介、およびプロジェクトの企画等させていただきます。 本企画は芸術振興、および空家を活用した地域活性化に寄与するものとして、旭松食品株式会社、株式会社伊藤園、マルコメ株式会社、他企業様に協賛いただいております。 アーティストの滞在は、オープニングイベントに先行して始まりますが、地元の方向けのオープニングイベントが8月の4,5日に開催されます。 Daigo Art in Residense の頭文字をとって、施設名はDAIRとなりました。大子町の文化のハブとして認知されていくよう、取り組んでまいります。  

作家インタビュー第5弾は、福井伸実さんです。木床亜由実さんからの紹介です。 福井さんは、武蔵野美術大学油画科を2013年に卒業されて、現在も多岐に渡る創作活動をされています。おそらく最も多くの人が目にするところだと、ゲスの極み乙女。/アルカラ/さめざめ等、ミュージシャンへのアートワーク提供でしょうか。 そういったメディア媒体では作品を拝見したことはありましたが、ちょうど14名のアーティストが元職員寮を舞台に柴の魅力を伝える宿をつくる、というプロジェクト(https://motion-gallery.net/projects/futenarthostel)に参加されているということで、先日見に行ってきました。 そして、インタビューは初対面にも関わらず、またしてもアトリエにお邪魔させていただきました。 河口:こんにちは。ミュージシャンのジャケットは、よく知っていましたが、それを描かれている方は知らなかったので、今日お会いできて嬉しいです。 福井:ありがとうございます。 ー福井さんのHPを拝見すると、本当に幅広く活動されていますね。イラスト、絵画、ライブペイント、作品の発表媒体もLINEスタンプやグッズ制作など。 他メディアのインタビュー記事を読んで、その中に作品を「イラストと言われるのは当初違和感があったけれど、それは自分が決めることではなくて、見る人それぞれが自由に決めてくれればいい」という記述がありました。でも、ご自分のことを人に説明する時は、どのようにされているのですか? 福井:自分の活動を一言で説明することができなくて、「恋する絵描き」というのを自分でつけたんです。今大学を卒業して5年目ですけど、3年前くらいだったかな。アーティストっていうのは自分にとってはかっこよすぎるし、クリエイターっていうのもちょっと違う。 「絵を描いています」っていうのが自分の中で一番しっくりきます。大学在学中にイラストの方が注目されてから、人から「イラストなんですか?」「アートなんですか?」と聞かれる時期があったり、絵を描くのも何のために描いているのか分からなくなった時に、思い返してみると恋とか愛とかをテーマに作品制作していたことや、絵を描くこと自体に対して恋する気持ち、絵を描くことを盲目的に愛しているその初期衝動だったり、そういう、「好きだ」っていう気持ちを忘れないようにしたいなっていう思いがありました。 ーそうなんですね。木床さんから紹介いただく前まで、作品だけ知っている状態では、てっきりイラストレーターの方が描かれているものだと思っていました。美大の絵画や彫刻等の学科に入るとマーケットの違いはあれど、アート業界に入っていく人がほとんどだと思いますが、美大、しかもデザインではなく絵画科を通過してこういった大衆化したアウトプットをされていることが興味深いです。 もともとどのようなところから美術に興味を持ったのですか? 福井:それは、絵を描くのが好きで、それで褒められてきたということでしょうか。それこそ、おばあちゃんの家に行って、カレンダーにパパッと描いたものが褒められる、お手紙の端っこに描いたものが褒められる、そこから始まって、ぱっと作ったものが褒められてそれが嬉しいというのは常に軸としてあるのかもしれません。 ーそう考えると、美大、というか美術教育を受けることってむしろその逆にあるというか。その辺はどうだったんですか? 福井:そうですね、美大は思い返すと、つらかったといえばつらかったですかね。大学に入って、急に絵を描くことに理由が必要になったんです。絵を描くことについても、何かモチーフをひとつ選ぶにしても。それは今思うと大事なことだったけれど、理由がなければ絵を描いてはいけないのか、言葉にして説明できなければいけないのか、と。そうすると、どんどん絵が説明的になってきて、その絵は私にとっては全然面白くはないんですよね。 