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Column

『三越×藝大 夏の芸術祭2018』 古賀真弥 こんにちは。清水です。 夏の暑さも落ち着き寒さを感じ始めるこの頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。   今回は、8月に日本橋三越で行われていた「MITSUKOSHI×東京藝術大学 夏の芸術祭2018」を訪ねた際のレポートをお届けします。 こうした百貨店タイプの美術展示は日本画や工芸などの誰しもが受け取りやすく美しい”美術”らしいものが好まれている印象があります。誰も見たことがないような斬新な“アート“的なものは販売が難しいためか、比較的少なめなイメージです。   何人か印象的だった作家さんをご紹介したあと、個人的に私の琴線に強く触れた彫金作家さんをぜひご紹介したいと思います。   まずはこちらの作家さん。   パッと見てああ面白いな、と感じました。書道のようなタッチで文字を使っていて、なおかつ絵としてイメージを形作ろうとしていることが分かります。 美大生などの若い作家の作品をたくさん見ていると、大体の作品はどこかで見たことのあるタイプに分類することができてしまいます。歴史上様々なことが成されてきた美術の世界において、唯一無二の新たな作家性を見つけ出すことはなかなかに難しい。 しかし、こちらの下村奈那さんの作品は私がどこでもあまり見かけたことのないタイプでした。確実に書道とは違うのですが、単色の墨で描かれた図像は文字的です。 「星を題材にした書の作品」とキャプションには説明書きがありましたが、いわゆる書道の形式でないのが楽しいですね。中国星座についての知見を制作に活かされている方のようです。   続いて面白いな、と思ったのがこちら。 分かりやすく面白い。先端芸術表現科の大学院出身の折原智江さんの作品。説明不要で楽しいですね。使ってしまうのはもったいない。   続いてはこちら先端芸術表現科の博士号取得、知念ありささん。壁の高い位置に展示されていましたが、熱量というか密度というか、放置できない強さに惹かれました。 花火をモチーフに、釘に糸を引っかけてゆく繰り返しの動作で記憶の断片を具現化した作品だそうです。   お次はアート的雰囲気のあるこちら。 ガラス棒の先端の球形部分に周りの世界が上下逆転して映り込んで見えます。 特定の角度から見ると、球の部分に色が見える仕組みになっている様子。作品タイトルは3本それぞれ別の色名になっていました。私はその角度を見つけられませんでしたが、それでもシンプルな見た目で色々と想像することができて面白かったです。   そして最後に、いよいよここからは私が一番惹かれた作家さんのご紹介。見た瞬間の色の感覚に引き込まれました。 写真では伝わりにくいですが、銅に着色を施した優しい鮮やかさが私にとってはどの作品よりも美しく感じられました。 工芸科、彫金を修了され現在東京芸大で助手をされている古賀真弥さん。 工芸科の作家さんの作品は、こうした販売を目的においた場では特に手に取りやすいアクセサリーや陶芸作品をよく見かける、というイメージがありました。そんな中、古賀さんの作品は使用が目的ではなく展示しておくためのオブジェ的で、ある意味彫刻科の立体作品のような立ち位置に感じました。   最初に特に気になったのはこちらの作品。 一瞬本当に水が湛えてあるかのように見えました。雨の日本庭園に置かれているのが似合う…そんな景色が浮かびます。水の重さを感じる。 次に目が行ったこちら、2点連作の水色とピンクの取り合わせがとても綺麗です。モチーフのチョイスが繊細で女性的にも感じられます。デザイン的に全く対になっているわけでもないのがまたセンスが良く、2つを見比べて違いを楽しむことができます。ピンクの淡さがとても上品。   お次はこちら。 真ん中の空洞に、また水が湛えてあるかのように樹脂が流し込まれています。海中の洞窟のように見える。中の葉っぱは大部分がレースのように透かして作られているため、暗がりの中でも映えるようになっています。水槽を覗いているような気持ちでじっと眺めることができる作品でした。 続いて向かって左側に置かれた作品に目を向けます。 はっきりとした水色が印象的なこちらの作品。真ん中の樹脂部分が多層の曇りガラスのようになっていて、また異なった雰囲気の抜けを作っています。 最後はこちら、平面的な形が他の作品と別の趣になっています。細い線で重ねられた円たちが雨打つ水面の波紋に見えます。次々と水滴が落ちて波紋が発生しては打ち消されていく様子が動画のように想像できました。   私がお金を貯めて古賀さんの作品を購入できるようになる日まで、絶対に制作を続けていてほしい…と願うほど心を掴まれました。 思えば、私がこれまでの人生で自分でお金を出して買いたいと思って買ってきた作品は何故か絵画ではなくガラス工芸や陶磁器でした。学生の身分で1点に1~2万円出したレベルでしたが、色や光沢の質感が美しくて感動した工芸品にお金を出して自分の日々の中に持ち帰ることに、喜び以外の何も感じませんでした。絵を見るのが好きだけれど、何故買いたいのは工芸作品なのだろう。   古賀さんのホームページもご紹介。 http://msykoga.com/ 作品が繊細で美しすぎてなんだか泣きそうになりました。曲線、色彩、植物…。2012年、2014年の作品が特にたまらなく好きです。   古賀さんの制作を応援するためにも、家にきちんと置き場所をつくってぜひ作品を購入させていただきたいと思いました。   (清水悠子)

作家リレーインタビュー第7弾は、松尾ほなみさんから紹介いただいた、長田沙央梨さんです。 長田沙央梨ウェブサイト:https://www.saorinagata.net/ 長田さんは、アクセサリーデザインの専門学校を卒業後、愛知県立芸術大学の彫刻専攻、東京芸術大学大学院の彫刻専攻を修了し、現在は愛知県立芸術大学で彫刻専攻の教育研究指導員をされています。 普段は名古屋を拠点に活動されていますが、ちょうど東京に展示を見に来る予定があったということで、時間を割いていただき、インタビューさせていただきました。事前に作品を直に拝見することはできなかったので、ポートフォリオを送っていただき、HPや過去展示の論評を見ながらのインタビューとなりました。   河口:今日は貴重なお時間割いていただいてありがとうございます。早速ですがインタビューに入りたいと思います。近年の制作のテーマについてお聞かせいただけますか。 長田:植物や動物のリズム、形の形態の面白さに魅力を感じています。私は平面作品と立体作品を行き来しているので、彫刻で表したい形の面白さと同時に、色のリズムも最近は重要なテーマとなってきています。 身近な風景の中にある植物、動物、そういったものの中から面白いと思った形を選び取って、自分の中で心地よいリズムに変換していくことで作品を生んでいく。