ーこの辺の絵は結構楽に描けているものでしょうか? 福井:そうですね。 ずっとドローイングは続けていて、この感じがいいよって周りにも言われるようになって、そこからはドローイングのテンションをどうやって絵画に落とし込んでいくか、と考えていて、最近少しずつできるようになってきたかな。 ーでも、絵を描くきっかけだったり、作品の発表媒体への良い意味での固執の無さを考えると、ドローイングで評価を受けてきて、何故それを絵画にする必要があるんですか? 福井:ね、ほんとですよね、それはそうなんですよ(笑) んー、でも、やっぱり残るものでありたいっていう気持ちがあって、制作におけるコンセプトとしても。絵の強さって、ずっとそこにあり続けることができることだと思っていて。個人的な感情をコンセプトにして、その感情をドローイングにのせると儚いんです。でも自分のエゴを超えて、そこにあり続けるものとして人の救いになりたいから、挑戦していきたいです。 ードローイングは机の上に置かれているものだけでも、かなりの枚数が見えますが、どのくらいの頻度で描かれているのですか? 福井:なるべく1日1枚描きたいところですが、実際には2日に1枚くらいかな。絵を描いていると言葉が頭の中で回っているような感覚で、特に題材を探しに行かなくても楽にかけます。 ーそういった言葉って、映画や本などから取り入れたもの、それとも人に言われた言葉ですか?否定的なもの、肯定的なもの? 福井:人に言われた否定的なものが多いですね。でも、論理的な言葉ではなく、断片的な、投げつけられるような感じの言葉です。 ーとすると、絵を描くことはある種の浄化作用ですか? 福井:ほんとそうだと思います。もともと絵は暗かったので。悲しいことは悲しいままに描いていて。 ーそれは意外ですね。今の作品はむしろ軽やかに見えます。どうして変えた/変えられたのですか? 福井:それは、愛されたいっていうのがあるかな。その方が難しくないというか。人間も悲しいことを悲しいと言ってる人よりは乗り越えた人の方がかっこいいじゃないですか。母がそういう考え方だったことも大きいかもしれません。 周りにも暗いねとか怖いね、とずっと言われてて、自分でびっくりしたんです。怖いと思って描いてなかったので。それで、認められたい、愛されたい、という方向に行っていたら、自分自身の作品も変わっていきました。 あとは転機というと、大学の卒業制作が大きかったですね。 この時に、それまでは悲しいこととかを描いていたのが、はじめて自分とかけがえのない存在を描いて、それを絵にして、絶対的なずっと存在してくれるものにするっていう形が出来ました。これだな、という感じになって。 エゴというか、よくオナニー絵画っていう言い方するじゃないですか。そういうのじゃなくて、そういうのじゃないっていうのも自分で決めることじゃないかもしれないですけど、想いを残したいとか、絵画である意味とか、自分にとって絵ってなんだろうっていうのが見えてきました。 ー先ほど、恋や愛をテーマに描いているという話はありましたが、作品を通して人に伝えたいこと、表現したいことはありますか? 福井:誰かに何かを狙って共感してほしいというよりは、そこにあるものとして共感してくれたら、私は幸せです、っていう感覚です。作品に対しては、「愛してよ、分かってよ」っていう気持ちを詰め込んでいるんですけど、それが作品として成立したら、鑑賞者がどう受け入れるかは自由にしてもらいたいです。もう、そこから私には何も求めないで欲しい。もうそこにあるものとして存在するから、あなたがどういう感情をのせてもいいし、どういう評価をしてもいいから。 ーあくまでも絵を描くことで一通り完結して、完成した作品を通して人に何かを伝えたいということはない? そうですね、ないですね。誰かの想いがのることは望んでいますけど。 色んな事は儚いという意識は根本にあって、ジレンマですよね。愛したいけど当たり前じゃない、離れていくものなんでしょ、みたいな。私は愛されたい。愛という儚いものを絵にすることで、絶対的な、そこに存在しているものにしたい。 ー先ほどの質問からの繰り返しみたいになりますが、入りがドローイングという儚いものであったとしても、だからこそ、それを絵画にしていく必要があるということなのですね。 題材についての質問ですが、ほとんど女の子を描かれていますよね。それはずっと一貫したものですか? 福井:そうですね、女の子は想いをのせやすい、投影しやすいから。 