それがテーマといえるか分からないですが、気を遣っている部分です。   ―:「心地いい」というのは、ひとつキーワードになっているのかなと思います。それは自分自身が選び取るものだけではなく、見る人に対しても感じて欲しい部分ですか? 長田:そうですね。攻撃性や社会性といった重いテーマは私の中には全くなくて、初めて私の作品を見る人が、空気が和らいでいくような、透明感のあるような、くもりがない、安らぎのある空気感を作りたいと思います。   ―:ポートフォリオを送っていただいて、展示空間構成をすごく考えられていると感じました。作品同士が会話しているといいますか。作品は、一個単位で物事を考えているのでしょうか。あるいは、ひとつの世界感をつくるための付属物として考えてらっしゃるのですか。 作品として自立するということはもちろんなので、個別にも考えます。しかし作品同士がどう響き合って、そのまわりの空気がどう動いていくか、空間が私にとっては大事になってきます。ですから、会場の下見は欠かせないですし、その会場に合う作品にしたいので、毎回ほぼ新作になってしまうんですよね。なかなか過去作が出てこないです。ホワイトキューブ、茶室、民家、いろんな場所で展示をやってきましたが、ごたいついた空間、生活環のある空間こそやりがいがあると感じています。そういうところで挑戦させてもらって、難しくはあるけれども、日常にすっと溶け込んでいくような空間を作りたいという気持ちがあります。ホワイトキューブはやりやすいけれど、非日常的な空間が出来上がってしまっているので、日常に近い空間でいかに作品を作るかということが最近の私の興味のあるところです。   ―:なるほど。そうなった場合、少し話は現実的なところに向かいますが、作品を買いたい人がいた場合どのようにするのでしょうか。「その場」のための作品ということに非常に重きを置かれている中で作品は売り物になるのでしょうか。あるいは、ここで永久展示するものとして考えていらっしゃるのか。 買いたいという方もいらっしゃって、中には譲った作品もありますが、やはりその場所で見て欲しいという気持ちが強いです。実際に、制作した現地でそのまま引き取っていただいた作品もあります。 全く違う場所で展示したいから購入させてほしい、と言われた場合は、その方がどういった風に私の作品を捉えてくれているかをお話しさせていただいています。おこがましいようですが、ひとつ返事で、売ります、という風にはいかないです。欲しいと言ってくださる気持ちは本当にありがたいので、その方と会話をして、作品を理解してくださる方であればいいところに飾ってくれるだろうと思って作品を託しています。   ―:学部時代は松かさの片鱗で工業製品を部分的に覆う作品を作っていらしゃったようですね。近年の作品とは随分傾向が異なるように感じるのですが、どのような経過をたどって今の作品があるのでしょうか。 長田:松かさは学部卒業時に大きい作品を出して、修了制作でも大きい鳥を作成したのが最後の作品です。 松かさを使って制作していたのは、愛知県芸の環境が大きいです。そこら辺に松かさが落ちていて、雨が降ると傘を閉じて、晴れると開いたりするんですよ。それは空気の乾燥度合で繊維がひっぱられて変化しているんですけど、呼吸しているように思えて、その植物のエネルギーに興味が湧いてきて、題材として使えないかと考えたんです。「棲みつくpine cone」というタイトルを最初つけたんですが、蜘蛛とか虫が石の下に住み着いているように、一度人の手を離れた道具や既製品に、生命力のあるものが住み着いているイメージでした。その後、「鳥の羽根は魚の鱗が進化したもの」という話を聞き、松かさの鱗片で鳥を作ってみたいなぁと思い、最終的には松かさだけを素材として使用して、鳥という具体化されたモチーフを作る方へと向かっていきました。 近年の作品ということに関しては、とにかく何か変えたかったんですね。同じ場所にいると、これでいいだろう、という風に落ち着いてしまう気がして。ものづくりの出発点として、私はジュエリーを最初専門学校で学んでいて、身近な植物や動物をモチーフにしていました。またそういうことをやりたい気持ちを持ちつつも、彫刻を学ぶとなかなかそこに戻れない自分がいて、どうしたら、がらっと気持ちを変えて制作できるか、と思って、愛知でこもっていた環境から、一変して大学院は東京芸大の彫刻科へと進みました。学校を変えて、仲間も変えて、今の作品はそこから、です。   ―:環境の変化というのは大きな転機だったんですね。 長田:はい、また転機となった作品という意味では、その時期に「ぶぶんのかたち」という陶器の作品を作り始めたんです。 ―:なぜ陶という素材へ転換されたのですか。 長田:それまで大学で木彫、石彫、金属、それから松ぼっくり(笑)など、様々な素材に触れてきました。石や木には、それ自体に生命力がもともとある。それらで立体作品を作るというのは、カービング、削っていく作業なんです。それよりも量をつけていって形が生まれてくる方がイメージしやすいですね。肉をつけていくような感覚に近くて、作っていくごとに生命力を感じられるというか。手で触れている、というのは重要で、あったかい素材なんですよね。 また、それまで専門学校や大学学部では、素材の色を活かすことをしてきて色を使うことを我慢している面もありました。陶で形成したものに、釉薬で色を塗るという作業を通して、形に加えて色の組み合わせが作品に加わり、心地よいリズム作る、という自分がやりたかったことに作品が繋がっていきました。 「ぶぶんのかたち」は小さな作品ですが、形・色・に加えてサイズという要素も加わり、日常の中で見つけた面白い形を抽象化させる作業でした。専門学生時代ジュエリーの作品で具体的なものを作成していたのを、学部時代はコンセプトの強い作品を作成していて、そこから「ぶぶんのかたち」の制作を通して一度作品を抽象化させる行為を通して、今、もう一度今の植物が主にモチーフとなる具体作品だけれども単純な形に置き換える、という作風になりました。 素材という点では、油彩も扱うようになりました。平面作品も作っていて、最初はアクリルだったんですが、この2年くらいで油彩を始めるようになりました。油の質感ってメディウムとして自立してきて、彫刻している感覚に近いんです。盛り上げるとか、筆のストロークで表情が残ってくる、というのがしっくりきて、粘土に触るような感覚に近い。手跡が分かって魅力的な素材だと思います。   ―:これまでに話の中では出てきましたが、美大入学前は専門学校でアクセサリーデザインを学ばれていますね。どこから美術に興味を持たれたのでしょうか。 長田:専門学生でジュエリーをやっていたころは、ジュエリーデザイナーになりたいなという夢を持っていました。でも専門学校の授業で、石膏像や鳥の剥製を描いたり、デッサンをやった時に、それが美術系のはじめての勉強で、すごく楽しかったんです。デッサンをもっとしてみたい、というのが最初のきっかけで、就職するより、もっと美術の本格的なことを基礎から学びたいと思い、美大へ行くことにしました。そこから彫刻を選んだのは、ジュエリーも小さい彫刻なんです。蝋を削って、型を業者の人に鋳造してもらって金属で戻ってくる。掘ったり削ったりする作業が彫刻的でその感覚がすごく楽しいと思っていたので、いろんな立体作品に触れることがしてみたいと思ったからです。   ―:美大でも工芸科はあるけど、そこを選ばずに彫刻という選択をしたのは、アクセサリーを作っている時から、ジュエリーを彫刻作品として捉えていた、ということなんですね。 長田:はい、あとは、私はスポーツが大好きで、彫刻ってすごく大変なんです。美術予備校に見学に行ったときに、彫刻の学生が腕まくりして額にタオルまいたりしている、それがかっこよくて、私もあんな風に過ごしたいという憧れもありました(笑) ジュエリー制作では、もちろん体力は必要なんですが、ひとつの机で終わる作業をしていたので、全身を使って、というのがすごく新鮮でキラキラ見えたんです。   ―:アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか? 長田:皆川明さんというファッションデザイナーです。ミナぺルホネン(http://www.mina-perhonen.jp/)というブランドを作られている方で、その服に出会ったのが18くらいの時でした。到底買えるような値段ではなかったんですが、古着屋で見つけて、ちょっと値が張ったけど買いました。 ミナペルホネンで一番好きなのが店舗です。お店の構成の仕方がほんとに素敵で、見せ方ひとつひとつ、照明ひとつとっても芸術的。ラックもすべて手作りだったりとか、商品である服と同じような感覚で店舗も隅々まで構成されていて、それがため息がでるほどすごいなと常々思っています。 生活というものをすごく考えていて、どうしたら心地のいい空間でお客さんが作品(商品)を見てくれるか、ということにすごく配慮されていて、店舗ごとによって全然内装は違うけれど、すべての店舗で追及されています。お店だけ見に行って、元気をもらいに行ったりします。   そこから影響を受けている私としては、簡単な作品でありたい、と思います。展示に何度も足を運んでくださり、作品を好きだと言ってくださる方々の中には、ファッションが好きだったり、何かしらこだわりのある人が多くいらっしゃるので、私のこだわりを汲んでもらっているとは感じています。 私は美術がすごく好きで、現代美術も西洋美術も、日本美術も東洋美術もどの時代のどの分野も、それぞれ非常に魅力的に感じます。そういう意味で私自身も、ニュートラルでいたいと思っています。自分がやれることと自分が見ていいな、と思うことって違っていて、自分がやれることは、マジョリティとマイノリティーの中間。アートという枠にはめずに広く見た時の、現代美術のように楽しむためにはある程度の知識を必要とするマイノリティーなもの、それからジュエリーといったメジャーで分かりやいもの、両方勉強してきた身としては、真ん中にいたいと思います。 たとえ見る人の2割だったとしても気付いてくれる人は私のこだわりを汲み取ってくれる、一方で、子供たちやお年寄りの方、美術のことを何も知らない人も、素直に無邪気に楽しんでくれる、というのが目標地点なので、そこに近づきたいです。   ―:現在は、ジュエリーから彫刻、絵画と様々な形で作品を展開されています。それぞれどのように使い分けているのでしょうか。 長田:同じ比率で考えています。立体を引き立たせるための絵画でもないし、絵画を引き立たせるための立体でもない。お互いが自立していてほしいですし、同じ空間で、同じ比率で感じて欲しいです。 自分が彫刻家なのかは分からないですね、美術家ではあるけれども。 空間をつくる。それが一番にあって、それに必要なことがたまたま立体だろうとレリーフだろうと平面だろうと、それはたまたまそれが良かったというだけのことです。私の作品を見た人が平面と捉えるのか、立体と捉えるのか、人によって違うと思うけど、自由に考えてもらえればいいと思います。   ―:ジュエリーとなると、途端に用途のあるものになると思うんですが。それについてはいかがですか? 長田:そうですね、用途のある、商業的なものを最初学んでそこからスパっと立ち退いて、今は用途の無いものを作っています。最近はアクセサリーは作っていないです。 ジュエリーは値段設定がきっちり見えてくるんです。だから作りやすいし、売りやすい。でも自分がものを作るのは、そういうところとは離れていて、自分の心地よさ、自分が見たいものに対しての制作過程の楽しさ、周りから自由に評価いただけること、それらがモチベーションに繋がったりするので、今は値段のことは考えていたくないです。あとから、欲しいと言われたら値段はつけるけれど、今は別々ものとして考えてやっています。 とはいっても、作家としてやってくには作品でお金を得ていくことは必要なので、もっと柔軟に商業的な意味あいを持たせてもいいとは思うんですが。まだそこに気持ちがいかないので、今は商業的な考えは遮断しています。でもきっと自分の中で、どちらもやりたくなる時期が、そのうち自然とやってくるのだと思います。(笑)   ―:今後どのような作品展開を考えていらっしゃいますか。もしくは今挑戦されていることなどありましたらお聞かせください。 長田:「自分が見たいもの」に近づくということ。見たい風景があって、なにかが一緒にいてくれている気がするという気配、怖い意味ではなくて、ユーモラスな存在。モチーフが日常にいてくれているような、ホッとするような感覚を表現しようとしています。 彫刻を勉強し始めた頃は、制作における好きなものと、オシャレ等の楽しみに対する好きが分断していたのが最近は近づいてきている感じがします。日常がスムーズに流れて、作っていても違和感がなくなってきました。いい流れできていると思うので、作品制作はこのまま、続いていけたらいいのかなという気がしています。 今も研究指導員という立場で大学にはいますが、大学から卒業した今、自分の作品を見返していくと、アクセサリーを作っていた頃がなんのしがらみもなく評価も気にしていなくて、そこにもう一度戻ってきている感じがあります。最近の作品は溶接など、専門学校時代に使っていた技法も組み合わせて使っています。一巡りして原点に戻ってこられた感じがするので、これから自分の見たいものを具体的に作品として増やしていくことが、まずはやっていきたいことです。 ―:いろいろなことを学んできていらっしゃるので、これからの作品は、より面白く展開していきそうです。今回は日程上作品見てからのインタビューが出来ませんでしたが、名古屋も東京から近いので、是非展示の際に伺いたいと思います。本日はありがとうございました。  