ーでも、決して自分じゃないんですね。自分だったことはあるのですか? 福井:あえて自分じゃなくしてます。自分だと距離があまりにも近くて、見るに堪えないじゃないですか。それを買いたいとはほとんどの人は思わないでしょうからね。 ーなるほど。アートに限らず、影響を受けた表現者はいますか? 福井:私は自分の個人的な感情を描くことをずっと続けているので、好きな作家というと難しいですが、大槻香奈さんや、是枝監督は好きです。無理してなくて、ちゃんと自分の中から出てきている、漠然というと、”そこ”に寄り添っている。私の好きなものはそうだし、そこへの憧れもある。 ー個人的な感情ということは今も常に軸としてありながらも、エゴから始まって、そうじゃなくて想いを強くする、人の救いになる役割を絵が担うようになった、というところがこれまでとすると、これから自分の絵ってどうなっていけばいいな、とか今後のさらなる展開はどのように考えていますか? 福井:ずっと描いていきたいなっていう当たり前のことを、でも難しいことだからこそ思います。ドローイングのテンションを大事にどう作品にするか、意識がないような絵をどう意識してつくるか。 あとは、大きい作品は今まであまり描いてきていないですが、公募展に出さなきゃと思って、今大きい絵を描こうとしています。 ーそうなんですね。勝手な先入観で大変申し訳ないですが、今の活動のされ方をみると、あえて公募展に応募しない方向性だと思っていたのですが、そういうことではないのですね。 福井:はい。ほんとはしたいっていうか。大学であまり評価されなかったので、だからどうせ認められないんでしょ、みたいな気持ちを持ちながら、ありがたいことにイラストの方がニーズがあったので、それをばーっとここ数年やってきました。でも、見た目が軽いっていうのは良さでもあるけど弱さでもあると思うので、これからは公募に出して認められていきたいですね。 いろんなプロジェクトに関わらせていただいたりしていますが、それはありがたいことに人の縁で出来たことだったりするので、「福井伸実」ひとりの作品として認められていきたいです。公募に出していくことは、必要なこと、義務なんじゃないかな。まだ名も無い私の絵を買ってくれたり応援してくださる人へ恩返しをしたいという気持ちと、描くことを続けていく上で評価は必須であるということです。 ー柴又FU-TENの天井まで描きこんである福井さん担当の部屋を見てきて、それからこうやってお話しさせていただくと、愛されたいとか、そういった満たされない想いが作品の主題としてはありながらも、最も根本的な軸に「絵を描くことが好き」ということが強くあることを感じます。 もちろん、創作活動を行っている人は誰しも作る行為が好きであることは共通していることだは思うのですが、福井さんの場合はそれがご自身を突き動かしている一番の原動力であるように感じるんです。非常に漠然とした、質問というよりも、ほとんどボヤキですが、「好き」って何なんでしょうね。 福井:なんなんだろう、、好きって。 やっぱり、そこで認められていったっていう幼少期の記憶が大きい気がしますね、この年になって。 アートだと海外に行くのが主流だったりしますけど、大事な人がいる場所で、絵を描くことを続けている、ということの方が自分にとっては大事です。お母さんとか、大事な友達、死んだ犬とかにとって恥じない人間でいたい、絵を描いている自分でいたい、と思いますし、それが自分にとっての糧です。 ー最後になりますが、こだわりの道具や制作においてこだわっている部分があれば教えてください。 福井:なんでも使うからなー(笑) ーすごい出してきますね。逆にこだわりがないのがこだわりでもいいですよ・・・ 福井:これとかはライブペイントで着る時の服です。何パターンかあります。自分で描いたものですがやっぱり、お客さんにも楽しんでいただきたいですからね。 あとは、道具でいうと、このホルベインの筆とポスター紙ですね。以前、「HOLBEIN OPEN STUDIO」と称してホルベイン社の画材を使用した公開制作をやらせていただいたときに、この筆が衝撃的に水の含みが良くて感激し、今も大切に使っています。この紙はドローイングをスキャンした時に波打ちが出ないので重宝しています。 ―今日は長い時間ありがとうございました。  

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