作家リレーインタビュー第6弾は、福井伸実さんから紹介いただきました、藤川さきさんです。 藤川さんは2013年に多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。国内の展覧会や海外のアートフェア等で作品を発表する他、イラストレーターとしても活動されています。 藤川さきウェブサイト   今回は、清澄白河のondo STAY&EXHIBITION(以下ondo)で開催されていた「未知のためのエスキース」展を見に行ってからのインタビューとなりました。 【展示風景】 そして、今回もアトリエにお邪魔させていただきました。 河口:はじめまして。藤川さんは、過去に多くの展示をされているので、そのステートメントやメディア露出した際の発言等目を通させていただきました。今日は、改めて藤川さんの言葉で作品についてお聞きしたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。 藤川:よろしくお願いします。   ―:まず、近年の制作のテーマについて教えてください。 藤川:テーマというよりは、作品制作に対する姿勢になりますが、いかに人と関わりながら自分の好きなことをやっていくか、ということを大切にしています。自分が出したものが人の目にどう映っているか。 例えこっちがタイトルやステートメントで方向づけしても、自分が考えていたことと全然違う意味で捉える人がいたり、解釈の仕方が違うじゃないですか。その時々で人の反応がみんな違うっていうのが結構面白くて、自分が今まで生きてきた中で新しいものを取り入れて変わってきた、というのと同じ状況が人に起きているのを見るのが楽しくて、そこからまた何かを得て、作品を作っていく、人の反応からまた新しい作品ができる。その循環を楽しんでいます。   ―:人の反応によって自分自身が変化させられる? 藤川:はい。私はもともとただ絵がすごく好きっていう理由だけで美術の道をスタートしました。描くことが好きで、それの意味付けを意外と考えてこなかったんです。大学3年時に村上隆さん主催のGEISAIに出展する機会をいただいたことが作家として自覚的に活動し始めた時期ですが、描いたものを展示できるのは嬉しいし、絵を描くのが好きだから、という理由だけで展示をやっていたこともあって、展示の内容とか決まってないし、自分ひとりのなかで完結できる内容を考えていました。世の中と関わる手段ではなく、ただ楽しかった。 でも、卒業してから、同じことを繰り返していていると、飽きちゃうんです。私の中の楽しさは描くことで頭の中が更新されていって、また新しいことを描きたくなるという状況になることで、それが理想的な環境だと思っています。そうすると、ひとりよがりなことを描いているのは、絵の楽しさとしても行き詰ってくる。 いつも中心にあるのは、楽しいかどうか。自分にとって、自分が更新されていく嬉しさがあるかどうか。その元から変わらない、「ものを作るのが好きであること」を中心にちょっとずつ広がっているのがここ最近です。   ―:今回の展示について、すみません、実は展示名を「未来のためのエスキース」だと勘違いしたまま作品を見ていたんです。それで帰りの電車でフライヤーを改めて眺めていたら、あれ、「未知のためのエスキース」だぞ、と。それで、藤川さんにとって未知ってなんなんだろう?と思って。未知は未知でしかないのかもしれませんが。 藤川:それは、未来でもあるといえばあるんですけど、更新されていくことがメインテーマです。 この展示がそもそも、ondoの方で一冊本を作ってくれることになっていたんです。その本を書くために今回80枚くらいドローイングを描いて、最終的にどんなものが見えてくるか、どんなものが作りたくなるか、それが未知だったんです。全部のドローイングを描いたうえで、最終的にできあがったのが、80号の作品です(展示風景写真2枚目)。最初の段階では、まったく何ができるか分かっていなくて、それがひとつ未知の対象だったんです。 1日1枚以上という決まりで強制的にドローイングを描いていたので、日々何が起きるか分からない、小さい出来事も大きい出来事も含めて世の中の変わっていく、いろんなパーツが集まって更新されていくことを展示全体を通して表現したかったんです。   ―:そうなんですね。あえての質問をさせていただきますが、「未知」ってありえるんでしょうか。例えば何か実験する人も先に仮定をしてからそれを検証していくじゃないですか。ほんとうの未知、何も分からないことに向かっていくことなんてできないんじゃないですか?もともと答えや道筋は持って制作にあたられていたのではないですか? 藤川:それはそうかもしれません。今を継続しながら前へ進んでいくこと。見たことのない方向に進んでいく。絵を描くための機会として、ドローイングを通して生まれでたパーツをどう解釈して最終的に絵として出すか。毎日つらくてもドローイングを描いているとほとんど無意識のようなものも生まれるんですよ。それらを一個に集約するときにどういう絵になるか。分からないけど見てみたいからやってみよう。そういう意味での未知でした。ある意味ギャラリー側も賭けの遊びにのってくれたんです。 最終的に出来上がった絵のタイトルが「教えてくれなくてもいいから生きさせて」でした。そのタイトルがある意味、当初未知として捉えていたことへの答えでした。 毎日、自分が世の中に関わること、何で人は落ち込んで、誰が人の「正しい」気分を壊すのか、生活ってカオスじゃないですか。そういった部分も含めて、生活を作っている強さみたいな、人は生きていて、日々更新されていって、という状況を一枚の絵に強さとして描きたいと思いました。   ―:藤川さんの作品のタイトルって、切実なものが多くあったりするけれど、作品自体は暗くはないじゃないですか。人物からも切実な感情を感じないですし。そこに関して意識されている部分はあるのですか? 藤川:人はパーツなので、パーツの仕事をしてもらいたいんです。人に限らず絵に登場するモチーフ全てですが。それが笑っていた方がいい場合は笑わせますが、人物の笑顔や、怒りの表情ってすごく強いんですよ。人が笑ってる絵になっちゃう。絵の中の登場者は皆、劇のひとつの役割に過ぎなくて、主題に沿って演じさせているんです。   ―:あぁ、「劇」という言葉は藤川さんの作品を見るのに非常に納得感があります。おもしろい。 ところで、話を、もう少しコンセプトの方に戻していくと、自分が「更新」されていく、という言葉を非常に強調されているように思います。外部と関わることで自分の概念が覆されていく、という循環の中で作品を制作されているということですが、外からの刺激としては何の影響が一番大きいのでしょうか? 藤川:ネットを使う世代なので、今しかない、これから廃れていくかもしれないような、それこそツイッターとかSNSが好きです。こぼれ出たような感情の強いもの、人の生活にもうちょっと迫ったような、心境、環境が及ぼしている変化を見るのが好きなんです。 twitterで100人をフォローしているとしたら、ここからみた100人の現代を見れているわけじゃないですか。それって積み重ねていくと、世界に近くなる。 人の色んな部分を見ることが好きで、私、あんまり言ったことないですが、ツイッターアカウント10個以上持ってるんですよ。言ってしまえば根暗な趣味なんですが、誰かの考えてる公式情報も大事にだけれども、そこに至るまで何が起因してそこに至っているのかをすごく調べたくなる。自分が変わるきっかけにもなるだろうなと思うと興味があってめちゃくちゃみます。   ―:へー、すごい。私は逆でツイッター全然使えないんですよね。自分の私的な痕跡を読まれるのも嫌いだし、だから人のも見たくないんです。ツイッターは情報量が多いというか、更新度が高いからリアルタイムで追いつけないですし。 藤川:私はリアルタイムを追うことが単純に好きなんです。ネット上にはおどろおどろしい感情がいっぱいあるじゃないですか。それがいい悪いではなくて、単純にウォッチすることが面白いです。見れば見るほど、凝縮された世界になってるから。絵を描くときも、様々な要素で散らばっている世界を一枚の絵に凝縮するので、要素が散らばっている状況を見るのが好きで制作のヒントになるんです。そういったものをヒントに世界を再構築して作品としてアウトプットし、人の反応を実験的に見る。人が関わる循環を自分の中で作れて納得できている状況の方が制作に対しても健康的になれるんです。   ―:インタビューの冒頭で、ひとりよがりな制作から人の反応を受けて人と関わりながら自身が更新されていく形へと変化した、という話がありましたが、具体的にその転機となるようなことはあったのですか? 藤川:ふたつあって、ひとつはd-laboミッドタウンというイベントスペースで行った砂絵パフォーマンスです。もうひとつは、作家としての転機でondoで行った展示ですね。 d-laboは大学卒業2年目くらいの時期に自分の作品について90分話す時間をいただいたのですが、そのうち30分を使って、お客さんの言葉に応えてその場で砂絵を作っていくパフォーマンスをしたんです。そうすると、当たり前ですが、確実に自分が作りたい、作ろうと思っていた方向は壊される。他人との関わりの中で自分が否が応でも変化されるっていう状況を初めて体験して、作品に対する考え方は変わりました。 ondoでの展示は、作家としての振舞い方、作家としての人格の形成に深く関わっていると感じています。初めて個展をやらせていただいたのが去年の夏で、今回の「未知のためのエスキース」展もそうですが、毎回展示の前にしっかりミーティングをするんです。展示を行うことの意味、今自分が最も大切に考えていることが明確に話せるようになりました。   ―:そうなんですね、ネット上に出ている記事や展示コンセプトから、制作は日常の生活からヒントを得ているという印象を受けましたが、アートに限らず影響を受けたクリエイターはいますか? 藤川:絵として目に美味しい作家としては、超メジャーですがエゴン・シーレ、それから小山登美夫ギャラリー所属の長井朋子さん、マルレーネ・デュマス、エイドリアン・ジーニーが好きです。 一方で、絵から遠ざかることが必要、本質的には絵の前にいることだけが絵を描いている時間ではないと考えていて、音楽を聴いたり、本を読んだり、博物館へ行く、いろんな情報に触れる時間も大切にしています。もちろん作品は描くことでしか生まれないんですが、そうやって全然関係ないことをしてるときに、頭の部分を育てていると考えると、実質絵を描いているというか、絵を描いてるよりも描いていると感じています。   ―:藤川さんは大変多作で、これまでの流れから日々制作していく中で新たに自分自身を更新しながら制作を続けていかれるのだろうと想像しますが、今後の展開について何か考えていらっしゃることはありますか。 藤川:絵は主体になると思います。まだやってないことがいっぱいありますから。ただ、絵を描きたいのではなく、作りたいものから逆算していくので、その表現手法は多様になっていくと思いますし、今も石、鏡、粘土、様々な素材で実験しています。映像が必要ならば、映像を扱うようになるのかもしれません。 ただ、言えるのは、否が応でも人は人の作った社会に住んでいますし、私は人の作っている世界に興味があるので、日々更新されていくものを追いながら、自分のなかでかみ砕いて、それを作品にしたりすることで、見た人がどう反応して、自分、それから見てくださった人自身がどう更新されていくか、そこを大事にしながら制作を続けていきたいと思います。   ―:お話しを伺っていて、ものすごく技術的な工夫をされているし、実際に作品を見ると絵のタッチが非常に面白くて、奥深いんですよね。ネットで最初に作品を見た時との印象の違いが大きく、驚きました。これから見られる方は、ぜひ現物を見ていただけたら、嬉しいです。  実は、記事にまとめるにあたって残念ながらお話の大部分を削ってしまいましたが、インタビュー自体は3時間近くも楽しくお話しさせていただきました。 本当にありがとうございました。

時間のかたち 見崎彰広 新作展 こんにちは。清水です。 今回は、一風変わった版画・鉛筆ドローイング作家の見崎彰広さんをご紹介したいと思います。   8月4日、日本橋の不忍画廊へ「時間のかたち 見崎彰広 新作展」を見に行ってきました。 見崎彰広さんは東京芸大の日本画専攻を卒業された後、リトグラフという手法の版画作品と、鉛筆によるドローイング作品とを並行して制作されています。 私が美術予備校、ふなばし美術学院の日本画科に所属していた頃、見崎さんは日本画科の学生講師をされていました。   他にあまり類を見ない独特の作風がとても面白いので、1人でも多くの方にぜひ見ていただきたい。 黒。はっきりとした黒が印象的かと思います。 基本的にモノトーンなので、人によっては地味だな、暗いな、と感じられるかもしれません。しかしその制作スタイルやスタンスがなんとも面白い。 私が今回の展示でまず感心して釘付けになってしまったのがこちらの作品。 何に惚れ惚れしてしまったのかというと…こちらの作品、なんと鉛筆のみで描かれているんです。 デジタルイラストレーションなんかではクリック1つで塗れてしまうような黒のベタ塗りですが、この漆黒の面を手作業で鉛筆でこのクオリティに仕上げている仕事の精度の高さ、ストイックさに思わず笑みがこぼれてしまいます。 絵の端のキレも素晴らしいです。さすがにここはマスキング(紙の地のまま綺麗に残したいところをテープや紙を貼って保護しておく処理)を行っているそう。 天使がモチーフのこちらの作品も鉛筆によるドローイング。どんな手つきで描かれているのか想像がつかない点描のようなホワッとしたタッチで、中央の天使が光っているように見えます。   こちらの一連の鉛筆ドローイングについて、黒い面の精度があまりに高いので「(黒いところの作業は)気が狂いそうですね」とお話ししたところ、見崎さんとしては中央のモチーフ部分に最も神経を使う、とのことでした。こうして画面の多くを色面で構成していると鑑賞者の見るべきところはモチーフ描写の部分だけになるからだそうです。なるほど。 黒い部分は鉛筆の動きを縦向きに統一することで、基本的に上からあたる光でタッチの筋が見えにくいように工夫されているそう。 惚れ惚れします、ホント。 展示の告知の際に見崎さんがこちらの『シュート』という作品を引用して「昔バスケ部だった方、ぜひ見にいらして下さい。私ひとりでディフェンスしております。」と書かれていたのが印象的で面白かったです。作品も魅力的ですが、見崎さん自身が落ち着いていてユーモラスで話していてとても面白い方です。 小学生頃から誰しもが慣れ親しむような、鉛筆という何ら特別ではない道具で表現をしていきたいと考えていらっしゃるそう。とあるテレビゲームでいうところの初期装備の武器、木の棒でずっと冒険を進めていくような感覚。そんなところに鉛筆表現の面白さを感じているそうです。 言ってしまえばただの鉛筆が、技術次第でここまでのクオリティの表現になる。面白いですね…。   ここまでご紹介した額装なしの木製パネルの作品は全て鉛筆ドローイングですが、ここからは版画作品のご紹介。記事の冒頭の方の写真のものも、額がある作品はリトグラフの版画作品です。 リトグラフについて簡単にご紹介します。 版画には凸版画、凹版画など使用する版の構造によっていくつか種類がありますが、リトグラフは「平版画」と呼ばれる版種です。木の板を削って残った出っ張りにインクをつける木版画のような凸版、銅板に傷をつけた凹みにインクをつめる銅版画のような凹版、ステンシルのように穴の開いた版の上から塗ったインクを下に落とすシルクスクリーンなどの孔版、とありますが、平版は版に立体的な手は加えず、簡単に言えば水と油が互いをはじき合う性質を利用した版画技法です。 元々は石板を用いたことがリトグラフという名前の語源となっています。現代ではアルミ板にクレヨンや油性ボールペンなどの油性の画材で絵を描き、色々加工を加えたあと版に水を塗ると、水がはじかれた油性の描画部分にだけローラーで油性インクを乗せることができ、それを紙に押し当てることでイメージを刷ることができます。他の版画と異なり、彫ったりする版画特有の技術を必要とせずに絵描きが絵を描いたそのままのタッチを版画にすることができます。 カラフルに多色のインクも使うことができるリトグラフですが、見崎さんは黒のみを使って鉛筆ドローイングと見た目の印象が近しい作品を制作されています。   私がご紹介したいのはこちらの雪景色の作品。 雪が降り積もる窓辺のイメージで、可愛らしい画面です。こちら、色んな角度からじっと観察してみると、黒く見えるインクの中に少しだけ種類の違いがあるのが見えました。 写真で伝わるでしょうか。右上の光が当たっている部分をよく見ると、外側の窓枠の黒は青っぽく光を反射し、窓の中の黒は照りの少ない赤っぽい?漆黒で、その2種類の黒に境目があることが分かります。 黒いインクを置く前に工夫を加えてあるそうです。物質の作品ならではの生で見た質感の深さ、そんな細かな工夫を発見できたことが嬉しかったり楽しかったり。   シンプルな白黒の画面だからこそ、その内容にはとてもこだわって丁寧に制作されているのが印象的です。シンプルだけれど一つ一つの作品に重みと充実感があります。 黒の中にこんなにもいろんな表情があるんですね…。愛着を感じられます。 ボローニャ国際絵本原画展に入選もされている見崎さんは詩とドローイングで構成した小さな本も制作・販売されていて、そちらもちょっと切ない雰囲気が魅力的です。 今後の活動もとても楽しみです。 (清水悠子)   ーーーーーーーーーー 見崎さんは現在、9月25日まで兵庫県のグループ展に参加されているそうです。お近くに行かれる方はぜひチェックしてみてくださいね。   G.araiの絵本原画展 「物語のかけら」 2018年9月20日(木)~9月25日(火) 11:00~18:00(最終日17:00) ギャラリーアライ www.gallery-arai.com/

熊谷市・熊谷市教育委員会協力のもと、10月27日(土)に熊谷市屋外彫刻おそうじ体験を開催します。 ちょっと敷居の高い芸術品、美術館だと絶対に触れてはいけません。でも、それで興味を持つってむずかしい。触りながら硬さ、大きさ、個体別のさび具合を確認する、作者の細やかな気遣いに気付く。彫刻作品は触ることで見るよりも多くのことを知ることができます。おそうじを通して、彫刻作品を身近に感じ、自分の住むまちの財産として捉えていっていただけるようになれば幸いです。 おそうじ体験のお申込みは、こちらを印刷のうえ、FAXでお送りいただくか、メールにてお申し込みください。 おそうじ後は星渓園に移動し、当日を振り返ります。希望者はお茶会体験もできます。  

6月のアートコラムでは、欧州美術財団(TEFAF)のレポートを引用しながら世界のアートマーケットについて概要を見た。その際に日本についての記述の少なさを述べたが、今回はTEFAFレポート同様バブル期についてであるが、日本について数ページに渡って興味深い記述されていたので、Art BaselとUBSによる「The Art Market 2018」を見てみる。アートマーケットレポートは各団体のウェブサイトから誰でもダウンロードすることができるので、読んでみると面白いかもしれない。TEFAFの方がアートについて詳細に、バーゼルの方がアートと経済を絡めて読みやすいアウトプットの仕方をしている印象である。 TEFAF Art Basel   さて、アートコレクターと言った時にみなさんはどういった人を想像するだろうか。巷には数千円から購入できるアートもあるわけであるが(そしてそれらが後に大きな価値を持つことも稀にある)、コレクターともなると、なんとなく、とんでもない桁の金額をアートを投入していそうである。彼らは何を目的に、どのようなアート作品を購入しているのだろうか。 Art Baselのレポートによると、 富裕層の35%はアートコレクターとして活動的であり、そのうち93%が500万未満のアートを最も頻繁に購入し、1%未満が1億円以上の作品を購入する。またコレクターのうち32%のみのコレクターが、購入したアートワークの価格が高騰することによるリターンを期待すると応え、86%のコレクターがコレクションの中から作品を売ったことがないと回答した とある。 富裕層の定義についてはレポートで明記されていないものの、近年のアートの価格高騰を見るに、投機目的の人が多いのだろうと想像していたが、リターンを期待する人が3割程度というのは、予想以上に低かった。数千万円以上の作品は投機目的に購入されることも多いと聞いたことがあるが、アートを所有すること、それ自体に価値を置く人が多いのだろう。そして大規模なコレクターであるほど、コレクションを多くの人に見てもらうために美術館に貸し出したり、自ら美術館を建設してコレクションを公開する。 そんなアートコレクターはどのようなアートを購入するのだろうか。過去の巨匠の作品の価格は安定して高価であるが、Art Baselのレポートによると、過去2年間、購入されたアート作品の85%がアメリカ出身の、もしくはアメリカ国内で活動するアーティストのもので、84%が生きているアーティストのものであった。 これと対照的であったのが、バブル期の日本である。レポート原文をそのまま引用すると、私自身があたかも日本を批判するようであるが、そうではない。現在国際的に日本がこういった評価をされてしまっていることは残念だが、これを事実と認識した上で今後どうしていくか、という点を考えていきたいのである。 ここからは原文(つたない訳は河口)をそのまま載せる。 1990年には、日本がアジア圏では最もアートを購入する国であり、同時にイギリス、アメリカを抜いて世界のアート輸入量の30%を占めるアート輸入最大国となった。この時点での中国(香港を含む)の輸入量は1%未満であった。しかし、これは相当に内向きな流れであった。というのも、当時の日本のアート輸出量は世界の0.1%に満たなかったからである。 1980年代の悪名高いアートマーケットバブルは、その後10年ほどに渡る印象派絵画を中心とした日本の強い購買によってさらに悪化した。 ・・・ 日本人の余剰資金は、ハイリスクな資金調達とともに、時には美術資産を使った違法な取引や慣行など、新規購入者の一部による不十分な知識によってもたらされた。その結果、アート価格は急激に上昇し、往々にして平凡な作品に莫大な額が払われた。 (当時の日本の一部の企業は、借り入れ、貸付、場合によってはマネーロンダリング、現金脱税の隠蔽に、評価が曖昧であるアートを使用していたとの報告がされている。) 後半の部分は、多くの日本企業が名画をオークションで競り落とし、バブル崩壊とともにそれらを手放したことが批判されたことは多くの人の知るところである。 日本人が印象派を非常に好むのは、今でも美術館の大規模巡回展示を見れば分かる話であるが、近年のアートコレクターが現存するアーティストを好んで購入することや、これらレポートを読んだうえで思い出すのは、MoMAの「我々は歴史に無関心であり、歴史は我々の活動の副産物であるという前提から始まっている」というMoMAが自らの果たすべき役割についての言葉である。   このように過去の出来事について散々に書かれている日本である。少々尻切れとんぼだが、これからのアート界における日本の立ち位置について、希望を込めて次回のアートコラムに書きたいと思う。

8月4、5日の土日に大子アーティスト・イン・レジデンス(以下、通称DAIR)のオープニングイベントが開催されました。 DAIRは町が寄附を受け所有していた古民家を改装したものです。4日には、DAIRの設計を担当した㈱バスクデザインの笠島俊一さん、そして今回プロジェクトの運営面で関わっている弊社河口、それから本プロジェクトの実施に関わってくださる方々のトークリレーがありました。 笠島さんのトークでは、過去から現代までの巨匠のアトリエの資料を見ながら、アーティストが自由な発想で使えると同時に、地域に開かれた場になるよう設計するにあたって工夫された点や、増改築を繰り返した古民家をまとまりのあるひとつの空間に仕上げるにあたって苦労した点を伺いました。 2階の廊下が簀子になっている独特の作り、1階2階をロールのように均一な高さで建築基準いっぱいまで設けられている窓、それぞれにもともとの家の作りを考慮した上での設計です。ここに記すのはもったいない話なので、ぜひ大子町まで遊びに来てください。 続いて河口のトークでは、今回のレジデンスで意識していること、また地域でアートを行うにあたって地元の方々にお願いしたいこと等、軽く30分程でお話しさせていただきました。滞在作家は1-3か月を基本に滞在し、自身の制作活動とともに地域との交流を行います。アートとは何か、と一言で語ることは難しいですが、偏りなく様々なメディアを扱う作家に滞在してもらうことで、今後地元住民の方々には、アートの様々な側面を見ていただき、多くの発見をもたらすことができればと思っています。 あまり運営側の話をするよりは、滞在している作家に自らの活動を語ってもらう方が良いだろうということで、15分ずつの持ち時間で滞在中のお二人にバトンタッチさせていただきました。滞在作家に関しては、滞在期間終了後に各作家ごとにアーカイブ記事を作成しますので、簡単に写真で当日の様子を振り返ります。 7月21日から滞在している山本愛子さんは、これまでの滞在期間の過ごし方、滞在中のプランなどについてお話ししました。今回オープニングイベントを迎えるにあたって制作中の作品を空間をうまく使って展示してくれ、華やかな会場作りにも一役買ってくれました。 7月31日から滞在している小久江峻さんは、すでに積極的に自身の作品のひとつである紙芝居公演を町内で行っており、作品を用いながら自身の活動を紹介し、最後はこれも自身で制作した楽曲をギターで演奏し、トークを締めてくれました。 その後休憩を挟んだオープニングセレモニーではまちづくり課の方、それから町議会、茨城県北芸術祭振興局、大子アートコミュニティの方からのご挨拶がありました。このプロジェクトを実施するにあたって、様々な方のご尽力があることに感謝します。 親睦会では大子の特産品が並び、和気あいあいとした中で普段お話しできない住民の方々、近隣の役場の方、アート関係者の方とお話しでき、子供たちもたらふく食べているようで良かったです。難しいことを抜きに関わり合えるのは良いことです。   5日のオープンアトリエでは、小久江さんが東京に戻っていることもあり、昨年3月に50名ほどで大変賑わった山本さんの藍染め体験「まじゅつや」を規模を縮小させて行い、それでも短い時間に20名ほどの方が入れ替わり立ち代わり藍染め体験をしていかれました。地元の高校生も来て、カレーを振舞ってくれ、大変賑やかな1日となりました。 さて、盛況となった2日間ですが、日本には空家の増加が大きな課題としてあります。今回のレジデンスが、空家を活用した町の文化の拠点作りのモデルケースになるよう、アーティスト、地元の方、両者にとって実りあるものにすることを、運営に携わるものとして、身を引き締めて引き続き取り組んでまいりたいと思います。 今後もDAIRを起点に様々なイベント、展示が開催されていきます。告知は随時フェイスブックページでありますので、特産品の多い大子町に遊びがてら、DAIRの様子も覗いて行っていただけましたら幸いです。

やましたあつこ 林もえ 5月の個展レポート 5月26日に、以前にお邪魔した浅草橋のマキイマサルファインアーツへやましたあつこさんの個展「In the flower garden」を見に行ってきました。2階では同時開催の林もえさんの個展「眺めのよい部屋」が開催されていました。5月のまるごとほぼ一ヶ月間を使った個展で、期間があるため同じ方が幾度か足を運んでくださったとやましたさんは話していました。 マキイマサルファインアーツのホームページ http://www.makiimasaru.com/mmfa/ 浅草橋駅から近く、相変わらずアクセスがよいのが嬉しいところです。   まずは1階のやましたあつこさんの「In the flower garden」から。 やましたさんは自身の内側にある物語のイメージを多数の軽やかな絵に起こし、展示空間全体の白い壁にバランスよく点在させて場所そのものを心地よい絵にしてしまう…そんなスタイルで制作されているアーティストです。 やましたさんの作品は、白い背景に赤い髪と青い髪の女の子が登場する物語の風景がよく描かれます。赤い花が描かれているのも近頃よく見かけます。 今回の展示では画面全体を色で埋めている作品と、菱形の模様のようなモチーフが新たに登場しているのが印象的でした。 こちらは私が一番好きだった作品。写真よりももっとすごく色が綺麗で、深みがありました。やましたさん本人が言うには、苦しかった絵、だそうです。だから重みがあって好きだったのかもしれない。 そして展示空間の一番奥に、今回の展示の一番の目玉だと思われる巨大なキャンバス作品がありました。白い網目を描いているのか黄土色の菱形の集合を描いているのかどちらともとれるような不思議な画面で、他の小作品とはテイストが違っています。具体的なシーンでも無さそうですが、絵の四辺の菱形の色味が違っていて額縁代わりの縁取りのようでもあり、絵の中にちょっとだけ奥行きをつくるための床や壁や天井を描いているようにも感じられました。菱形の向きが絵の四辺に沿っているからかな。不思議。 こうした大きな作品が1つでもドーンと存在していると、やっぱり展示空間の充実度合いが違う。狭さの制約がある日常生活の空間から離れた自由さ、夢を感じられるように思います。 こちらは絵と配置とが良いな…と思った部分。花を咥えた女の子の軽やかさ、ちょっと得意げな表情が可愛らしい。 今回はポストカードや作品集、マグカップなどのグッズが充実していました。作品を手軽に日常に取り入れてもらいやすい試み。良いですね。   続いて、2階で行われている林もえさんの個展「眺めのよい部屋」の様子です。 まず感じたのは「整っているな」という印象でした。 市販の張りキャンバスのような真四角の定型のキャンバスの形をあえて崩したようなスタイルの作家さんを見かけることがちらほらあるのですが、そうした作品では例えば布をも立体素材のようにしてふんわりと膨らみをつけて張ったり、布を斜めに張ったり、布の端を木枠の裏に折り込まずにはみ出させたりすることがあります。キャンバスを立体作品のように考え、空間への配置の仕方も工夫して、絵の内容を見やすいように人の視線の高さに置くという展示セオリーを気にせずリズムや動きをつけていることもあります。 林さんの作品は、絵を描くベースとして定型である白い下塗りがされていない生の布を使い、布の端の耳をはみ出した形が基礎となっていました。 1階で見たやましたさんが作品の形や配置に動きをつけるタイプだったこともあり、林さんの作品をパッと見た瞬間にはまず似たような「定型への問い」を持っている作家さんなのだと感じました。 しかし、そう考えてみると、耳のはみ出し方の幅がとてもきれいに整っている。絵の配置の高さも基本的に整えられている。大きなアクションの派手さやインパクトで見せるのではない林さんなりのやり方で、それでも素材には問いとこだわりを持ち、きちんと丁寧に制作されているのだな、そんな風に好感を持てました。 画材屋で買えるようなキャンバス布は、基本的に麻布に白い塗料を塗ってあり、すぐに油絵具やアクリル絵具で絵が描きやすいようになっています。生の布にそのまま絵具を塗ると油分や水分がすぐに吸い込まれて滲んで広がってしまったり、絵具を構成している素材が布を傷めてしまって数十年数百年も絵が同じ状態を保てなくなったりします。布の目地が邪魔で細かい絵が描きにくかったりする、そんな問題もこれまでの絵画の歴史の中で開発されてきた地塗りの塗料が解決してくれます。 林さんの作品は生の恐らく綿布に近い布をきちんと張った上で、あえてその絵具の滲み、筆と布の質感を生かしたり、ほんのり透ける布の軽やかさも制作に使われている、そんな印象を受けました。 こちらの右の作品は、ほんのりと木枠が透けて見えます。連続するように同じサイズの2作品が近い距離にくっついて並べられていましたが、左の絵が白い色で画面をワーッと塗りこめているのに対し、右の絵の透けた軽やかさが際立って見えて良いな、と思います。 家がモチーフになっているこちらの小さな作品は色味が多くて可愛らしい印象でした。 こちらは林さんのポートフォリオの作品なのですが、個人的にものすごくグッと来たのでご紹介。どんな場所でも見かける生活風景。生きていれば大して気にならなくなる日常風景。シャンプーや洗顔料って時にはパッケージに惹かれたり、買うときは色々感じたりもするのですが、家の定位置に置いて数日たてばもう見慣れた生活風景になってしまいますよね。私はパッと見た時のこの絵の綺麗さに加えてそんなことを考えてしまい、そんな暮らしの一角を切り取った視点にとても惹かれました。素材がパラフィン紙に油彩となっていますが、そちらも透ける素材ですし、是非とも実物を展示で拝見したかったな、と思いました。 居心地がよくつい長居してしまうような空間のお2人の展示を見に来て、私はここのところ悩みや不安事でなんだか苦しかった胸のつかえがとれたようでした。「呼吸ができた」、そんな感じがしました。 とても良いタイミングで見に行くことができ、改めて絵の力…実物のある空間で生で作品を見て、何か感じたり考えたりすることの癒しを実感することができました。その場所に行って、見ること。インターネット上で作品画像だけを見ることの何倍もの得られる体験があるし、絵はやっぱりただの色データや情報ではない、人の体の五感と共にあるのだな…と感じることができました。 自分の五感と心の声と対話する、そんな穏やかな時間を過ごせるような絵画の展示空間に、皆さんもぜひ足を運んでみてくださいね。 (清水悠子) 【今後の展示情報】 林もえさんTwitter 10月に大阪で展示があるそうです。   やましたあつこさんTwitter 現在、銀座にあるWALK IN BAR MODにてちょこっと作品展示中だそうです。↓ https://twitter.com/siatsuko/status/1012215992129241088?s=21 また、来年1月には今回展示のあったマキイマサルファインアーツにて、個展が開かれるそうです。  

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